1937年8月20日時点での上海における日本軍兵力 | 誰かの妄想

1937年8月20日時点での上海における日本軍兵力

第二次上海事変での日本海軍特別陸戦隊の兵力について、ネット上では2500人だとか5000人だとか6000人とか記載されていて、あまり良くわからない。


と言うわけで、戦史叢書で調べてみたところ、以下のような感じみたい。


1937年7月末 上海海軍特別陸戦隊:2500名

上海事変勃発前、少なくとも7月末の時点では、2500人であったらしい(戦史叢書72「中国方面海軍作戦(1)昭和十三年四月まで」p318)。

日本海軍は7月中に上海での陸上作戦計画を立案し、この中で作戦目的を「上海居留民の現地保護、租界の確保、航空基地の占領、後方連絡線たるべき水路の確保及び陸軍揚陸後の作戦を容易にする態勢の作為を目的とする。」としている。

このとき海軍が予測した敵兵力は、約10個師(中国軍の師団なら10万、日本軍の師団なら20万)と判断している。対する日本軍は、上海特別陸戦隊2500人、増派特別陸戦隊1000人、艦船陸戦隊1500人を仮定している。

日本海軍としては、特別陸戦隊2個大隊の事前増勢、開戦後3日以内に陸軍先遣旅団が到着すること、開戦時期を我が方で把握し敵の不意に出るべきこと、の3条件を必要としていた。

(ネット上では、上海事変は蒋介石が一方的に仕掛けたような論調があるが、7月末の時点での日本海軍の計画を見るとそのような論調が的外れであることがわかる)


さて、2個大隊の増勢であるが、日付がはっきりしないが8月1日~8月17日のいずれかの時点で2個大隊1400人(戦史叢書に人数の記載はないが根拠は後述)が増勢されている。この部隊は、呉鎮守府第2特別陸戦隊、佐世保鎮守府第1特別陸戦隊である。


上海事変は8月13日に勃発するが、中国側は日本陸軍の援軍到着前に片をつけるため攻勢をとる。その兵力は戦史叢書によると、第88師団、第87師団、第36師団の3個師団(約3万か?)で、他に上海警察・保安隊なども考慮すると、約5万人程度ではなかったかと思う。
これが8月16日になると、中国軍は第15師団、第118師団が増勢され兵力7万となっている。

一方、8月16日の戦闘で損害を被った日本海軍陸戦隊は、増援要請を出している(第3艦隊機密第652番電16日1900時発電)。
これに答えて、日本海軍は佐世保で500人編成の陸戦隊を2個大隊編成、また旅順に待機していた横須賀鎮守府第1特別陸戦隊及び呉鎮守府第1特別陸戦隊の2個大隊計1400人の上海派遣を決定する。


横1特と呉1特の1400人は8月17日に第4水雷戦隊と長鯨に乗船して旅順を出港し、18日朝に上海に到着。
佐世保で編成された2個大隊計1000人は軍艦攝津及び矢風に便乗して、18日午前に佐世保を出港、19日夜に上海に到着している。

では、日本陸軍増援部隊である第3師団、第11師団が上海に上陸する8月23日の3日前8月20日時点での日本軍の兵力はどの程度だったのかと言うと、戦史叢書p331によると「上海に増援された陸戦隊兵力は、(中略)6個大隊となり、固有上海特陸兵力と合わせ総兵力約6300名となった。」である。


この内訳を見ると以下のようになる。

1.上海特別陸戦隊:2500人
2.呉第2特別陸戦隊+佐世保第1特別陸戦隊:1400人(全体が6300人であることからの推定)
3.横須賀第1特別陸戦隊+呉第1特別陸戦隊:1400人
4.2個大隊(佐世保編成):1000人


計6300人

ただし、上記のほかに艦隊保有の陸戦隊があるかと思うのだが、「2」の1400人に含まれてるかどうかは今ひとつわからなかった。


なお、この後8月23日、日本軍第3師団(第29旅団欠)、第11師団(天谷支隊欠)の2個師団(約3万か?)が上海北方に上陸し戦闘は本格化することになる。


また、中国側資料では、8月13日時点では87師団、88師団の他2個旅団に警察・保安隊が展開、15日に98師団、19日に36師団が増勢され、23日に11師団、14師団、67師団、教導部隊が増勢されたとされており、戦史叢書と異なる部分もあるようだ。