産経症・カズフサみたいな人々
またしても、産経新聞が笑える正論を吐いたのでつっこみつつ紹介してみる。
筆者は国際東アジア研究センター名誉顧問の市村真一。
この人、ことさらに支那と言う言葉を使いたくてしょうがないらしいんだが(2006/10/5正論参照)、歴史認識も「第二次大戦において日本人は、日本のためよりもこの戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残したと言わねばならぬ。」というものらしい。
なんというか、中国などの外国は陰謀をめぐらせているのに対し、日本だけは純真無垢に植民地の解放を目指したお人よし、という歴史観。ボクは本当は優秀で皆からちやほやされて女の子にもモテモテなはずなのに、皆がボクにつらくあたるのは、誰かの陰謀だ。
そんな感じか?
ラブやん
のカズフサか、モテモテ王国のファーザーくらいイタイ奴にしか見えん・・・
で、そのイタイ奴の文章。★は私の突っ込みです。
平成18(2006)年11月24日[金]
■【正論】国際東アジア研究センター名誉顧問・市村真一
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■中韓の日本批判に便乗の卑劣さ
■国悪を諱むは礼なり、と知れ
≪“記者道”に反する行為≫
わが国の新聞報道や議論で、前から気になっている不愉快な一つの型がある。それは、教科書問題、慰安婦問題、植民地統治や南京事件の謝罪から最近の靖国問題や歴史認識論に共通しているが、特に中韓両国がからむときにひどい。
まず日本の記者が、日本の国内問題-例えば教科書問題-をいち早く中韓の当局者やジャーナリストに告げ口する。そして彼らを挑発して、日本の批判や非難をさせる。彼らのそうした日本批判に便乗し、それを日本政府の当局や当事者に突きつけて、それ見たことかと得意になるという筋書である。
★「告げ口」って何?まさかグローバル化した情報社会で、日本のニュースが中国韓国でも流れたことを指すんじゃないよね?なんだかネトウヨ並みの陰謀論にどっぷり浸かっているかのような論調だけど。
このやり口が卑劣なのは、最初に問題提起した記者は名を出さず、彼ら自身の意見も責任も問われぬことである。これは、言論人として実に恥ずかしい態度で、昔なら卑怯(ひきょう)者とさげすまれたであろう。
★明確な証拠も示さず相手を誹謗するというのも卑劣なやり口だと思いますよ。「なら卑怯(ひきょう)者とさげすまれたであろう。」そっくりそのまま返してみよう。
報道に携わる記者の大切な仕事は、第1に問題の内容とそれをめぐる事情の正確な把握である。第2にその問題に関するさまざまな異見の内容の比較考量である。単なる賛否だけではない。さらに一番重要なのは、その問題に自分自身の意見を立てることである。
★「第1に問題の内容とそれをめぐる事情の正確な把握である。」むう、その通りだ。で、最初の陰謀論の証拠は?
その種の記者は、そうした調査と考察に時間をかけて努力もせず、マイク片手に他人の意見を聞いてまわり、安直に日本をやっつける議論集めに奔走しているかのように見える。それは“記者道”に反するであろう。
★なるほど、よく調べもせず南京事件や従軍慰安婦をでっち上げだと決め付けるようなやり方は確かに「“記者道”に反」しますね。
≪春秋左氏伝の教え知る≫
たとえ駆け出しの若い記者がそんなやり方で原稿を書いても、それをたしなめ指導するのが年配の先輩記者やデスクでなければならないはずである。しかし同じようなやり方が反復してまかり通っているところを見ると、ベテランジャーナリストの指導力にもかげりがあるのであろう。
★それって産経のことかしら?
いやしくも言論をもって立つ者は、まず名を名乗らねばならぬ。なぜなら言論には責任を伴うからである。殊に他人を批判糾弾するなら、自分の名や身分地位を明らかにして、いざとなれば責任をとる用意がいる。さもないと、闇打ちで卑怯であろう。
★そういえば、「産経抄」にも「主張」にも個人名は出てないね(少なくともWEB版は。探せば載ってるのかな?どっかで見たような気もするが)。
さらにこの手口の重大な問題点は、自国の批判を外国政府や外国人にやらせ、それに便乗する点にある。有名な中国の古典の『春秋左氏伝』の僖公元年の条に「国悪を諱(い)むは礼なり」という時々引用される言葉がある。外国では、自国の悪口をつつしむのが礼にかなう、という意味である。それは当然である。自国や同胞のことは、良きにつけ悪しきにつけ、また程度の差こそあれ、自分にも関係と責任がある。自分で処理すべきもので、他人の手を借りるのは恥である。
★まず、事実誤認があればお話にならないのだけど・・・。それはおいといても、批判しているのが外国人なら「国悪を諱(い)むは礼なり」と言っても意味はないよね?日本で起こった事実に対して、外国人がそれを知り批判したのなら、お門違いもはなはだしい。それとも北朝鮮みたいに自国に都合の悪いニュースは外国に知られないよう検閲すべきと考えているのかな?
それなのに、恰(あたか)も自分が中国人か朝鮮人になったような口調で得意気に自国批判をするのは、どうかしている。もし外国人が日本に来て、そういうことをすれば、われわれはそんな外国人を尊敬するであろうか。
★・・・産経はうれしそうに、黄文雄とか「マオ」の張戎とか持ち上げてたじゃん。説得力ないなあ・・・。すくなくとも産経みたいな新聞はそんな外国人を尊敬すると言うことでいいのかな?
その人々の誤りは二重である。第1に自己の出世や利益のために自国政府や要人の悪口を他人の口から言わしめる利己心の卑しさであり、第2は外国や他人の力や影響力を自国の政争に利用して、国内での自分の立場を有利にしようとする打算と自信の無さである。
★はあ、なるほど。産経は卑しい利己心を持っていて自分の立場を有利にしようと打算的であると。いや、俺はそこまで言うつもりはなかったんだが、ここまで明言されると反論できないなあw。
≪ある幕末の武士の潔さ≫
特に深く考えねばならないのは、そういう行動が一国の独立自尊の精神を深く傷つけることである。この悩みは、強国にはさまれた中小国に共通で、アジアにもそんな国は多い。だが日本では、そういう卑劣な言論は誇りにかけて一掃すべきであろう。
★ふーん。日本だけの誇りみたいな言い方は違和感あるけど、それ以前「卑劣な言論」自体、この人の妄想だからなあ・・・
この点、偉大であったのは幕末から明治にかけての日本の指導者であった。一人の例を言えば、幕府の外国奉行だった栗本鋤雲安芸守である。江戸開城のころ、たまたまパリに滞在していた。幕府が倒れそうだという報道を聞くと同時に、彼はフランス政府から、6艘の軍艦といくつかの輸送船と若干の仏兵を提供するので、薩長と一戦を交えないかと申し出を受けた。しかし彼は、幕府と官軍の戦いは日本内部のこととして、この申し出をきっぱりと断った。そして甘んじて敗残の身として帰国し、滅びゆく幕府に殉じて、新政府に仕えることはなかった。ここに激動する日本政治の荒波の中で、いさぎよく身を処した一人の日本武士の姿がある。心なきジャーナリストや政治家には、栗本鋤雲の爪の垢(あか)でも煎(せん)じて飲んで欲しい気がする。
★是非、産経記者に勧めてあげてください。ところで、栗本鋤雲がフランスにいたころのフランス政府と言えば、メキシコに傀儡政権を作って軍事介入して顰蹙を買っていたナポレオン3世の時代ですね。まあ、欧州情勢を理解していれば、フランス政府の申し出は拒絶するのが普通でしょうね。
外国の力を利用して自己の栄達と主張の実現をはかる卑劣な言論人や政治家よ、恥を知られよ。歴史の審判は決して生やさしくはないであろう。(いちむら しんいち)
★そういえば、産経は20世紀前半の日本の軍人・政治家に対して、生やさしい審判を下しているよなあ。
厳しい審判を下すと「自虐史観だ!キイキイ」という産経が存在する限り、卑劣な言論人や政治家も安泰ですよ、きっと。
ところで、今回のエントリータイトルのカズフサみたいな人々って市村氏とそれを支持する人たちのことね、念のため。