雰囲気とか空気とか | 誰かの妄想

雰囲気とか空気とか

おさかな日記 さんのエントリー「何で自殺するのでせう」 を読んで、色々うなずかされた。この辺とか。


「どうも、何か問題がおきても「自分で解決しろ」とせまり、協力しない、助けない、悩みを受け止めないで突き放す、そういう傾向が「自己責任論」によってつくられた、少なくとも助長されたような気がする。そういう社会で自殺が多発しているのでは。」


こういう雰囲気というか空気というか、そういうものは私も感じている。
文章の内容も「そうそう、そういう感じだよね」って共感できるのだが、どうも、こういったことを上手く表現する言葉が思いつかない。

雰囲気?空気?おさかなさんは「社会の殺伐とした雰囲気」と表現しているが、言い方として何かしっくりこない。「殺伐」というほどではない気がして・・・。ただ息苦しいというか。不安というか。なんかいい表現がないかなあ?


芥川龍之介の表現を借りて「茫漠たる不安」かなあ。うーん。
あるいは真綿で首を絞められているような感じ、とか。


「美しい国」が美辞麗句に過ぎないことはわかっている。議員特権や天下り、裏金、問題があるのをわかっていても何も言わない。言えば、場が白けてしまうのではという不安。構造改革・教育基本法改正・憲法改正・共謀罪が茶番であることも知っている。今まで散々解釈改憲などで踏みにじってきておいて、改正後の憲法は守ります、なんて大方の人間は信じていないと思う。でも行動しないし、口にも出さない。来るべき密告社会に備えて下手なことを言わないようにしてる?選挙も結局無駄と思っている?まあ、どうせ自民党政権は変わんないんでしょ、というあきらめ?

なんというかなあ。


道路族が抵抗勢力と非難された時は、当然だと思った。
郵便局の既得権が非難された時も、気にしなかった。
日教組を槍玉にあげて教育基本法を改正した時も、気にならなかった。
北朝鮮の拉致と核に対して軍備拡張したときも、当然だと思った。
税金が上がったときも、やむをえないと思った。
治安の悪化に対して共謀罪が成立した時は、生活を維持できるかどうかが気になっていた。
自分と息子が徴兵された時は、反対したかったができなかった。
戦後、手足を失った息子に「なぜ戦争に反対しなかったのか」と問い詰められた時は、何も答えられなかった。


とか考えながら、この本を思い出しました。


茶色の朝