産経症・陰謀論にはまる人
ここまで陰謀論にはまってる人を見るのは、ある意味痛快。
要するに、大日本帝国は悪くない。悪いのは、アメリカや中国の中枢にスパイを送り込んだ共産主義者だ!ということらしい。
なるほど、それが本当なら確かに大日本帝国は悪くない。というより頭が悪い。自虐的だなあ。
ところで、ソ連が国内をどうにか掌握したのが1920年以降、1940年ごろにはアメリカや中国の中枢に多数のスパイを送り込んでいた、とすると建国後20年も経たないうちにソ連は世界を操れるようになったということ。国内では新経済政策や権力闘争に力を入れる傍らでそんな神業のようなことやったんだ。
ソ連すげー(棒読み)。
「深田君、君は想像力があるから、作家になりなさい」と言ってあげたい。あ、作家か。
(以下、引用)
【正論】作家・深田祐介 太平洋の新覇権時代に甘い危機意識
作家 深田祐介
■中豪接近に日本は対応できるのか
≪進む中豪関係の親密化≫
戦前の少年冒険小説の敵役は往々にしてA国、B国と呼ばれ、このA国B国のアジア覇権を抑止すべく、わが「昭和遊撃隊」や「新戦艦高千穂」が奮戦するのであった。
しかし、現在の太平洋では新事態が発生しているらしい。オーストラリア居住で『日露戦争を演出した男 モリソン』の作者、大宅壮一ノンフィクション賞候補作家のウッドハウス暎子(えいこ)氏から新年に長い近況報告をちょうだいしたが、彼女は中豪接近と両国の関係の親密化に言及している。
ウッドハウス暎子さんによると、「中国は豪州からウラニウムをはじめとする天然資源を大量に買い付けています。また、今回豪州の野党党首となり、将来の首相有望株のケビン・ラッド氏は中国語が話せる中国通です。豪州の中国人人口の増加は著しく、将来の中豪関係は強化される傾向にあります」とのことである。
★中国は原発作る計画があったと思いますが、なら、ウランは必要ですよね?
★「ケビン・ラッド氏は中国語が話せる」まあ、中国からの移民が多いでしょうし、そもそも現在の経済発展を見て中国に有望性を感じる人は中国語を学ぶでしょ、別に不思議じゃない。というより、国際的に活躍する人って、結構相手国の言語を一生懸命に学んでますよ。
★「将来の中豪関係は強化される傾向にあります」これ結構難しいと思いますよ。移民が増えれば軋轢も増えるわけで、排外的な思想が生じやすい懸念がありますし。まだどう転ぶか判断しにくいんじゃないですかね?
中国の軍備増強と、太平洋覇権型海軍の建設は、きわめて現実的になったと見るべきであろう。
★中豪関係の進展がなぜ、「太平洋覇権型海軍」につながるのか、さっぱりわからん。
今や昔のA国、B国は中、豪両国になろうとしている。そしてもはや「昭和遊撃隊」も「高千穂」も存在しない。
★「もはや「昭和遊撃隊」も「高千穂」も存在しない。」いや、最初から存在してないと思うんだけど・・・。小説と現実の区別はついているんでしょうか?バーチャルリアリティの弊害?
≪「15年戦争」の真実とは≫
あの昭和6年から20年に至る戦争を左翼の連中が「日本軍閥による15年の侵略戦争」と呼び始め、「15年戦争」の呼称はほとんど国民的にも認知されてきた。
ところが冷戦が終結し、情報開示が進んできて、この15年戦争が日本主導でなく、共産主義主導であることが次第にはっきりしてきたから、戦争体験者としては、愕然憮然(がくぜんぶぜん)たる思いにとらわれる。
★「15年戦争が日本主導でなく、共産主義主導であることが次第にはっきりしてきた」いやだから、現実との区別はついてますか?
私の人生の最初の認識は、満州国の紙の小旗を持って、皇帝溥儀(ふぎ)の来日を出迎えにゆくあたりから始まるのだが、あの満州国建国の端緒となる張作霖爆殺事件も、実はスターリンの命令でソ連情報機関が行ったと、『ワイルド・スワン』の著者としても知られるユン・チアン氏がソ連情報機関の文書を使って『マオ-誰も知らなかった毛沢東』で書いている。
★「張作霖爆殺事件も、実はスターリンの命令でソ連情報機関が行った」それガセだって言われますけど。(http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html )
ユン・チアン氏によれば、盧溝橋事件拡大による日中全面対立も、中国共産党スパイであり南京上海防衛隊司令の張治中が実行したものだ、という。
★「中国共産党スパイであり南京上海防衛隊司令の張治中」これもガセと言われてますね。(多余的話 )(『マオ』の真贋を読む(原載、東方書店『東方』2006年5月号、28-31ページ) )
決定的なのは、東條英機や東郷茂徳など東京裁判のA級戦犯が口をそろえて「あれだけは忘れられません」といい、米国の対日宣戦布告と理解したとする対日提案文書、ハル・ノートの作成者、D・ホワイト財務次官補が、実はソ連共産党のスパイであり、ハル・ノートはコミンテルンの指示による、という京都大学の中西輝政教授の指摘だろう(「諸君」連載)。
★Harry Dexter Whiteのことですね。確かに1948年にソ連のスパイではないかと疑われています。White自身は、1948年8月(疑惑発生の直後)否定したまま心臓発作でなくなっています。(英語版WIKI http://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Dexter_White
)
★1948年と言えば、いわゆる「赤狩り」が始まった年です。共産主義者という言いがかりで多くの人が犠牲になってます。彼自身、第二次大戦後、冷戦構造の構築に反対していましたが、それが反共主義者に目を付けられるきっかけとなったとも考えられます。
★こういう、ソ連のスパイ容疑者を濫造した赤狩りについては、これ
でも見てもう一度考えてほしい物です。本当にWhiteはスパイだったのでしょうか?
★ついでにもし仮に、Whiteがソ連スパイでハル・ノート原文を作成したとして、ハルの他アメリカの対日交渉関係者は、全くチェックせずに日本に渡したと考えてるんでしょうかね?まず、そんなことはあり得ないと思えるのですけど・・・。
≪またも負けたか八連隊≫
なんのことはない、15年戦争は日本軍閥ではなく、ソ連と中国の共産主義者の陰謀であり、世間知らずの日本は15年にわたって共産主義者の手のひらで踊っていただけの話だったのだ。
★そこまで、当時の大日本帝国指導者層は、踊るアホがそろっていたと言うことか?
★そんなアホな指導者のせいで300万の日本人が犠牲になったってか?自虐的だなあ。
満州軍官学校を卒業し、韓国軍初の陸軍大将となった白善●氏は達意の日本語で、何冊もの自伝や戦争論を書いているが、作中に米国のイージス艦にその名を残すアーレイバーク元提督に「日本海軍の敗因はなんだったとお考えですか」ときいたくだりがある。
アーレイバーク元提督は言下に「人事の硬直です」と答えたそうだ。「ソロモン海域で、私の好敵手で名将だった三川軍一中将も田中頼三少将も、画期的な勝利後、中央とひどい喧嘩をやったのではないか、とおもうような懲罰的人事を受け、すぐに予備役編入つまり解雇されてしまったのだ。米海軍の用語でいうと、『ハンモック・ナンバー』つまり海軍兵学校の卒業年次でしか人を評価できない愚かしさでしょうね」と。
★別に当の韓国軍大将でなくても、日本海軍の「人事の硬直」を指摘する声はあるけどね。
すでに当欄でも更迭論が主張されていたが、久間章生防衛大臣は北朝鮮問題にからみ「(北が)核実験をやっただけでは周辺事態認定にならない」と発言するなどして、その見識、器量を危ぶむ声は厳しいものがある。
★「その見識、器量を危ぶむ声は厳しいものがある。」産経とネトウヨの狭い世界ではそうかもね。
★ところで「周辺事態認定」っていうことは、自衛隊が北朝鮮に攻め込むことを産経は主張しているの?
★そんなに、産経は戦争がしたいのか?血に餓えてるねえ・・・。平和ボケになると、戦争がどういうものかわからなくなるって言うけど、ホントだねえ。自分だけは生き残って英雄になる、とでも思ってるんだろうか?ほとんどの兵士は「万骨枯る」の方になるんだが・・・。
ハンモック・ナンバーは日本の政界で言えば当選回数で、久間氏が当選9回だから今のポストにあるのだとしたら、かつての日本軍の愚の繰り返しだ。
★祖父から代々政治家だから首相や議員の地位にいる安倍とか小泉とか二世・三世政治家は、かつての江戸幕府の愚の繰り返しに見えるんだけど。
太平洋が中豪接近により新しい「覇権の時代」に入りつつあるとき、政府がこのような危機意識では、かつて共産主義者らの手のひらで踊らされたように他国の手玉にとられるのは明らかだ。環太平洋外交は戦う前からすでに危うい。早くも「またも負けたか八連隊」という戯(ざ)れ歌そのままのムードではないか。(ふかだ ゆうすけ)
●=火へんに華
(2007/02/02 06:52)
★「政府がこのような危機意識では、かつて共産主義者らの手のひらで踊らされたように他国の手玉にとられるのは明らかだ。」今の政府首脳がアホばかり、ということには同意できるけど、それ以外はいただけませんな。
★大体、「中豪接近」を懸念するくらいなら、最初から日中離間にしかならない靖国参拝なんかやらなきゃいいのに。小泉首相の靖国参拝って、中韓外交をぼろぼろにしたデメリットに見合うメリットって何かあったか?ネトウヨの溜飲が下っただけじゃん。そんな自己満足のために孤立してりゃ世話ないよ。
Last 5 Minutes
なんか、あと5分らしいです。
「終末時計」残り5分に 北・イランの核脅威で
核戦争による地球最後の日までの残り時間を概念的に表示した「終末時計」を管理する米誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は17日、北朝鮮やイランの核問題など核を取り巻く国際環境の悪化を受け、現在の残り時間「7分」から、時計の針を2分進め、残りは「5分」となった。
針が動いたのは、米国が弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの脱退を2001年に一方的に表明し、中枢同時テロを受け「核テロ」の危険性が指摘された02年以来。
同誌は先週、針を動かす理由について「重大な脅威に特徴づけられた第2次核時代の懸念が増大」と説明。具体的な「脅威」としては、北朝鮮やイランのほか(1)安全管理が不十分なロシアなどの核物質(2)瞬時の発射態勢にある米国とロシアの約2000発の核兵器(3)テロの危険-などを挙げた。
「終末時計」は、核戦争による地球破滅を午前0時と想定しており、日本の原爆被害に衝撃を受けた物理学者によって創刊された同誌が1947年から公表。針が最も進んだのは、米国とソ連の水爆実験成功を受けて残り2分となった53年で、逆に「終末」から最も遠のいたのは冷戦が終わった91年の17分。
(2007/01/18 00:31)
ん~、「テロの危険」ってのは見つけられなかったなあ・・・
http://www.thebulletin.org/weekly-highlight/20070117.html
North Korea’s recent test of a nuclear weapon, Iran’s nuclear ambitions, a renewed emphasis on the military utility of nuclear weapons, the failure to adequately secure nuclear materials, and the continued presence of some 26,000 nuclear weapons in the United States and Russia are symptomatic of a failure to solve the problems posed by the most destructive technology on Earth."
あと、一応、日本や中国の原発も懸念材料みたいですよ。
http://www.thebulletin.org/weekly-highlight/20070117.html
"The prospect of civilian nuclear power development in countries around the world raises further concerns about the availability of nuclear materials. Growth in nuclear power is anticipated to be especially high in Asia, where Japan is planning to bring on line five new plants by 2010, and China intends to build 30 nuclear reactors by 2020."
こんな風に、危機は他国のせいだと言って、自国のやるべきことをやらないと、時間は短くなるということですかね。
産経症・今回の産経はどうしたことか、割りとまともなことを言っている
めずらしく、産経の「正論(笑)」が正論を言っている。
ただねえ。
「世界の困難な問題解決に日本人が努力することにより、日本を世界から尊敬される国にしたいものである。」
世界だけじゃなくて、日本国内にも困難な問題があることはちゃんと認識しておきましょうね。
人種差別も経済格差もあるし、給食費を払えるのに払わない人と払えないから払わない人を一緒に非難したりする論調とか。中国・韓国に対する偏見に満ちた書籍の氾濫とか。
遠くばっかり見て同情していても、近くにいる「他者の苦しみ、痛みに無関心」では尊敬されないと思います。
【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄 他者の苦しみ、痛みに無関心やめよう
■世界変える力は自分自身の中にある
≪世界全体が「人類家族」≫
2006年11月に広島国際平和会議が開催され、ノーベル平和賞受賞者が来日した。それは次の3人である。亡命生活の中、愛と非暴力でチベット問題を解決しようとするダライ・ラマ14世。南アフリカの不条理な人種差別政策を廃止させ、人々の和解につとめるデズモンド・ツツ大主教。北アイルランド独立闘争で犠牲になった子供たちのために立ち上がったベティ・ウイリアムズ氏である。
会議初日、ダライ・ラマ14世は次のように発言した。
「人間は社会生活を営む生物である以上、個人の幸せは社会に依存している。経済や人口増加、環境問題など、あらゆる事象がグローバル化した時代だからこそ、世界全体を『人類家族』ととらえる考え方が重要だ。その意味で、人類一人一人が『普遍的責任』を負っているのである。
すべての人間は他者を思いやる心を持つ。すべての人間は母親から生まれる。そして、母親から無私の愛情を注がれて育つ。他者への思いやりの心は、母親によってはぐくまれるのだ」
次に登場したウイリアムズ氏は、冒頭にこう言った。「ノーベル平和賞受賞者としてこの場にいるというより、一人の母親として発言したい。生まれてきたすべての人間は皆、兄弟姉妹だと考えている。子供たちは、みんなの子供だ。年間、1400万人の子供が世界中で殺されている。今こそ耐えがたい痛みと死の状況を一変させなければならない。献身、努力、勇気を持って、世界中で毎日続いている恐怖を変えていくべきだ」
≪許すことで人は変わる≫
翌日講演したツツ大主教の話の核心は、罪を犯したものを許すということだった。
「南アフリカの人種隔離政策が終わりを告げたとき、多くの人々は残虐な報復行為が起こるのではないかと考えた。しかし、それは起こらなかった。むしろ、和解のための委員会が開かれた。
それは、長い間虐げられてきた黒人が寛大な精神を持って許そうとしたからだ。大切なのは、現実を直視することだ。感情的には非常な困難がともなうが、南アフリカではまさにそれが行われている。
人は変われる。善良な人間になることができる。昨日の敵でも、明日は友になれる。これが南アフリカで起こっている。ならば、世界中のどこでも可能なはずだ」
3人の発言は、民族、宗教、国家の次元を超え、図らずも「人類は一つの家族である」ということで一致していた。
それぞれが、想像を絶する苦難を乗り越えながら、弱者に対して温かい手をさしのべ、不正義に対し敢然といまなお闘っている。そのような3人の姿に接し、私たちは大いなる勇気をいただいた。
≪原因は自分自身にある≫
私はこの会議の総合司会をつとめた。その中で次のように発言した。
医学・生物学上で20世紀最大の発見は、DNAの構造の発見と、遺伝の仕組みがわかったことである。その結果、カビも昆虫も、植物も動物も人間も、生きとし生けるものすべては、同じ遺伝子暗号を使っていることがわかった。
このことは、相争っている人間も、自然環境の変化にさらされているすべての生物も、最初に生まれた命につながっている兄弟姉妹であることを意味している。
だからこそ、人と人が愛し合い、助け合い、そして、人間以外のすべての生物を思いやる心が大切であることを、生命科学の現場にいる者として感じている。
人類の最初の被爆地である広島に、黒人、白人、アジア人の3人のノーベル平和賞受賞者が集まり、多くの市民と交流して、21世紀の初頭に平和へのメッセージを世界に向けて発信したことは大変有意義なことであった。
このメッセージの精神をいかに具体的にするかについては、われわれ一人一人の行動にかかっている。
世界の困難な問題解決に日本人が努力することにより、日本を世界から尊敬される国にしたいものである。
この会議の最後に採択された広島国際平和会議の共同宣言文には次のような一節があった。「私たち人類は一つの家族です。私たちは、他者が味わっている苦しみ、痛みに無関心であることをやめて、子供、弱者、高齢者の問題を、世界全体で考えなければならないのです。問題が起こっているその原因は、私たち自分自身にあります。そして、その解決もまた私たち自分自身から始まるのです。世界を変えるのに必要な力は、あなたの中にあるのです」(むらかみ かずお)
(2007/01/27 05:07)
NHK改編問題
まあ、至極真っ当な判決とは思うのだが、政治家の圧力を立証することがいかに困難かを思い知らされる判決でもありますね。
こことか。
「なお、原告らは政治家などが番組に対して指示をし介入したと主張するが、面談の際、政治家が一般論として述べた以上に番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、証人らの証言によっても認めるに足りない。」
そんな具体的な指示を出すとは思えないし、出したとしても口頭のみで、ばっくれられたらもうどうしようもないし。一般人と違って政治家は、自白強要のような過酷な取調べとは無縁でしょうし。
ちなみに、あくまで「認めるに足りない」だけで否定されたわけじゃないんですよね。
産経は「政治家の圧力については「番組の内容について具体的な話をしたとは認められない」と、結果的に朝日新聞報道を否定する形になった。」と言ってますが、どの朝日新聞報道を指すかによるでしょうけど、裁判での認定は、誤審による刑罰が生じるのを避けるために保守的になる傾向があることを考えれば、「認めるに足りない」=「朝日新聞報道を否定」とは言えないと思います。
でないと、裁判で疑惑を実証できるだけの証拠がなければ(そこまでそろってれば、もはや疑惑とは言わんだろうが)、疑惑報道すら出来ませんし。
結論は、
「番組改編の結果、当初の説明とは相当かけ離れた内容となった。バウネットはこの点の説明を受けていれば、被告らに対し番組から離脱することや善処を申し入れたり、ほかの報道機関などに実情を説明して対抗的な報道を求めたりすることができた。」
であって、その通り、としか言いようがない。放映直前に改変し、それを取材対象者に知らせなかったのなら問題でしょ、と。
政府に擦り寄り従軍慰安婦を否定したい産経は、相変わらず笑えるコラムと社説を展開しています。
曰く、「期待権を拡大解釈すれば、放送事業者の「編集の自由」の制約につながる。取材する側が萎縮(いしゅく)して番組を制作することにもなりかねない。」
ですが、判決要旨には、「取材過程を通じて取材対象者が何らかの期待を抱いても、それによって番組の編集、制作が不当に制限されてはならない。 他方、取材対象者が取材に応ずるか否かは自由な意思に委ねられ、取材結果がどのように編集・使用されるかは、取材に応ずるか否かの決定の要因となり得る。」(改行を削除)とあるわけで、少なくとも当該判決では「期待権を拡大解釈」してはいません。
判決要旨では、「番組制作者の編集の自由と、取材対象者の自己決定権の関係は、取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して、取材者の言動などにより取材対象者が期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、編集の自由も一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきだ。」とあり、これは納得できる内容だと思います。
というか、以前、小泉内閣のときに朝日は偏向報道しているから自民党は取材を受け付けない、とかいうことがあったと記憶してますが、産経はこれをどう考えるのでしょう?
ところで、「南京の真実」製作について中国が言及したりすると「誰かがご注進した」と嬉しそうに語るネトウヨさんを見かけますが、私としては統一協会安倍や核保有中川に放映前のNHKの番組内容をご注進したのが誰かの方が気になりますね。
NHK内に統一協会の仲間でもいるのでしょうかね?
NHK番組改変訴訟 判決理由の要旨
2007年01月29日20時47分
東京高裁が「NHK番組改変訴訟」控訴審で29日、言い渡した判決理由の要旨は次の通り。
【国会議員等との接触等】01年1月25~26日ころ、担当者らは自民党の複数の国会議員を訪れた際、女性法廷を特集した番組を作るという話を聞いたがどうなっているのかという質問を受け、その説明をするようにとの示唆を与えられた。
26日ごろ、NHKの担当部長が安倍官房副長官(当時)と面談の約束を取り付け、29日、松尾武放送総局長らが面会。安倍氏は、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。
【バウネットなどの本件番組についての期待と信頼】一般に、放送事業者が番組を制作して放送する場合、取材で得られた素材を編集して番組を制作する編集の自由は取材の自由、報道の自由の帰結としても憲法上も保障されなければならない。これが放送法3条の趣旨にも沿うところで、取材過程を通じて取材対象者が何らかの期待を抱いても、それによって番組の編集、制作が不当に制限されてはならない。
他方、取材対象者が取材に応ずるか否かは自由な意思に委ねられ、取材結果がどのように編集・使用されるかは、取材に応ずるか否かの決定の要因となり得る。特にニュース番組とは異なり、本件のようなドキュメンタリー番組または教養番組では、取材対象となった事実がどの範囲でどのように取り上げられるか、取材対象者の意見や活動がどのように反映されるかは取材される者の重大関心事だ。番組制作者の編集の自由と、取材対象者の自己決定権の関係は、取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して、取材者の言動などにより取材対象者が期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、編集の自由も一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきだ。
ドキュメンタリージャパン(DJ)の担当者の提案票の写しを交付して説明した行為、バウネットの協力などにかんがみれば、バウネット側が、番組は女性法廷を中心的に紹介し、法廷の冒頭から判決までを概観できるドキュメンタリー番組かそれに準ずるような内容となるとの期待と信頼を抱いたと認められる。
【バウネット側の期待と信頼に対する侵害行為】放送された番組は加害兵士の証言、判決の説明などが削除されたため、女性法廷の主催者、趣旨などを認識できず、素材として扱われているにすぎないと認められ、ドキュメンタリー番組などとは相当乖離(かいり)している。バウネット側の期待と信頼に反するものだった。
01年1月24日の段階の番組内容は、バウネット側の期待と信頼を維持するものとなっていた。
しかし、同月26日に普段番組制作に立ち会うことが予想されていない松尾総局長、野島直樹国会担当局長が立ち会って試写が行われ、その意見が反映された形で1回目の修正がされたこと、番組放送当日になって松尾総局長から3分に相当する部分の削除が指示され40分版の番組を完成されたことなどを考慮すると、同月26日以降、番組は制作に携わる者の制作方針を離れた形で編集されていったと認められる。
そのような経緯をたどった理由を検討する。本件番組に対して、番組放送前にもかかわらず、右翼団体などからの抗議など多方面からの関心が寄せられてNHKとしては敏感になっていた。折しもNHKの予算につき国会での承認を得るために各方面への説明を必要とする時期と重なり、NHKの予算担当者や幹部は神経をとがらせていたところ、番組が予算編成などに影響を与えることがないようにしたいとの思惑から、説明のために松尾総局長や野島局長が国会議員などとの接触を図った。その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされたというもので、時期や発言内容に照らすと松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。
なお、原告らは政治家などが番組に対して指示をし介入したと主張するが、面談の際、政治家が一般論として述べた以上に番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、証人らの証言によっても認めるに足りない。
バウネット側は、中川昭一議員が事前にNHKに対し放送中止を求めたと主張し、同議員はフジテレビ番組でアナウンサーの質問に対し、放送法に基づき公正に行うべきことをNHKに申し入れたと発言するなど、事前のNHK担当者との接触をうかがわせる発言をしている。しかし、同議員はこのインタビューでは01年2月2日に会ったことを明言しており、同議員が番組放送前にNHK担当者に番組について意見を述べたことを認めることは困難だ。
【説明義務違反】放送番組の制作者や取材者は、番組内容や変更などについて説明する旨の約束があるなど特段の事情があるときに限り、説明する法的な義務を負う。本件では、NHKは憲法で保障された編集の権限を乱用または逸脱して変更を行ったもので、自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しく、原告らに対する説明義務を認めてもNHKの報道の自由を侵害したことにはならない。
バウネットには番組の内容について期待と信頼が生じた。被告らはそのことを認識していたのだから、特段の事情がある。
番組改編の結果、当初の説明とは相当かけ離れた内容となった。バウネットはこの点の説明を受けていれば、被告らに対し番組から離脱することや善処を申し入れたり、ほかの報道機関などに実情を説明して対抗的な報道を求めたりすることができた。
◇
朝日新聞はNHK番組改変問題の報道で「改変」と表記していますが、判決理由要旨では判決文の表記に従って「改編」を使用しました。
何かが、かわいそうな人たち
かわいそうな人たちが集まっているBlog
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/
いや、なんかもう、いろんな意味で・・・。
類は友を呼ぶってことかなぁ・・・。
ひとつ、面白いことを言っていた。
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/bd15e2d9600b051a80161c301d904a37
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靖国神社代行施設案より抜粋:
http://www11.plala.or.jp/jins/newsletter2004-2.files/benkyokai2004-2.htm
1994年、中国のかつての李鵬首相がオーストラリアで、ハワード首相に向って
「今の日本の繁栄は一時的なものであだ花です。
その繁栄を作ってきた日本人がもうすぐこの世からいなくなりますから、
20年もしたら国として存在していないのではないでしょうか。
中国かあるいは韓国ないしは朝鮮の属国にでもなっているかもしれません」と言ったのです。
アジア経済人懇話会会長 前野 徹
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こんなことあったんかいな?と思って、ソースを調べてみようととりあえず、李鵬とハワードの経歴から調べてみた。李鵬のオーストラリア訪問の時期とか会見でそういう記録があるかな、また都合のいい誤訳とかじゃないかな、と思ったんですが。
とりあえず、WIKIから。
李鵬:中国国務院総理 1988-1998
ふむふむ。
ジョン・ハワード:オーストラリア首相 1996-現在
ん?
「1994年、中国のかつての李鵬首相がオーストラリアで、ハワード首相に向って」
1994年時点で、ハワードさんは首相じゃありませんでした・・・
調べるの、やーめたっと。
誤訳どころか創作?よくわからん。単なる誤記か?でもこれじゃソースをたどれない・・・
元ネタとなった日本国家戦略研究所
は、色々勘違いしている「憂国の士」が集まってる愉快なところみたいです。離れたところから見ている分には楽しいかもしれません。子供が指を指したりした注意してあげましょう。
田中上奏文(田中メモランダム)について
えーと、田中義一内閣の時に天皇に奏上された日本の大陸征服計画と、言われているものです。
ネットで調べてみたところ(WIKIとか)、偽書だそうです。
ネトウヨの皆さんは、ほら見ろやっぱり中国は嘘つきだ、みたいな反応ですね。
「日本は侵略などしていない」などと香ばしい限りです。
出所は、ソ連だとかいう記載がネット上では多いのですが、なんとも言えないですね~。それこそ当時の日本の右翼が上奏文を擬して作成したのを中国側が入手して勘違いした、ということもありそうですし。
国家規模でやったのか、民間有志がやったのか、もわかりません。
当時の中国に数多あった民間抗日組織の一つが偽造したのが広まった、とかいうのが一番ありそうですけど。
日本の上奏文なのに、日本原文が現存しない、とか考えるとそりゃ偽書でしょ、と言う感じです。
だからと言って、中国国民党や中国共産党が(それも国家レベル)常に偽造しているわけではないのですけどね。
実際、日本でも似たようなことがあります。
「盧溝橋事件、中国共産党主犯説」の根拠に用いられている、中国人民解放軍の『戦士政治課本』なるテキストに、「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」と書いてある、というものです。
ちなみに「戦士政治課本」なるテキストにこのような記載があるかどうかは、現在のところ不明です。
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html##kasai
偽書の可能性は高そうに思います。
結局のところ、偽書なんて物は歴史の上ではよく存在してますし、偽書でなかったとしても記載が全て信用できるわけでもないでしょう。
「田中上奏文」に戻ると、別に日本の侵略の証拠は「田中上奏文」だけじゃないですからね。
実際に、張作霖を殺し、満州事変を起こし、熱河に侵攻し、冀東政府を作り、華北・上海に侵攻して、傀儡政権を作っているわけです。
「田中上奏文」が偽書でも、実際の行動を見れば「日本は侵略などしていない」などとは言えないですね。
みなみきょうだいぎゃくさつ
南京大虐殺をこう読んだ私は疲れてます。
京大の南で、虐殺?教養学部あたりか?吉田寮かも?いや熊野寮?とかいうローカルなボケはどうでもいいんですが。
今年は南京事件(1937/12/13~)から70年目ということで、関連映画がたくさん作られるようです。楽しみです。
で、ネトウヨの皆さんはこういうのを作るらしいです。
どんなんかな~。架空戦記物?
昔、「プライド」とかいう映画ありましたね~。映画館行きましたよ、暇つぶしに。観客も少なくて、よく眠れました。催眠効果は、「ヤマトタケル」に匹敵します。
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ビッグコミックで「山口六平太」を描いてる高井研一郎氏の自伝的な漫画。
高井氏は、1937年、佐世保生まれで1歳のときには上海にいたそうです。とすると、第二次上海事変が終了した1937年11月よりちょっと後、という時期か。漫画の舞台は、1941年。当時3歳か4歳出会った高井氏が、1944年に上海を引き揚げ、佐世保で暮らし1945年に終戦を迎えるまでの話である。
書籍商とやっていた父(内山書店とも関係があったらしく、店も上海にあった内山書店と近かったらしい、てことは今の魯迅公園の近くかな)とか、インド人の交通警官、爆弾テロなど、日本占領下の上海の雰囲気ってこんな感じだったのかな、と。
ただ、1941年12月からは太平洋戦争が始まっているのだが、その後もインド人警官いたのかな?よくわからん。
戦時中の話ながら、この人の作品らしく殺伐とした雰囲気がなくて、よい。
さすがに全部記憶ではなく後日親から聞いた話など脚色が入っているだろうが、別の本(ボクの満州―漫画家たちの敗戦体験 )でも、同様の体験談を語っていることから、多くは自分の体験なのだろう。
この上海漫画や体験談から判断すると、高井氏はそれほど苦労してはいない様子。というと、怒られるかも知れないが、実際1944年まで上海にいたことで内地ほどの物資不足に悩まされることもソ連参戦後の引き揚げの混乱にも遭わずに住んでいる。父親も招集されたが、本土決戦用部隊で実際にまともな戦闘には巻き込まれてないだろう。そういう意味で、あくまでも比較的、です。
どちらかというと、上記「ボクの満州」に描いている北見けんいち氏(釣りバカ日誌の人ね)の方が、満州生まれで父親はシベリアに抑留されたり、と大変だったみたい。
この高井氏と北見氏は仲がいいみたいで、そのエピソードも「上海ワンダーランド」の中に短編として収録されいます。
産経症・ついに産経は民主主義すら否定し始めた(前からしてたかな?)
さすが産経、またしてもけったいなことをおっしゃる。
「”戦後”民主主義」とまるで普通の民主主義とは異なるかのようなレッテル貼りと印象操作によって、今度は民主主義すら否定し始めたよ。
【正論】拓殖大学教授・藤岡信勝 リンカーン演説と「戦後民主主義」
拓殖大学教授 藤岡信勝氏
■「人民の政府」と誤訳する思想の限界
≪「人民の政府」とは何か≫
1863年、アメリカ南北戦争最大の激戦地ゲティスバーグで、リンカーンは戦死者を顕彰する短い演説を行った。その末尾の一文に「人民の、人民による、人民のための政府」というフレーズが使われたが、これはその後民主主義の本質を簡潔に示す名文句とされ、戦後の日本でも学校で繰り返し教えられてきた。確かにこのフレーズは、民主主義的な性格の政府が有する3つの側面を〈of by for〉の3つの前置詞の働きによって見事に表現したものである。
だが、1990~91年の湾岸戦争で、日本が国家の体をなしていないことを痛感した私は、その原因を戦後教育の欠陥の問題としていろいろ考えていくうちに、その一つとして右のリンカーンの言葉の本当の意味が全く教えられてこなかったことに気付いた。(1)「人民による政府」は政府をつくる「主体」が人民であることを表現し、(2)「人民のための政府」は人民の利益をはかるという政府の「目的」を示していることには何の疑念もない。問題は、(3)「人民の政府」である。この意味を前2者と重複することなく適切に説明することができるだろうか。不可能である。
★「1990~91年の湾岸戦争で、日本が国家の体をなしていないことを痛感した私」ま、藤岡君の個人的認識にどうこう言うつもりはないけど、なんと言うか具体性に欠ける指摘だよね。どうしてリンカーン演説に結びつくかも、藤岡君の脳内完結に過ぎないし。
★「(1)「人民による政府」は政府をつくる「主体」が人民であることを表現し」違うと思う。人民によって承認された政府、という意味でしょ。
★「(2)「人民のための政府」は人民の利益をはかるという政府の「目的」を示している」これはそのとおり。ただし戦前の日本は、人民のためではなく、天皇のための政府だったわけですが(建前上は)。
★「(3)「人民の政府」である。この意味を前2者と重複することなく適切に説明することができるだろうか。不可能である。」藤岡君にこれを説明する能力がないからと言って、「不可能」だという決め付けは良くない。政府の構成員そのものが、王侯貴族ではなく人民である、という意味の人民の政府と考えることが出来ます。
実は〈government of the people〉を「人民の政府」と訳すのは完全な誤訳なのである。なぜなら、これは「人民を『対象』として統治する政府」という意味だからである。「人民の政府」という日本語の語句をいくらひねくり回してもそういう意味は絶対に出てこない。
★「人民を『対象』として統治する政府」が誤訳だという可能性も当然考慮すべきだと思うが?
≪客体か主体か解釈論争≫
昨年12月16日付の本紙に第22回正論大賞受賞者・佐々淳行氏への「お祝いの言葉」として右の結論だけを書いた。どういうことかとの問い合わせもあったので、少し立ち入って再論したい。
文法的に説明すると、発生的には、まず〈govern the people〉(人民を統治する)という表現が原型にある。次に動詞の〈govern〉を名詞化して〈government〉と変形した。そこで2つの名詞の間の論理的関係を示す必要が生じ、前置詞〈of〉を挿入した。これは「目的格関係」と呼ばれる〈of〉の用法で、どんな小さな英和辞典にも記載されている。要するに原型において「統治する」という動詞の目的語が「人民」であったことを明示しているのである。
★苦しいなあ。じゃあ、「of the people」をつけない「government」はどんな意味になるの?大体、人民以外を統治する政府って何?
ところが、〈of the people〉の解釈をめぐっては戦後日本で2大陣営に分かれた論争が展開された。英語学者・英文学者は当然ながら人民は「客体」であると解釈したが、政治学者・法学者たちは人民を「主体」とする政府、または人民が「所有」する政府と解釈して譲らなかった。例えば「主体」説をとる憲法学者の宮沢俊義氏は、右の(1)と(3)は「厳格には区別できない」と書いた。
≪「戦後民主主義」の呪縛≫
論争の帰趨(きすう)はもちろん「客体」説の圧勝であった。民主主義とは「統治の客体(=人民)が同時に統治の主体でもあるシステム」と定義することもできるのだ。それなのに関係者の顔を立てて結論はあえて曖昧(あいまい)にされた。
★統治の客体が人民なのは、言わなくとも当然の話で、「of the people」にそんな意味を持たすこと自体、意味がない。「Government of the people」は、政府そのものが人民によって構成されること意味しているととるのが自然。藤岡君の解釈は、政府そのものを人民によって構成することに反対な人たちには受けがいいでしょうね。特に世襲政治家にとっては。そう言えば、自民党にはいっぱいいますね。
占領下の暫定教科書『民主主義』の訳語を批判された文部省の回答がふるっている。文法的には目的格で訳すべきであることを認めながらも、「それではかえってリンカーンの言葉の本質的性格を失わせるものである」とし、「国民主権をその本質とする民主主義の性格を表すためには当然ofを所有の意味に訳すべき」(朝日新聞、1949年3月1日付)と書いた。文法を無視して言葉の解釈が成り立つとは驚きである。
★「文法を無視して言葉の解釈が成り立つとは驚きである。」別段、文法を無視しているとも思えないのが、一応突っ込んでおくと、どんな人でも、文法を覚えてから言語を取得するわけではない。幼児が成長してしゃべるようになるのは、文法を理解したからではない。実際に使われている言語から法則性を見出し文法とするのである。
★ところで、文法云々、言うのなら、教育勅語も文法的には誤りがある、と言われてますな。
人民が統治の客体であること、すなわち権力行使の対象であるという当たり前の事実を執拗(しつよう)に否定するのは、民主主義と権力は根本的に相いれないと考える日本独特の「戦後民主主義」の観念に呪縛(じゅばく)されているからである。国家イコール悪とされ防衛・治安問題を正面から論じること自体がタブー視された。
★政府の構成員が人民である、ということを執拗に否定するのは、特権階級による政治の独占をしようという「戦前君主主義」の観念に呪縛されているからだろうか。天皇制解消を正面から論じること自体タブー視された。
映画「突入せよ!『あさま山荘』事件」に印象的なシーンがある。役所広司扮(ふん)する現場指揮官の佐々淳行氏は、新聞記者たちが十分焦(じ)れた頃合いを見計らって強行突入のタイミングを決めるよう指示する。「戦後民主主義」の優等生である記者たちの基準で権力行使の時期が少しでも早すぎると感じられれば、警察はマスコミに袋だたきにされるからである。
★「映画「突入せよ!『あさま山荘』事件」」の印象的なシーンは、佐々君は毎日現場の最前線に行ってた筈なのに、鉄球作戦直前まで高圧電線に気がつかなかったシーンだ。ほんとに最前線にいたのかよ?とか画面に向かって突っ込んでしまいました。
北朝鮮による拉致問題を典型として日本社会は「戦後民主主義」の高いツケを払わされてきた。その誤った民主主義理解の克服なくして日本はまともな国家になれないことは明らかである。(ふじおか のぶかつ)
★拉致問題と民主主義を、具体的な論証もなく無理やり結びつけるのは感心しませんねえ。
★藤岡君のいう、「まともな国家」って、例えば北朝鮮みたいな国のことかな?
(2007/01/13 05:34)
産経症・渡部君、誤訳に執着
ネトウヨ大好き渡部君、なんかもう1から10までトンデモになってるなあ。
この人のリットン報告書の解説がトンデモなのは、既に指摘したが 、その後、翻訳部分を読んでみると、誤訳とはいえないまでも少々細工をしているのを見つけた。
以下の部分(全文リットン報告書 第2章)。
日本語(渡部昇一訳):p96
張作霖元帥の死(1928年6月4日)
(中略)
この殺害の責任は今日まで確定されていない。惨事は神秘のベールに覆われているが、当時、この事件は日本の謀略ではないかという嫌疑が起り、すでに緊張していた日支関係に一段の緊張を加えることとなった。
英語:p29
Death of Marshal Chang Tso-lin, June 4th, 1928.
(中略)
The responsibility for murder has never been established. The tragedy remains shrouded in mystery, but the suspicion of Japanese comlicity to which it gave rise became an additional factor in the state of tension which Sino-Japanese relations has already reached by that time.
まあ、張作霖暗殺が日本軍によるものであるのは、現在ではよく知られている事実です。
特に誤訳とまではいえないけれど、「当時」という文言を入れるなら、「当時すでに緊張していた日支関係に~」であって、「当時、この事件は日本の謀略ではないかという嫌疑が起り」とするのはおかしいですね。
「当時」に該当する英文は「by that time」しかないし。
もう一つ。
日本語(渡部昇一訳):p97
若き元帥、中央政府への忠誠を宣言する
こうして張学良と国民党および南京の関係は緊密の度合いを加え、1928年12月、彼は易幟[幟を変えること。満州に国民党の青天白日旗をいっせいに掲げた]を行い、中央政府に対する忠誠を宣言した。そこで「東北辺防軍総司令」に任じられるとともに、内モンゴルの一部、約6万平方マイルの面積をもつ熱河を加えた満洲政権の長官と認められた。
満洲は国民党シナと合体した結果、満洲の行政組織を中央政府のそれと似せるよう多少の変更が必要となり、委員制度が採用され、国民党の各級支部が設立されたが、事実上は従来の旧制度のもとに従来の旧人物が活動していた。
英語:p29
The young Marshal declares allegiance to the Center Government.
He was made Commander-in-Chief of the North-Eastern Frontier Army and was also confirmed as chief of the administration of Manchuria, with the addition of Jehol, a part of Inner Mongolia with an area of about 60,000 square miles.
この節は、本来の英文では、「(彼は)「東北辺防軍総司令」に任じられるとともに、内モンゴルの一部、約6万平方マイルの面積をもつ熱河を加えた満洲政権の長官と認められた。」しかないのに、前後の節の文章の一部をこの節の中に移している。
これも明確に誤訳とは言えないだろうが、原文ままに
「若き元帥、中央政府への忠誠を宣言する
彼は「東北辺防軍総司令」に任じられるとともに、内蒙古の一部、約6万平方マイルの面積をもつ熱河を加えた満洲政権の長官と認められた。」
とした場合に比べて、「事実上は従来の旧制度のもとに従来の旧人物が活動していた」などと付け加えることによって、張学良の満州政権が蒋介石国民政府の一員となった事実が曖昧であるを印象を読者に与えているように思うが、どうだろう。少なくとも本来この節にかかれていた内容に対する印象は変わるだろう。
ちなみに、渡部君は「リットン報告書」解説部分で、「満州は、シナの一部であったことはない」と主張している。彼にとっては、満州の張学良政権が正式に蒋介石の国民党政府に従属したことは認めたくない事実なのだろう。
どうも、渡部君はこういうことをする人らしい。
他にも、日本とシナ―1500年の真実/渡部 昇一 とかで、自らのトンデモを披瀝しているようですが(おさかな日記/『日本とシナ』とりあえず感想 で紹介されてます。)
そういったことを踏まえて、1月9日の産経・正論(笑)を見てみよう。
【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 先祖の恥をそそぐ意志持て
上智大学名誉教授・渡部昇一氏
■東京裁判の不当さなぜ認めない
≪チャーチルの偉業≫
チャーチルについては少しばかり複雑な感情をもっている。何しろ日本を望まざる大戦に追い込んだ張本人の1人である。憎しみの感情を抱かざるをえない。と同時に、一個人として見る時、20世紀第一級の人物の1人として尊敬せざるを得ないからである。この人の言行や伝説から教えられることは実に多いが、特別に私に感銘を与えたのは、彼が自分の先祖のモールバラ公の汚名をそそぐために、約5年の歳月をかけて、各巻600ページの大冊4巻の歴史的伝記を書いたことである。
★「何しろ日本を望まざる大戦に追い込んだ張本人の1人である」はぁ?さすが渡部氏、最初から飛ばしている。一体どんな妄想を抱いているんだろう?
モールバラ公は17~18世紀の天才的軍人でブレニムの戦いで大勝し、ルイ14世の野望を挫(くじ)くのに力があった。しかしフランスに逃亡していたジェイムズ2世と連絡し、祖国イギリスを裏切る行為があったとされていた。マコーレーの『英国史』の中で、モールバラはコテンパンに批判されていた。何しろマコーレーは蓋世(がいせい)の大歴史家であり、その『英国史』はイギリスの読書階級の必読の書とも考えられていたから、チャーチルは自分の先祖を恥じながら成長したわけである。ところがチャーチルは還暦を迎える少し前に、父の友人であったローズベリー伯爵(首相でもあり読書人でもあった)から、モールバラ公の裏切り説を否定する文献がフランスにあることを示唆された。チャーチルは躍り上がって喜び、若き俊秀モーリス・アシュレーらを助手とし、リンデマン教授らの助けを得て、自国とフランスの文献やヨーロッパの戦跡を徹底的に調べ上げ、見事に先祖の恥をそそぐことに成功したのであった。4巻二千数百ページに及ぶ大著はその結果である。1953年(昭和28年)に政治家として最初のノーベル文学賞を与えられたのには、この著述が大きな役割を果たしたといわれた。
★文献を発掘し真っ当に研究した結果として、恥をそそげたなら重畳なことですがね。恥をそそぐこと自体を目的として、都合のいい文献だけを集めるのでなければよし。
≪自衛のための戦争≫
さてひるがえってみると、日本国民も長い間、侵略国として東京裁判により断罪されたために、肩身の狭い思いをしてきた。しかしその東京裁判なるものは、国際法には一切関係なく、マッカーサー司令部の決めた条例(憲章)にもとづき、ポツダム宣言の条件を無視して行われた占領行政であった。
★肩身が狭いのは、旧日本軍を実情以上に美化しようとしている人たちだけじゃん。侵略の歴史を反省して60年間おおむね平和であったし、平和のための活動の実績は誇っていいわけだし。
しかも東京裁判の法源ともいうべきマッカーサー元帥自身がアメリカ上院の軍事外交合同委員会という公式の場で「従って日本が戦争に突入した目的は主として自衛(セキュリティー)のために余儀なくされたのであった」と証言している。これはチャーチルが「カーマレー湾書簡」が偽書であることを発見して、先祖モールバラ公300年の恥をそそいだのにも似た証拠で、戦後60年の日本の恥をそそぐに十分な証拠であると考えられる。
★別エントリ
で指摘したが、securityを「自衛」と訳すこと自体、誤訳。原文はこれ。
「They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」前半で国内の失業者に対する懸念を述べていることを考慮すれば、後半のsecurityは国内の治安悪化の防止、という意味でのせいぜい「保安」程度の訳しかできないだろう。大体、警備会社だってSecurity Serviceと訳すけど、これを自衛なんて言いません。まして国家間の安全保障みたいなのって深読みのしすぎ。
★「戦後60年の日本の恥をそそぐに十分な証拠であると考えられる」なんて言ってると恥かくよ。
★100億光年ほど譲って、マッカーサーがそう言ったとしても、それが事実とは限らないし。
≪「裁判」と「判決」の間≫
ところが、このマッカーサー証言が報告されても喜ばない日本人、また無視し続ける日本人有識者が多いのはどうしたことだろう。チャーチルが先祖を愛したほどの愛を、自分の国の歴史に持たないのであろうか。
★こたえ:誤訳だから。
★しかし渡部君、英語学が専攻のはずなんだが。
それどころか「日本はサンフランシスコ条約で東京裁判を受諾して国際社会に復帰したのだから、その第11条を守る義務がある」という詭弁(きべん)を弄(ろう)する大新聞や学者や政治家がうようよいるのはどうしたことか。例の第11条には「東京裁判の諸判決を受諾し実行する」とあるが、日本はその諸判決は忠実に実行して片づけている。しかし日本は「裁判」などに納得したとは言っていないのだ。「判決」には敗戦国だから従わざるをえなかっただけである。「裁判」と「判決」を混同するのは敗戦利得者たちの悪質な詐術である。有り難いことに最近戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏は「裁判」とその「判決」の違いを誰にもわかるように示してくれた。
★うわ・・・、「裁判」と「判決」は違うとか言い出したよ。すると、日本政府は「裁判」に納得してないのに、刑を執行した、と。死刑だっているのに・・・。無罪で法的根拠がないのに、殺したんだ・・・。って、本気で考えているのかね?
★「「裁判」と「判決」を混同するのは敗戦利得者たちの悪質な詐術である」裁判認めずに判決認めるってのは、日本政府は無罪の日本国民を殺害することを認めた、ってことだよ。わかってんのかしら?
戸塚氏はスクールの生徒を死なせたということで傷害致死罪という告発を受け、それにもとづく裁判の判決を受けて服役した。刑務所に入る時、戸塚氏は「懲役判決を受けたので国民の義務を果たして参ります」と言った。刑務所の中で彼は規則をよく守る模範囚だった。当然、刑期を短縮して仮釈放されるはずであった。しかし戸塚氏は仮釈放されることをことわった。というのは仮釈放されるためには罪を認めて「悪うございました」と言わなければならない。戸塚氏は業務上の過失致死でならいくらでも謝ることができたが、傷害致死や監禁致死という裁判を認めることはできなかったのだ。東条英機被告たちも東京裁判を否定し、あれは自衛戦であったと言いながら(後のマッカーサーの意見と同じ)、判決には服したのである。(わたなべ しょういち)
★「東条英機被告たちも東京裁判を否定し、あれは自衛戦であったと言いながら(後のマッカーサーの意見と同じ)、判決には服したのである。」いやだからマッカーサーのは誤訳だって。ところで戸塚氏の「傷害致死や監禁致死を認めない」言や東条英機の「あれは自衛戦であった」言を支持して擁護するのなら、オウムの麻原だって擁護できちゃうよな。「あれは宗教活動であったと言いながら、判決には服した」とか。
★結論としては、渡部氏のトンデモ史観炸裂が面白いとしか言えない。しかし、これだから産経は止められない(既に中毒症状が・・・)。
(2007/01/09 05:12)