流離の翻訳者 日日是好日 -37ページ目

流離の翻訳者 日日是好日

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

吉田二本松町の下宿は、通りに面した母屋の二階、三室の真ん中にある四畳半の部屋だった。両隣には、医学部の5回生と理学部・数学科の3回生という硬派な学生が住んでいた。

 

下宿の窓からは吉田山や京都の古い町並みが見えた。机、椅子、本棚、炬燵、冷蔵庫、カラーボックスなどが届くにつれ、次第に自分の部屋らしくなっていった。

 

平日の朝・昼・夜の食事は大学生協の食堂で済ませた。おおよそ300円くらいで食べることができた。しかし、土曜の夜と日曜は生協が営業していないため、吉田界隈で食事をする店を探した。

 

「小料理〇〇」という店を見つけて入ってみると、女将さんに「学生さん向けの食堂なら、通りを南へ下がったところにぎょうさんありますし」と教えられた。そこで初めて、「小料理屋は食堂ではない」ことを知った。

 

 

そうして訪れたのが、「喜楽飯店」という中華料理屋だった。メニューは最初に中国語で書かれ、その後ろの(    )内に日本語が添えられていた。

 

よくわからなかったので、「柳麺(ラーメン)」を注文した。値段は300円ほど。店員の中国人が「ヤナギ!イー!」と厨房に向かって叫んだ。「イー」は中国語で「1人前」という意味だった。

 

しばらくして運ばれてきた「ヤナギ」は、マルタイの棒ラーメンに具をのせたような一品だったが、不味くはなかった。ただ、豚骨ラーメンしか知らなかった私には、やや物足りなく感じられた。

 

ある日、同じクラスの友人と「喜楽飯店」で食事をすることになった。実のところ、私は中華料理といえばラーメン、炒飯、餃子、酢豚くらいしか知らなかった。四国・松山出身の彼は、席に着くなり開口一番「中華丼!」と注文した。つられて私も「僕も中華丼!」と頼んだ。

 

実は、それまで「中華丼」なるものを食べたことがなかった。飯の上にラーメンや餃子が乗った妙なものを想像していたが、実際に運ばれてきたのは、丼にたっぷり盛られたご飯の上に「八宝菜」がかかった一品だった。そして、それは驚くほど美味しかった。様々な野菜と豚肉のほかにレバーも入っており、空腹の学生の胃袋を満たすスタミナ満点の料理だった。

 

「喜楽飯店」には、三田村邦彦に似た若い料理人がいた。腕が良く、何を食べても美味しかったが、とりわけこの中華丼は絶品だった。しかし、残念ながら私の在学中に料理人が変わり、味が落ちてしまった。あの「中華丼」は二度と食べられなくなり、「喜楽飯店」からも次第に足が遠のいていった。

 

 

大学を卒業した後、店は閉店してしまったようで、店の跡も、あの料理人の消息もわからない。それ以来、あの「幻の中華丼」は、私が生涯でぜひもう一度食べたいものの一つとなっている。こうなったら、いっそ「探偵ナイトスクープ」に依頼するしかないかもしれない。

 

 

 

 

 

以下は「英文表現法」から「下宿から眺めた春の町並み」に関する文章である。

 

(問題)

下宿の窓から外を眺めると、暖かい日差しをうけた畑地から、靄がゆらゆらと立ちのぼり、遠く神社の森や、南側の斜面の新しい町並の中に目立つ、赤い教会の塔はその軟らかい大気の中に、かすむように漂っている。春も次第次第に深まり、これで、色づきはじめた桜のつぼみがほころんで、そして、一夜の雨風に散ってしまえば、あとはただ、濃い緑と輝く日射しの初夏へと、移り変って行くばかりだ。(柴田 翔)

 

(拙・和文英訳)

Looking out from the window of the rooming house, I see a haze rising slowly from the fields under the warm sunlight. The distant forest around the shrine and the red church tower standing out in the new townscape on the southern slope are shimmering faintly in the soft air. As spring deepens gradually, cherry blossom buds begin to change the colors. Once the buds open and are scattered by one night wind and rain, the season alone moves to the early summer with deep greenery and bright sunshine.

 

つん読(積ん読)は、入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉であるが、「知的生産の技術」にもう一つの「つん読法」について書かれていた。

 

「読まないでつん読のではなくて――もちろんそれもたくさんあるが――いっぺん読んでから積んどくのである。読み終わって、鉛筆で印をつけた本は、しばらく、書斎の机の上に文字どおり積み上げてある。先に述べた、傍線にしたがってのノートつけは、読んだあとすぐではなくて、数日後、または数週間後に行うのである。その間、本の現物は、目の前に積んどかれる。」

(梅棹忠夫著「知的生産の技術」p.110)

 

 

「古書への旅」を始めてはや5か月。いっぺん読んで傍線をつけた専門書は増えてきた。面白かったと思えるものについて、しばらくしたらノートつけを始めたいと思っている。

 

まずは「入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態」のものをいっぺん読むことを先に進めたいと思う。とりあえず、先日書いた「サイコパス」に関連しての以下の書籍を読み始めた。

 

①「入門 犯罪心理学」原田隆之著/ちくま新書

②「診断名サイコパス」ロバート・D・ヘア著/ハヤカワ文庫

③「平気でうそをつく人たち」M・スコット・ペック著/草思社

④「良心をもたない人たち」アーサ・スタウト著/草思社文庫

 

①は読み終わり、現在②③④を同時並行的に進めている。実例の中で少しずつサイコパスの本質が見えつつある。

 

 

 

 

 

上洛したばかりの頃は、この4年間は京都の名所をしっかり観てやろうと思っていた。当時入ったサークルが「京都を歩く会(京歩会)」というものだった。

 

最初は和辻哲郎の「古寺巡礼」のような硬派なサークルだと思っていたが、果たしてその実態は……、週末ごとに女子大や短大と合ハイを重ねるだけの超軟派な輩たちの集まりだった。

 

新歓コンパにはとりあえず参加したが、軟派をしまくる先輩たちや酔った女子大生たちの行儀の悪さに私の理想の女性像は粉々に破壊された。また年上の女性が酔うと手が付けられないことがわかった。

 

「京歩会」は新歓コンパ終了後に即退会し、以来京都の名所をわざわざ訪れることは少なくなっていった。

 

 

当時「何時でも行ける」と思っていたところで実際に行ったところは殆どない。時間はいくらでもあったはずだが、京都の4年間、大した名刹をめぐることができなかったことが今も心残りとなっている。

 

いつの日かゆっくりと京都を旅して、心行くまで寺社仏閣などめぐることができればと思っている。

 

 

 

以下の京大の過去問は、そんな京都の文化財についての私の気持ちに通じるものである。

 

(問題)

私たちは、周囲にあまりにもたくさんある文化財になれっこになって、その存在を当然のように思いがちである。しかしほんとうは、一つ一つの文化財は、それを維持するために尽くしてきた数多くの人々の多年の努力の結晶なのだ。文化財をおろそかにすることは、そうした人々の努力をないがしろにすることであるという事実を忘れてはならない。

(2002年 京都大学)

 

(拙・和文英訳)

We have become so familiar with many cultural properties around us that we are liable to easily think that they exist around us as a matter of course. However, to tell the truth, each of those cultural properties is the fruit of long years’ efforts by the people who have devoted themselves to maintaining them. We must keep it in mind the fact that we might as well make light of such people’s efforts as neglect those cultural properties.

 

花粉が飛散し桜が開花する中、進学や就職また転勤などの準備で何かと慌ただしい時期となった。まさに「旅立ちの季節」を迎えている。

 

 

 

今から45年前。英和辞典とラジカセだけを抱えて下宿探しに上洛した。過保護だったのか母と祖母が京都までついてきた。出町柳から一乗寺まで始めて乗った京福電鉄など、まるで昨日のことのように思い出す。

 

(京福電鉄・元田中付近)

 

 

結局、下宿は大学のそばの吉田二本松町に決まった。大学まで徒歩5分くらいの四畳半一間の間借りだった。それから二年間、下宿のおじさんやおばさんには随分とお世話になった。

 

 

大学に入学して教養部での授業が始まったとき、新しいドイツ語の辞書や英語・数学のテキスト、その他多くの専門書が揃い始めに新しい世界にワクワクしながら日々を送っていた。

 

それにしても数学のテキスト「位相解析入門」は難解極まるものだった。自分の無知というより、高校数学と大学数学のギャップに愕然とした。

 

もっと真面目に素直な気持ちで授業に取り組んでいたら違った未来もあったかも知れない。今になってそんなことを思う。

 

 

 

以下は「英文解釈難問集」から京都府立医科大学の過去問である。「受験勉強の知識は大海の一滴のようなもの。自分の無知を謙虚に受けとめなさい。」と説いている。

 

 

 

(問題)

We quit the school of our youth for the great arena of life and we are amaze to find how little we really know. We speedily learn that our knowledge is but a drop, while ignorance is sea. If we are brought into contact with cultured and thoughtful people, we are humbled, if not indeed ashamed, of the multitude of things concerning which we are painfully ignorant.

(京都府立医科大学・1978年以前)

 

 

(拙・英文和訳)

我々は、青春という学校を去って人生という偉大な舞台にのぼる。そして、自分がほとんどものを知らなかったことに気づき驚くのだ。我々は、自分たちの知識がほんの一滴であることに対し、自分たちの無知が大きな海の如きであることを学ぶのである。我々が、教養があり思慮深い人々と接触するとき、我々は、我々が痛々しいほどに無知である多くの事柄について、実際恥じ入ることはないにしても、謙虚になるのである。

 

昨年の秋に植えた20本のチューリップの1本が黄色い花を咲かせた。また小さな家庭菜園では紅菜苔(コウサイタイ)が黄色い花を咲かせている。こちらは日々春らしくなっている。

 

 

 

今までの人生の中で「サイコパス」と呼べるような人間を二人知っている。それも二人とも同じ部門に同時期に所属していた。もう20年以上前のことだが二人とも男性、私より年下だった。

 

「サイコパス」についてはその当時用語すら知らなかった。とにかく二人とも仕事の要領がよく狡猾な人間で気がつけば彼らに利用されていたこともあった。自分の業績のためには何でもやるような輩だった。

 

幸い私は酷い被害は受けなかったが結局二人とも転職していった。今は転職先でそれなりのポジションに就いているのではないだろうか。まあ二人とも二度と付き合いたくない連中である。

 

 

東野圭吾の長編小説「白夜行」唐沢(西本)雪穂「幻夜」新海美冬には、単なる悪女というだけではなくサイコパスの傾向がみられる。

 

 

数年前「サイコパス」に関心をもって何冊か専門書を購入した。最初に読んだものが原田隆之著「サイコパスの真実」というものである。

 

同書の扉にこんな文章がある。

 

「……彼らは、他者の権利や尊厳を考慮せず、自己の利益のみに関心があり、平気で嘘をついたり、冷酷な仕打ちをしたりする。失敗を他人のせいにし、些細なことで怒りを爆発させ、攻撃的な言動を取る。彼らの行動は予測不能で、ときに理解しがたい衝動的な行動に出る。」

 

 

 

幼い頃、漫画などを読んでいると登場人物の声が何となく頭の中で流れていた。登場人物の容姿や性格から勝手に創作されたものだったのだろう。

 

漫画がアニメ化されて声優の声が自分の想像と大きく異なったりすると、当初何となく違和感を覚えていた。大人になってそんな感性も何処かへ行ってしまった。

 

 

中野信子さんの「脳の闇」を読み終えた。専門書なみに難しい内容だった。同書の第八章「言語と時間について」に不思議な話がでてくる。「双子語」(cryptophasia)「個人語」(idiolect)というものだ。

 

 

「双子語」は、双子の間でのみ独自に使用される言語のことで、双子にしか通じない独特の単語や文法体系を持つものである。通常は比較的幼いうちに消失してしまうようだが10歳前後まで「双子語」を使い続けることもあるという。

 

もう一つの「個人語」は個人特有の言語の用法のことをいう。文字言語だけでなく、発話にもみられ、文法、発音にまでも独自の用法が使われているらしい。「方言」が主として地域的に限定されたある集団の間で共有されている言語的特徴であるのに対し、個人語はこれとは別物であると説明される。

 

言語は、文の構成、単語の選択、文体の表現などの要素が含まれるが、個人語では、これらの要素が固有の用法により使い分けられている。人はそれぞれ、使用する言語、社会経済的な地位、地理的な位置によって、固有の個人語を持っている。

(以上、中野信子著「脳の闇」p.228-230より引用)

 

 

果たして自分も「個人語」を使って文章を書き、話をしているのだろうか?であるとすれば、想定される読み手、聴き手により多少活用変化させているものであるように思う。

 

 

同書には釈迦の教えや西洋の哲学者の理論なども随所に引用されており、著者の教養の深さには恐れ入るばかりである。

 

まだ幼稚園くらいの頃にこんな思い出がある。

 

父母と街に買い物に出かけた時、ある大きな看板を見た。その看板には南の無人島の砂浜に私と同じくらいの歳の現地人の男の子が座っているものだった。辺りには誰もいない。男の子独りだけだった。

 

既に夕闇が迫っており、椰子の木が見える海岸の上には美しい夕焼けが拡がっていた。なんとこの看板を見て私はわんわん泣き出したのである。

 

両親に無人島に置いてきぼりにされた男の子を想像して、それが自分と重なってしまったからである。父母とも随分不思議に思っただろう。

 

 

 

数年前、下重暁子さんの「極上の孤独」がベストセラーになった時期があった。読んでみると、著者のアナウンサーやキャスターの経験からか非常に読みやすい日本語で書かれており、とくに山口百恵と安室奈美恵を対比させた件(くだり)など「なるほど…!」と感心させられた。

 

今回、同書の「はじめに」から一節を以下に引用する。実に印象的な文章だ。

 

 

「一人の時間を孤独だと捉えず、自分と対面する時間だと思えば、汲めども尽きぬ、ほんとうの自分を知ることになる。自分はどう考えているのか、何がしたくて何をすべきか、何を選べばいいか、生き方が自ずと見えてくる。孤独ほど贅沢な愉悦はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると、内側から品も滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達出来る境地が『孤独』である。」

(下重暁子著「極上の孤独」より引用)

 

 

 

以前、新聞で「英語のlonelinessとsolitudeは日本語に訳すとどちらも『孤独』だが、英語では明確に意味が分かれている」という記事を読んだことがあった。その記事ではloneliness「寂しさを伴う否定的な孤独」であり、一方でsolitude「積極的に一人になるという肯定的な孤独」を意味すると結んであったが、果たして本当にそうなのか?

 

 

本Articleでは、この「孤独」を意味する2つの単語、lonelinesssolitudeに焦点をあて、その比較を行い若干の考察を試みる。

 

まず日本語の「孤独」の意味を調べる(広辞苑)。

「孤独」:

①孤児と老いて子なき者。

②仲間のないこと。ひとりぼっち。

 

漢字「孤」はそれ自体で孤児、すなわち父に死に別れた子の意味を表す。(漢字源)。

 

 

次に、英英辞典で2つの語、lonelinesssolitudeの定義を確認する。

 

1) Loneliness:

Loneliness is the unhappiness that is felt by someone because they do not have any friends or do not have anyone to talk to.

「友だちや話しかける人が居ないために人が感じる悲哀(不幸な気持ち)」

 

2) Solitude:

Solitude is the state of being alone, especially when this is peaceful and pleasant.

「一人で居る状態のことで、特にそれが安らかで心地よいときの状態」

 

さらにこんな格言があった。

 

Language has created the word “loneliness” to express the pain of being alone. And it has created the word “solitude” to express the glory of being alone.

Paul Johannes Tillich

「言語は一人でいることの痛みを表現するために“loneliness”という語を創り、また一人でいることの恵みを表現するために“solitude”という語を創った」

パウル・ティリッヒ(神学者1886-1965)

 

格言が簡潔に表している通り、新聞記事の内容が正しかったことがわかった。

 

今、中野信子さんの新刊「脳の闇」を読んでいる。いつもながら辛辣な内容だが目から鱗が落ちる思いをしばしばする。脳の働きは実に不思議なものだ。

 

今回、同書の第二章「脳は、自由を奪う」から一節を取り上げてその英訳に挑戦してみたい。

 

 

 

 

(原文)

そもそも脳は、怠けたがる臓器である。脳は、人間が身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1を使っている。そのため人間の体は本能的に、脳の活動量を抑えて負荷を低くしようとする。ところが、「疑う」「慣れた考え方を捨てる」といった場面では、脳に大きな負荷がかかるのだ。自分で考えず、誰かからの命令にそのまま従おうとするのは、脳の本質ともいえる。

(中野信子著「脳の闇」p.55より引用)

 

(拙・和文英訳)

In the first place, human brain is an organ which is apt to spare itself. The brain consumes about one-quarter of the total amount of oxygen consumed by the entire human body. For this reason, the human body instinctively tries to restrain the brain activities in order to reduce its load. However, in cases where a person has to “doubt” or “abandon one’s experienced idea,” a heavy load is applied to the brain. Therefore, it can be thought that it is the real nature of the brain to tend to follow someone’s instructions without thinking by itself.

 

社会人になってからは大抵「多数派」(マジョリティ)に属していたつもりだった。それが変わったのが翻訳会社に勤務するようになってからである。

 

 

地場の翻訳部門を有する技術系会社に10年ほど勤務したが、私のような大卒文系は明らかに「少数派」(マイノリティ)だった。周りは殆ど工業系(大学・高専・高校)出身だった。話が合わず何かと苦労した。

 

 

ただ結局のところ、多数派に属していても何か自分の個性を発揮しようとすれば、良きにつけ悪しきにつけ、浮きあがってしまうものである。それが羨望の目で見られたり仲間外れにされたりすることに繋がる場合もある。

 

結論から言えば、他人と自分を比較することはくだらないことである。

 

 

 

以下の京大の問題は、男性中心の会社の中で女性が「マイノリティ」になり得ることを提言したものである。因みにLGBTなど「性的マイノリティ」という言葉が公文書でも使われるようになったのは、2006年7月「モントリオール宣言」以降のことらしい。

 

 

(問題)

「マイノリティ」という言葉を聞くと、全体のなかの少数者をまず思い浮かべるかもしれない。しかし、マイノリティという概念を数だけの問題に還元するのは間違いのもとである。人種あるいは宗教のような属性によって定義づけられる集団は、歴史的,文化的な条件によって社会的弱者になっている場合、マイノリティと呼ばれる。こうした意味で、数としては少なくない集団でもマイノリティとなる。例えば、組織の管理職のほとんどが男性である社会では、女性はマイノリティと考えられる。

(2019年 京都大学)

 

(拙・和文英訳)

If you hear the word “minority,” you might first imagine a small number of people of the whole. Nevertheless, it could be a source of error if you regard the concept of minorities only as a matter of numbers. Groups of people who are defined by the properties, such as races or religions are called minorities if they become socially weak by virtue of historical or cultural conditions. In this sense, even a group of people who is not small in number could be a minority. For example, in a society where most of administrative positions of an organization are occupied by men, women are thought to be a minority.

 

中学生くらいまでは、たまの休暇で父が日中自宅に居ると何かと鬱陶しかった。くだらないテレビ番組を観ていたりブラブラしたりしていると文句を言われた。そんな時は友人の家にしけこむのが得策だった。夕食時に帰宅して家族が揃うと何となくほっとできた。

 

 

父は私にも弟にも厳しかった。幼い頃に父親(私の祖父)を亡くしており、4人の弟たちを従える長男として随分と苦労したらしい。何処かに「父(祖父)のような理想的な父親にならねば」という気持ちがあったように思われる。

 

ただ、父が思い描く「理想的な父親」とは、父が幼い頃の父親(祖父)から創造した虚構の父親像だったのかも知れない。愛情を表現するのが下手な人だった。

 

 

「英文解釈難問集」から京都大学の過去問である。まるで自分のことが書かれているように思えてくる。

 

 

 

(問題)

As a boy, I had been rather frightened of my father, since his ideas of what a healthy boy should like did not agree with mine. The hardships of his childhood had shaped his character in a very special way. His driving ambition was to do what his father would have done if he had lived, and he was inspired by the image which he had made of a father whom he lost when he was a small boy. The image was somewhat larger than life.

(京都大学・1978年以前)

 

 

(拙・英文和訳)

少年の頃、私は父をかなり恐れていた。というのは、健全な男子がどうあるべきか、ということについて、父と私の考え方が一致しなかったからだ。父の少年時代の耐えがたい苦難が、父の性格を非常に特別な方法で形作っていた。父の精力的な野心が、父に自分の父親(私の祖父)が生きていたならば、したであろうようなことをさせていた。そして、父は父が幼い頃に亡くした父親(私の祖父)の偶像に奮起させられていた。その偶像は実物よりもいくぶん偉大なものだった。