社会人になってからは大抵「多数派」(マジョリティ)に属していたつもりだった。それが変わったのが翻訳会社に勤務するようになってからである。
地場の翻訳部門を有する技術系会社に10年ほど勤務したが、私のような大卒文系は明らかに「少数派」(マイノリティ)だった。周りは殆ど工業系(大学・高専・高校)出身だった。話が合わず何かと苦労した。
ただ結局のところ、多数派に属していても何か自分の個性を発揮しようとすれば、良きにつけ悪しきにつけ、浮きあがってしまうものである。それが羨望の目で見られたり仲間外れにされたりすることに繋がる場合もある。
結論から言えば、他人と自分を比較することはくだらないことである。
以下の京大の問題は、男性中心の会社の中で女性が「マイノリティ」になり得ることを提言したものである。因みにLGBTなど「性的マイノリティ」という言葉が公文書でも使われるようになったのは、2006年7月の「モントリオール宣言」以降のことらしい。
(問題)
「マイノリティ」という言葉を聞くと、全体のなかの少数者をまず思い浮かべるかもしれない。しかし、マイノリティという概念を数だけの問題に還元するのは間違いのもとである。人種あるいは宗教のような属性によって定義づけられる集団は、歴史的,文化的な条件によって社会的弱者になっている場合、マイノリティと呼ばれる。こうした意味で、数としては少なくない集団でもマイノリティとなる。例えば、組織の管理職のほとんどが男性である社会では、女性はマイノリティと考えられる。
(2019年 京都大学)
(拙・和文英訳)
If you hear the word “minority,” you might first imagine a small number of people of the whole. Nevertheless, it could be a source of error if you regard the concept of minorities only as a matter of numbers. Groups of people who are defined by the properties, such as races or religions are called minorities if they become socially weak by virtue of historical or cultural conditions. In this sense, even a group of people who is not small in number could be a minority. For example, in a society where most of administrative positions of an organization are occupied by men, women are thought to be a minority.