中学生くらいまでは、たまの休暇で父が日中自宅に居ると何かと鬱陶しかった。くだらないテレビ番組を観ていたりブラブラしたりしていると文句を言われた。そんな時は友人の家にしけこむのが得策だった。夕食時に帰宅して家族が揃うと何となくほっとできた。
父は私にも弟にも厳しかった。幼い頃に父親(私の祖父)を亡くしており、4人の弟たちを従える長男として随分と苦労したらしい。何処かに「父(祖父)のような理想的な父親にならねば」という気持ちがあったように思われる。
ただ、父が思い描く「理想的な父親」とは、父が幼い頃の父親(祖父)から創造した虚構の父親像だったのかも知れない。愛情を表現するのが下手な人だった。
「英文解釈難問集」から京都大学の過去問である。まるで自分のことが書かれているように思えてくる。
(問題)
As a boy, I had been rather frightened of my father, since his ideas of what a healthy boy should like did not agree with mine. The hardships of his childhood had shaped his character in a very special way. His driving ambition was to do what his father would have done if he had lived, and he was inspired by the image which he had made of a father whom he lost when he was a small boy. The image was somewhat larger than life.
(京都大学・1978年以前)
(拙・英文和訳)
少年の頃、私は父をかなり恐れていた。というのは、健全な男子がどうあるべきか、ということについて、父と私の考え方が一致しなかったからだ。父の少年時代の耐えがたい苦難が、父の性格を非常に特別な方法で形作っていた。父の精力的な野心が、父に自分の父親(私の祖父)が生きていたならば、したであろうようなことをさせていた。そして、父は父が幼い頃に亡くした父親(私の祖父)の偶像に奮起させられていた。その偶像は実物よりもいくぶん偉大なものだった。