まだ幼稚園くらいの頃にこんな思い出がある。
父母と街に買い物に出かけた時、ある大きな看板を見た。その看板には南の無人島の砂浜に私と同じくらいの歳の現地人の男の子が座っているものだった。辺りには誰もいない。男の子独りだけだった。
既に夕闇が迫っており、椰子の木が見える海岸の上には美しい夕焼けが拡がっていた。なんとこの看板を見て私はわんわん泣き出したのである。
両親に無人島に置いてきぼりにされた男の子を想像して、それが自分と重なってしまったからである。父母とも随分不思議に思っただろう。
数年前、下重暁子さんの「極上の孤独」がベストセラーになった時期があった。読んでみると、著者のアナウンサーやキャスターの経験からか非常に読みやすい日本語で書かれており、とくに山口百恵と安室奈美恵を対比させた件(くだり)など「なるほど…!」と感心させられた。
今回、同書の「はじめに」から一節を以下に引用する。実に印象的な文章だ。
「一人の時間を孤独だと捉えず、自分と対面する時間だと思えば、汲めども尽きぬ、ほんとうの自分を知ることになる。自分はどう考えているのか、何がしたくて何をすべきか、何を選べばいいか、生き方が自ずと見えてくる。孤独ほど贅沢な愉悦はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると、内側から品も滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達出来る境地が『孤独』である。」
(下重暁子著「極上の孤独」より引用)
以前、新聞で「英語のlonelinessとsolitudeは日本語に訳すとどちらも『孤独』だが、英語では明確に意味が分かれている」という記事を読んだことがあった。その記事ではlonelinessは「寂しさを伴う否定的な孤独」であり、一方でsolitudeは「積極的に一人になるという肯定的な孤独」を意味すると結んであったが、果たして本当にそうなのか?
本Articleでは、この「孤独」を意味する2つの単語、lonelinessとsolitudeに焦点をあて、その比較を行い若干の考察を試みる。
まず日本語の「孤独」の意味を調べる(広辞苑)。
「孤独」:
①孤児と老いて子なき者。
②仲間のないこと。ひとりぼっち。
漢字「孤」はそれ自体で孤児、すなわち父に死に別れた子の意味を表す。(漢字源)。
次に、英英辞典で2つの語、lonelinessとsolitudeの定義を確認する。
1) Loneliness:
Loneliness is the unhappiness that is felt by someone because they do not have any friends or do not have anyone to talk to.
「友だちや話しかける人が居ないために人が感じる悲哀(不幸な気持ち)」
2) Solitude:
Solitude is the state of being alone, especially when this is peaceful and pleasant.
「一人で居る状態のことで、特にそれが安らかで心地よいときの状態」
さらにこんな格言があった。
Language has created the word “loneliness” to express the pain of being alone. And it has created the word “solitude” to express the glory of being alone.
Paul Johannes Tillich
「言語は一人でいることの痛みを表現するために“loneliness”という語を創り、また一人でいることの恵みを表現するために“solitude”という語を創った」
パウル・ティリッヒ(神学者1886-1965)
格言が簡潔に表している通り、新聞記事の内容が正しかったことがわかった。