幼い頃、漫画などを読んでいると登場人物の声が何となく頭の中で流れていた。登場人物の容姿や性格から勝手に創作されたものだったのだろう。
漫画がアニメ化されて声優の声が自分の想像と大きく異なったりすると、当初何となく違和感を覚えていた。大人になってそんな感性も何処かへ行ってしまった。
中野信子さんの「脳の闇」を読み終えた。専門書なみに難しい内容だった。同書の第八章「言語と時間について」に不思議な話がでてくる。「双子語」(cryptophasia)と「個人語」(idiolect)というものだ。
「双子語」は、双子の間でのみ独自に使用される言語のことで、双子にしか通じない独特の単語や文法体系を持つものである。通常は比較的幼いうちに消失してしまうようだが10歳前後まで「双子語」を使い続けることもあるという。
もう一つの「個人語」は個人特有の言語の用法のことをいう。文字言語だけでなく、発話にもみられ、文法、発音にまでも独自の用法が使われているらしい。「方言」が主として地域的に限定されたある集団の間で共有されている言語的特徴であるのに対し、個人語はこれとは別物であると説明される。
言語は、文の構成、単語の選択、文体の表現などの要素が含まれるが、個人語では、これらの要素が固有の用法により使い分けられている。人はそれぞれ、使用する言語、社会経済的な地位、地理的な位置によって、固有の個人語を持っている。
(以上、中野信子著「脳の闇」p.228-230より引用)
果たして自分も「個人語」を使って文章を書き、話をしているのだろうか?であるとすれば、想定される読み手、聴き手により多少活用変化させているものであるように思う。
同書には釈迦の教えや西洋の哲学者の理論なども随所に引用されており、著者の教養の深さには恐れ入るばかりである。