新・英語の散歩道(その56)-「英文解釈難問集」⑦-旅立ちの季節-倉木麻衣「セレンディピティ」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

花粉が飛散し桜が開花する中、進学や就職また転勤などの準備で何かと慌ただしい時期となった。まさに「旅立ちの季節」を迎えている。

 

 

 

今から45年前。英和辞典とラジカセだけを抱えて下宿探しに上洛した。過保護だったのか母と祖母が京都までついてきた。出町柳から一乗寺まで始めて乗った京福電鉄など、まるで昨日のことのように思い出す。

 

(京福電鉄・元田中付近)

 

 

結局、下宿は大学のそばの吉田二本松町に決まった。大学まで徒歩5分くらいの四畳半一間の間借りだった。それから二年間、下宿のおじさんやおばさんには随分とお世話になった。

 

 

大学に入学して教養部での授業が始まったとき、新しいドイツ語の辞書や英語・数学のテキスト、その他多くの専門書が揃い始めに新しい世界にワクワクしながら日々を送っていた。

 

それにしても数学のテキスト「位相解析入門」は難解極まるものだった。自分の無知というより、高校数学と大学数学のギャップに愕然とした。

 

もっと真面目に素直な気持ちで授業に取り組んでいたら違った未来もあったかも知れない。今になってそんなことを思う。

 

 

 

以下は「英文解釈難問集」から京都府立医科大学の過去問である。「受験勉強の知識は大海の一滴のようなもの。自分の無知を謙虚に受けとめなさい。」と説いている。

 

 

 

(問題)

We quit the school of our youth for the great arena of life and we are amaze to find how little we really know. We speedily learn that our knowledge is but a drop, while ignorance is sea. If we are brought into contact with cultured and thoughtful people, we are humbled, if not indeed ashamed, of the multitude of things concerning which we are painfully ignorant.

(京都府立医科大学・1978年以前)

 

 

(拙・英文和訳)

我々は、青春という学校を去って人生という偉大な舞台にのぼる。そして、自分がほとんどものを知らなかったことに気づき驚くのだ。我々は、自分たちの知識がほんの一滴であることに対し、自分たちの無知が大きな海の如きであることを学ぶのである。我々が、教養があり思慮深い人々と接触するとき、我々は、我々が痛々しいほどに無知である多くの事柄について、実際恥じ入ることはないにしても、謙虚になるのである。