兵隊・抑留記(73) 設計図の整備、建造物の実測図の 作成
抑留中期 - その4
鉱山管理局での上司は、《ビタリエ・ワシリウィッチ・ポポゥフ》という建築技師長であった。
《一炭》からは“W”氏、《二炭》からは“俺”という日本人2名が、新たに、ポポゥフ技師長の部下となったのである。
主な仕事は炭坑関係建造物の設計図の整備、建造物の実測図の作成など、散逸してしまった設計図の整備を、鉱山管理局の一室を日本人2人が占拠し、お互いに、《一炭》《二炭》の情報を交換しながら、作業を進めていたのである。
流行歌を歌いながら‥‥‥
紫煙るララァーラララー 歌詞はぜんぜん知らないのである。
鉱山管理局関係建造物のうち、大きなものの設計図はあるが、小規模の建物については整備されていないので、筆記具と巻尺を手に一人で、実測に向かったものである。建物の周辺をうろうろしていると必ずといっていいほど民間人が巻尺の片方を持ってくれたことを思い出す。
しかし、こんな生活も長続きはしなかった。或る日の朝、いつもの通り衛門を通過しようとしたら、〔今日は鉱山管理局行かなくていい〕と言われて所内待機となった。暫くして呼び出されて行ったところがソ聯軍の将校事務室である。
つづく
兵隊・抑留記(72) 時には不審者扱い
抑留中期 - その3
夕方など、仕事帰りに、垢だらけで且つ薄汚れた軍服を着用した者が一人、とぼとぼ歩いているのを目撃したら、不審に思わぬ民間(ソ聯)人は居ないと思われる。
帰路は、どうしても仕事疲れと腹が空いて颯爽とは歩けない。何回も不審訊問を受けたものである。最初のころはロシア語の《ラーゲリ》(収容所)はいいとして《ルダゥ・ウポラブレニィエ》(鉱山管理局)となると、いささか、なめらかには言えず、(パスポート)を示して説明するが、なかなか理解してもらえず困ったものである。
それでも、箒になる草木を採取し、持ち帰り多くの戦友に使ってもらったり、採取した、白くて丸くマシュマロに似た茸を、飯盒(はんごう)いっぱい持ち帰ったりした。
それを塩茹でにして、同室の仲間と食べたりした。歯触りのいいものであった。
つづく
