兵隊・抑留記(70) 陸(おか)に上がりたい
抑留中期 - その1
☆ 厳冬のシベリアの寒さはとにかく凄い。マイナス30度・35度ともなると、外気に露出している頬・唇など紫色に強張(こわば)り寒いというより痛いのである。“寒い”と感じれば逆に大分暖かくなった証拠である。
先にも書いたが、Sさんが発疹チフスによる熱発で亡くなったのが昭和21年(1946)5月17日である。
〔抑留中期(1946年5月頃から~47年秋頃まで)〕この期間は、精神的にも肉体的にも、比較的安定していた期間である。
抑留初期の地獄絵をを経験した我々は、少し利口になって、所内の空地を利用して馬鈴薯、キャベツなどを栽培したり、施設として、“浴場”、“床屋”、“熱気消毒所(シラミを殺す)”、“食堂”等を構築し環境は逐次整備されていった。
日本の晩春である五月のシベリアは、日ざしは日毎、伸びてくるのが分かるが、まだまだ寒く、ある年の5月5日が吹雪だったことを記憶している。
しかし、半年もの間穴の中に居ると《二炭》の坑内は、隅から隅まで一応手に取るように分かり、一人で《二炭》坑内に置き去りにされても這い上がる位、一端(いっぱし)の炭坑夫になっては居た。が、燦々と降り注ぐ日中は穴の中、又は陸(おか)に上がっていても睡眠中という繰り返しの日々にいささかうんざりしていたのである。
つづく