兵隊・抑留記(71) 解放と自由を満喫
抑留中期 - その2
“俺”は、《太陽を体一杯受けてみたい》《このままではモヤシになってしまう》と感じ、なんとかして陸(おか)に上がる術(すべ)はないものかと、思案していたのである。
そんな折も折。《鉱山管理局、建築技術者募集》のニュースが飛び込んできた。
チャンス到来とばかり応募した結果、見事“合格”。ようやく、陸に上がることが出来たのである。
炭坑勤務者は、早くから収容所正門前に5列縦隊に整列させられる。それから監視兵2名による員数点検がある。夫々両側から〈5,10,15‥‥‥〉数えるわけだ。ところが、毎回、両名の数がなかなか合わないのだから始末が悪い。酷寒の中でこれをやられると、体力の消耗は特に激しい。ようやく数が合って、衛門が開かれて行進開始である。隊列の前後を剣付鉄砲の兵隊に監視され、わずか4、5分の道程を、“ダワイ、ダワイ”“ベストラ、ベストラ”(早く歩け)と、《二炭》へ送り込まれる。帰りはこの逆だ。‥‥こんな繰り返しの毎日であった。
《鉱山管理局(ルダゥ・ウポラブレニィエ)》は、収容所の衛門を出て、北へ約2キロメートル、丘を一つ越えた所にあった。
〔鉱山管理局行きパスポート〕は、ペラペラで大きさは名刺ぐらいの紙4・5枚を、無造作に片側を止めた代物であったが、これを見せるだけで衛門を通過出来、鉱山管理局への往復はフリー(監視兵なし)で、しかも、一人で行動出来たのだからこの〔パスポート〕の効力は絶大なものであった。
収容所から鉱山管理局までの約2キロメートルだけではあるが、自由に外を歩けることがで出来たということは、この収容所の抑留者の中では、数少ない者の一人だったと思う。 毎日、往復の、暫しの時間ではあるが、すごい解放感と自由を満喫したものである。
先日までの《二炭》の往復を考えると、正に雲泥の差である。
つづく