今日の散歩おじさん地域は、空の多くの部分に雲とも呼べないような白いものがかかるような空模様でしたが、それで太陽が隠されるようなことは無く、タップリの日差しで「暑く」なりました(;^_^A
気温が上がり始める時期に軽い運動をして体が汗をかけるようにしておくことも、熱中症予防に繋がるそうですから、空調に頼り過ぎないようにして、少し体を動かすのも良いかもしれませんねね(^.^)
さて記事の方は「成田街道」の続きです!
前回の記事の最後に載せました山野浅間神社から街道に戻ると、間もなくこんなお店がありましたので「ハテナ(?。?)」になりながら、良~く看板を見たら「軍放出品」を扱うお店のようです!
ハテナ堂から300m足らず進んだ所で街道から南へ80mほど寄り道しますと、こちらはこのたび初めて訪れることとなりました「龍神社」です(^.^)
住宅街の細い道を、グルっと回り込むような場所の神社に行きつけたのは、今回参考にして歩いている地図のおかげだったのですよ!
こちらの狛犬さんも岩を積み上げた台座にチビ狛ちゃんがいるタイプですねぇ(@。@)
拝殿は特にレポートするべき所は無かったのですが・・・
ご本殿の彫刻が立派でした!
龍神社から街道に戻り350mほどの所で道は二股に別れ、右へ進めばそのまま国道14号線ですが、成田街道は左へ分岐します(^^)
分岐してすぐの所には、昨年の「ぶらり」で記事にもした「大覚院」があります!
「あかもん寺」と呼ばれている理由はこの門をご覧になればお分かりでしょうけど、この赤門は比較的最近に建て替えられたもののようで、Googleマップのストリートビューを見ますと、 2018年5月には古い門が撤去され新しい門の工事中であることが判ります!
昨年の記事でメダルをかけたお地蔵様をご紹介した時は、東京オリンピックが終わって間もないタイミングだったので、それと関連があるのかな?・・・と言う様な事を書いたのですが、今でもメダルをかけてらっしゃいましたから、東京大会とは関係ないようですね(^_-)-☆
大覚院さんの先でJR総武線を地下道でくぐり、ちょっとだけ線路沿いに戻った所には元禄14(1701)年に江戸神田鍋町の富商であった「高麗屋佐次衛門」が寄進したという「観音堂」があります(-人-)
例によって元禄14年を散歩おじさんの手作り年表で確認すれば、赤穂事件の発端となった、「江戸城 松之廊下刃傷事件」が起きた年ですねぇ!
ここから江戸城までの距離なども考え、当時の大事件はどれくらいの時間がかかってどんな風にこの辺りまで伝わってきたのだろう?・・・なんてことを想像するのも面白いものです(^.^)
観音堂の前の道標は「右 いち川みち/左 行とくみち」の文字がハッキリと読み取れます(p_-)
ところでこの道標、元は北東へ約70mほど離れた、今は総武線を跨ぐ陸橋の下辺りにあったようなのですが、どうやら場所を移された時に向きも少し変わってしまったようなのです!?
この辺りは車でも徒歩でも通り慣れていて船橋、市川、行徳は位置関係が分かりますので、最初に見た時は道標が示す方角に「???」になったのですが・・・
説明板に元の場所が図示されていたのでその場所に行ってみると、なるほどこの場所にこういう向きにあったとすれば、たしかに右へ行けば「市川」ですし、左に行けば行徳に至りますので納得できました(^o^)
なお、散歩おじさんが作成したアニメでは、道路や建物と道標との大きさの比率などは「いい加減」ですので悪しからず(^^;
無事に道標の向きも解明できたところでさらに街道を進み船橋駅に近い辺りに至ると、この辺りはほぼ真東に向かって進むこととなります!
そのまま進むと街道脇にこちら向きのお堂が見えてきました(p_q)
東に向かっている散歩おじさんの正面にあるわけですから、言うまでも無く西に向いているわけで、その名も「西向地蔵尊」です(^人^)
役病や災難が入ってこないよう、東へ向かって来る街道に正対して宿場を守っていたのだそうですよ!