回顧録「いつか見た映画 1986」3『ロッキー4 炎の友情』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ロッキー4 炎の友情』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1985年/アメリカ映画/91分
監督:シルベスター・スタローン
出演:シルベスター・スタローン/タリア・シャイア/バート・ヤング/ドルフ・ラングレン/カール・ウェザース/ブリジット・ニールセン/マイケル・パタキ/トニー・バートン/ロッキー・クラコフ/シルヴィア・ミールズ/R・J・アダムス/アル・バンデイエロ/ドミニク・バルト/ダニアル・ブラウン/ジェームズ・ブラウン

■1986年 劇場公開作品 3本目

「鶏時代」以来の「ちゃんと」「全見」で『ロッキー4 炎の友情』『ロッキー5 最後のドラマ』を見直し、「約30年間」の時を超え、今回僕の中の「偏見」「先入観」「思い込み」に「変化」が起きた。

1位『ロッキー・ザ・ファイナル』
2位『ロッキー2』
3位『ロッキー3』
4位『クリード チャンプを継ぐ男』
5位『ロッキー』
6位『クリード 炎の宿敵』
7位『ロッキー5 最後のドラマ』
8位『ロッキー4 炎の友情』    か、

1位『ロッキー2』
2位『ロッキー・ザ・ファイナル』
3位『ロッキー3』
4位『クリード チャンプを継ぐ男』
5位『ロッキー』
6位『クリード 炎の宿敵』
7位『ロッキー5 最後のドラマ』
8位『ロッキー4 炎の友情』    かに、

僕の「信念」「価値観」「倫理観」が「変化」してしまった。「自分が知らない自分」を「また」思い知った。この「1位」から「8位」の順位の「基準」「根拠」が、「恐るべき極限のくそリアリズムがある順番」だったと思い知った。

「鶏時代」からの「本音」、ずっと『ロッキー4 炎の友情』の「約半分」が「苦手」だった。改めて「約半分」が「苦手」な「理由」を考える。

『ダイ・ハード ラスト・デイ』級の「大失敗作」とまでは言わない。「約半分」の「成功部分」には恐るべき「泣かし」があり、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」しなければならない。だが「約半分」の「失敗部分」は、今も「敬意」「賞賛」「崇拝」「できない」。

『ランボー3 怒りのアフガン』のように、『ロッキー4 炎の友情』を「やりすぎ限界映画」の基準から「対象外」にするか、「約30年間」の葛藤が「今日まで」あった。だが『ダイ・ハード ラスト・デイ』の「弁護」を「決意」した「信念」「価値観」「倫理観」、「全世界の英雄」「ジョン・マクレーン」への「敬意」「賞賛」「崇拝」と「同じ」で、「全世界の英雄」「ロッキー・バルボア」を「敬意」「賞賛」「崇拝」しなければならないと思った。「シルベスター・スタローン教」「信者」として、「人間シルベスター・スタローン」がこの世に残してきた「偉業」を忘れることができない。

初期『ロッキー』3部作、特に『ロッキー2』『ロッキー3』は「史上最強極限領域やりすぎ限界映画」の “棲息速度域” まで到達。「ロッキー・バルボア」をアメリカの英雄から「全世界の英雄」に変えた。同時に、「極限不幸」「極限試練」からロッキーを「永遠の友情」で救ったアポロも、「全世界の英雄」になったと言って大袈裟じゃない。

「全世界の英雄」「アポロ・クリード」を「ソ連に殺させた」「創作」を、この世に残したことが、「正しい」か「間違い」か、「今」も判断が難しい。

「ソ連」があまりに「悪すぎる」。「『ロッキー』3部作の世界がもしも現実だったら?」 「ドルフ・ラングレン」「イワン・ドラゴ」は、「戦争」ではないスポーツの「国際親善試合」で、本当にアポロを殺したりするだろうか? 恐るべき極限のくそリアリズムなら、どんな人間もいきなり「殺人」はしない。「全世界の英雄」アポロの「死」の「理由」が、映画史に「栄光」を残した『ロッキー』シリーズを、「子供マンガ」級「ファンタジー映画」に墜としてしまった。

そもそも何で「シルベスター・スタローン監督」は、「全世界の英雄」アポロを「ソ連に殺させた」のか? 

「1985年」「米ソ冷戦時代」、アメリカとソ連は「核戦争」勃発の緊張が続いた。現代のアメリカと北朝鮮の状態に似てた。実際「湾岸戦争」を始めた国だから、現代の威嚇のミサイルが飛ぶような緊張感があった。「開戦」が「絶対ありえない」と言い切れない時代だった。

完璧な人間などこの世に一人もいない。『アメリカン・スナイパー』の「クリス・カイル」のように、「シルベスター・スタローン監督」にも自国を「守りたい」「愛国心」があった。この自国を「守りたい」「愛国心」は責められない。

だが、自国を「守りたい」「愛国心」が「暴走」した。「全世界の英雄」アポロを殺した「ソ連」を「アメリカ」のロッキーが倒せば「全世界資本主義国大ウケ」、という「創作」を思いついてしまった。恐るべき「脳みそ」「想像力」を持つ「シルベスター・スタローン監督」の「判断」は、恐るべき「正確」な判断だった。『ロッキー4 炎の友情』は「全世界資本主義国大ウケ」で「大ヒット」した。

「全世界資本主義国大ウケ」を狙って、「ソ連」を「激悪」に仕立てるため「だけ」で、アポロを「ソ連に殺させた」。「鶏時代」ですでに、「耳を疑うわ オビ=ワンの言う通り 別人だわ!」「胸が張り裂けそう…」と思ってた。「怪しい」「思考」は、「ステロイド」のせいだったのかもしれない。

だが「約半分」の「成功部分」には、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」する。

■「自殺も同然よ!
  あの強さを見たでしょ?
  勝てっこないわ!」
 「エイドリアン
  君は いつも真実を言う
  勝てずに-
  あいつの猛打を
  浴びるだけかもしれない
  だが 殺されるまで
  負けはしないぞ」

アメリカを脅かした「ソ連」の「怖さ」「恐怖」、「マイナス方向」での恐るべき極限のくそリアリズムには「大きい方垂れ流し」。「本当にそう見える」から、自国を「守りたい」「愛国心」が「暴走」した。

■「アポロは-
  俺が育てた
  奴が死んで
  俺の一部も死んだ
  だが 今は君がいる
  君があいつの-
  精神を受け継いで
  彼の死に意味を持たせる」

また「ステロイド」が「狂気」を生み出すまで、「狂った」「トレーニング」、「捨て身」の「死闘」を見せた、「筋肉」「極限の美」の「怖さ」に、大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

そして「全世界資本主義国大ウケ」を狙ったんじゃなく、「ソ連のドラゴがアポロを殺したことがもしも現実だったら?」  「絶対こうなる」「本当にそう見える」、ロッキーが決断した「行動」には、恐るべき極限のくそリアリズム、恐るべき「泣かし」があった。




「いつか見た映画 1977」1『ロッキー』
「いつか見た映画 1979」2『ロッキー2』
「いつか見た映画 1982」1『ロッキー3』
「いつか見た映画 1986」3『ロッキー4 炎の友情』
「いつか見た映画 1990」1『ロッキー5 最後のドラマ』
日記「今日見た映画 2007」1『ロッキー・ザ・ファイナル』
日記「今日見た映画 2015」40『クリード チャンプを継ぐ男』
日記「今日見た映画 2019」51『クリード 炎の宿敵』

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「いつか見た映画 1986」1『サンダーアーム 龍兄虎弟』
「いつか見た映画 1986」2『エイリアン2』
「いつか見た映画 1986」3『ロッキー4 炎の友情』
■「いつか見た映画 1986」4
■「いつか見た映画 1986」5
■「いつか見た映画 1986」6
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画像 2021年 8月