回顧録「いつか見た映画 1990」1『ロッキー5 最後のドラマ』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ロッキー5 最後のドラマ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1990年/アメリカ映画/105分
監督:ジョン・G・アビルドセン
出演:シルベスター・スタローン/タリア・シャイア/セイジ・スタローン/トミー・モリソン/バート・ヤング/バージェス・メレディス/リチャード・ガント/ジェームズ・ガンビナ/トニー・バートン/デリア・シェパード/マイク・シーハン/マイケル・ウィリアムズ/ケヴィン・コナリー/エリゼベス・ピータース/ヘイズ・スウォープ/ニッキー・ブレア/ドン・シャーマン

■1990年 劇場公開作品 1本目

実は『ロッキー5 最後のドラマ』「ちゃんと」「全見」で見直しは生涯で「2回目」。「1990年」に映画館に見に行って以来だった。「断片的」にオープニング「回想シーン」から「シャワールーム」、エンディング「ミッキーの部分」だけは「かなり」繰り返して見てきたが、「それ以外」は「全く見なかった」。

『ロッキー5 最後のドラマ』は「1回」しか見てないのに、「何一つ殆ど砂粒ほども覚えてない」と「ならない」映画だった。「パンチドランカー」で「引退」。「脳障害」。「資産全部失う」。「弟子に裏切られる」。「二度とリングで試合しない」。「マイナス方向」に極限「ショック」「衝撃」を受けた「鶏」は、もう「2回」見る気力がなかった。もう「回想シーン」から「シャワールーム」、エンディング「ミッキーの部分」「だけ」「しか」、見る「精神力」が生まれなかった。

「2006年」「6作目」『ロッキー・ザ・ファイナル』「16年間」ぶりの製作を決断した「理由」が、「すべて私の失敗」だった。自分で「失敗」と断言して「新しい完結編」を撮り直したくらいだから、「鶏」は「さらに」『ロッキー5 最後のドラマ』見る「精神力」が消えてった。

ところが見直して「かなり」「ショック」「衝撃」。僕には『ロッキー4 炎の友情』より面白い。「約30年間」所詮「鶏」でしかなかったことを「これでもか」まで「また」思い知らされ「反省」「懺悔」「償い」+「30年間」分の「謝罪」。「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。「完全」「やりすぎ限界映画」だった。

『ロッキー・ザ・ファイナル』は「6作目」ではなく、「5作目リブート」だと考える「見方」「解釈」をする人もいる。だが僕は「5作目」「6作目」と考えたい。映画では描かれてないが「5作目」の「脳障害」は、後から調べたら「きっと」、「誤診」だったのだろう。「モスクワ」の直後だったから、「5作目」では「多少」影響が出てたのだと思う。

『ロッキー5 最後のドラマ』の「感想」「評価」を、「黒歴史」と表現するSNSを多く見た。「完全共感」。『ロッキー5 最後のドラマ』とは「人間ロッキー・バルボア」の「黒歴史」、「人生大失敗」の話「そのもの」。

「ロッキー・バルボアがもしも実在の人間だったら?」 恐るべき極限のくそリアリズムなら、「良いこと」「悪いこと」があって「人間」。ロッキーの人生だって「2回」「世界チャンピオン」に君臨した「大成功」だけじゃない、「大失敗」したことだってあったはず。

『逆転人生』のような「TV番組」が数多くあるぐらい、人間の人生って恐るべき極限のくそリアリズムで、「大成功」の陰に「大失敗」あり。「今」の視点で、「6作目」『ロッキー・ザ・ファイナル』「7作目」『クリード チャンプを継ぐ男』の「大成功」は、「5作目」『ロッキー5 最後のドラマ』の「大失敗」があったからこそ「成し遂げられた」ように「見えてしまった」。「山ちゃん」とロッキーが、「再現VTR」の代わりに『ロッキー5 最後のドラマ』を見ながら話してる姿を「想像」してしまった。

「長所」「短所」があって人間。「ロッキー・バルボア」の「欠点」は「人に騙されやすいこと」「何かに没頭すると周りが見えなくなること」。そのせいで「家庭崩壊」の危機に墜ちた過去があった。

『ロッキー5 最後のドラマ』を「今」、「8作目」『クリード 炎の宿敵』まで見て振り返ると、人間味ある「人生大失敗」「黒歴史」こそが、「ロッキー・バルボア」を「実在の人間」にまで見せる、恐るべき極限のくそリアリズムとなったように思う。

ロッキーの「人生大失敗」「黒歴史」って、もう「かなり」「シルベスター・スタローン教」「信者」「だけ」「しか」楽しめない。「人間ロッキー・バルボア」の「長所」「短所」「全部」「好き」な者だけが「泣かし」の映画。

■「待て 以前のお前と違うぞ」
 「それはパパだよ!
  チームだなんてウソばかり
  パパはウソつきだ!」
 「トミーを助けたことが
  悪いのか?」
 「じゃ 僕は?
   “だまされないように
   用心しろ”  ?
  パパこそ用心しなよ」

「ロバート・バルボア」「セイジ・スタローン」との「共演」の背景も「勝手な想像」してしまった。もしかしたら実生活で、「人間シルベスター・スタローン」と「実子」セイジの間に、近いことがあったのではないだろうか? 『ロッキー5 最後のドラマ』って、「シルベスター・スタローン」にとっての『アキレスと亀』なんじゃないかって思えてきた。

「トミー・ガン」とロッキーの「ストリートファイト」について、「スポーツアスリートが路上で喧嘩なんかしちゃいけない」という「批判」を聞いて、「返す言葉がない」と、「鶏時代」から「今日まで」『ロッキー5 最後のドラマ』を自分の中で「肯定」できなかった。

だが「今」考えが変わった。完璧な人間などこの世に一人もいない。「傷害事件」を起こしてはいけないが、「人生大失敗」することだってある。「もっと悪い奴」「プロモーター」の「野望」をぶち壊すには、「絶対試合をしない」「決断」だったのだ。ロッキーの中の「感情」は、「こんな奴の相手は傷害事件程度で相応しい」だったのかもしれない。

実際、「プロボクサー」が一般人を殴ったら「大事件」だろうが、「引退した選手」が「現世界チャンピオン」に喧嘩売ったら、どんな罪になるのか? ロッキーの罪より、「現世界チャンピオン」が路上で「引退した選手」ぶん殴った方が「ヤバい」「大事件」なんじゃないのか? ただし「もっと悪い奴」「プロモーター」を殴ったのは「大失敗」「人間が絶対やっちゃいけないこと」だった。だから「黒歴史」。これはロッキーも「反省」「懺悔」「償い」しなければならない。

■「お前はチャンプだ 立て!
  どうした 立ち上がれ!
  ゴングは鳴ってないぞ!
  立て! 俺がついてるぞ!」

人間とは「自分に都合よくできてる」。『ロッキー4 炎の友情』の「悪口」言っておきながら、「都合のいい時」だけ『ロッキー4 炎の友情』を褒める。

「バージェス・メレディス」「ミッキー」に「涙が出なくなるまで泣いた」後、トミーに「ボディーブロー」を喰らわすの見て、「2150ポンド」のドラゴのパンチを撃ち砕いた男に「絶対勝てる訳ねぇだろ!」と、セイジと一緒に「心の中」で “go for it!” と叫んでるから「ダメだこりゃ……」。何だかんだ言っても「ロッキー・バルボア」が好きなんだろう。




「いつか見た映画 1977」1『ロッキー』
「いつか見た映画 1979」2『ロッキー2』
「いつか見た映画 1982」1『ロッキー3』
「いつか見た映画 1986」3『ロッキー4 炎の友情』
「いつか見た映画 1990」1『ロッキー5 最後のドラマ』
日記「今日見た映画 2007」1『ロッキー・ザ・ファイナル』
日記「今日見た映画 2015」40『クリード チャンプを継ぐ男』
日記「今日見た映画 2019」51『クリード 炎の宿敵』

■[Previous]
「いつか見た映画 1990」1『ロッキー5 最後のドラマ』
■「いつか見た映画 1990」2
■「いつか見た映画 1990」3
■「いつか見た映画 1990」4
■「いつか見た映画 1990」5
■「いつか見た映画 1990」6
■「いつか見た映画 1990」7
■「いつか見た映画 1990」8
■「いつか見た映画 1990」9
■「いつか見た映画 1990」10
■[Next]

画像 2021年 8月