回顧録「いつか見た映画 1991」79『ふたり』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ふたり』
☆☆☆☆★★[90]

1991年/日本映画/150分
監督:大林宣彦
出演:石田ひかり/中嶋朋子/富司純子/岸部一徳/尾美としのり/増田恵子/柴山智加/中江有里/島崎和歌子/入江若葉/吉行和子/西山典子/竹中直人/頭師佳孝/奈美悦子/ベンガル/林泰文/奥村公延/大前均/藤田弓子/隅田靖

■1991年 劇場公開作品 79本目

とにかく「日本映画」に「かなり」「偏見」があった。『ベスト・キッド』『ベスト・キッド2』『太陽の帝国』『ラストエンペラー』『ブラック・レイン』『愛と哀しみの旅路』を見たことで、大部「偏見」は少なくなったが、書いてきた通り、それでもまだ完全に「不信感」が消えることはなかった。

所詮「鶏」だったので、偏った勉強しかしてないから本当に映画に詳しい訳ではない。映画学校に入学して「震撼」「驚愕」「絶句」したのは、「大林宣彦監督」の「大ファン」が多くて、憧れて入学してきた同級生が「かなり」いたことだった。

この頃「超てきとう」「不真面目」だったので、どこかで「尾道三部作」という「言葉」は聞いたことあったが、「日本映画」「大林宣彦監督」で「完全無意識スルー」。『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』が「尾道三部作」だと認識したのも実はつい最近で、「淀川長治先生」が褒めてた『転校生』と、『時をかける少女』は、TVで「断片的」に見て「うっすら」、「砂粒」くらい覚えてる部分があったが、『さびしんぼう』は「逃げた」ので一度も見たことがない「最低」さ。

さらに僕が映画学校に入学した時はもう「新尾道三部作」が旬で『ふたり』、そして『あした』がまだ公開されたばかりだった。同級生の「H君」に叱られ、中古店でたまたま『ふたり』の「LD」が売ってて、「勉強のため」と買った。だがやはり「鶏」だったので、「1回」見たきり今日まで「2回」見なかった。そして「逃げた」『あした』『あの、夏の日』は、今でもまだ見てない。「反省」「懺悔」「償い」の気持ちで、「大林宣彦監督」に敬意を表し、「殆ど何一つ覚えてない」『ふたり』をもう一度見ない訳にいかなかった。

「勉強のため」とか「真面目そうなこと」吹いたが、見たこともない「日本映画」の「LD」をいきなり買った「決定的理由」は、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「石田ひかり」「中嶋朋子」に興味があったから。「今」の視点で見直すと、他にもかなり大勢恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「総出演」でびっくりしたが、「中江有里」「島崎和歌子」が一番僕の目を惹いた。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「中江有里」「島崎和歌子」が「視界に入らなかった」、「砂粒ほども殆ど何一つ覚えてなかった」ことに「反省」「懺悔」「償い」だった。

「超有名」な「大林宣彦監督」の全盛期を何も知らないのは「反省」「懺悔」「償い」しかない。「今」の視点で『ふたり』を見て驚いたのは、「石田ひかり」「中嶋朋子」の演出を、男がしたように見えなかったこと。「H君」だけではない、「大林宣彦監督」の「大ファン」が「かなり」いた独特の世界観が何か、「今頃」思い知った。「美術」「音楽」「編集」などかなり美しいことを理解した。「少女」の見せ方が「凄かった」。

「中嶋朋子」の幽霊は、実は「石田ひかり」が自分自身を客観的に見てる「心の声」だったようにも感じた。「少女」の成長を「極限の美」で見せた映画。『あした』『あの、夏の日』をまだ見てないので「新尾道三部作」を語ることはできないが、見なければならない時がきたかもしれない。


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画像 2020年 3月