回顧録「いつか見た映画 1991」81『パッション・ベアトリス』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『パッション・ベアトリス』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1987年/フランス映画/131分
監督:ベルトラン・タヴェルニエ
出演:ジュリー・デルピー/ベルナール・ピエール・ドナデュー/ニルス・タヴェルニエ/モニーク・ショーメット

■1991年 劇場公開作品 81本目

「ネオ・ヌーベルバーグ」の時代、『パッション』と『パッション・ベアトリス』で「ジュリー・デルピー」が「イザベル・ユペール」に見えた、“本物” の『パッション・ベアトリス』を、とうとう「初めて」見た。

映画の「ポスター」「チラシ」「プログラム」を集めてしまう「ヲタク」は、名画座の売店や専門店で販売されてる「ポスター」「チラシ」「プログラム」を、いつも眺めてしまう哀しい習性がある。“本物” の「専門店」であればあるほど、「ポスター」「チラシ」「プログラム」の扱いは立派で、絶対折れたり傷がつかないようビニールにきちんと包装され汚れないようになってる。「買わなければ」絶対中を見ることはできない。

当時『パッション・ベアトリス』の「プログラム」は「ネオ・ヌーベルバーグ」の「象徴」でもあるかのように「名画座」「専門店」で、「一番目立つ場所」に飾られてた。「鶏」が『パッション・ベアトリス』を今日まで忘れられなかった理由だった。

「『パッション・ベアトリス』って何?」「いつ公開された映画?」と、ずっと気になってたが、現代の「SNS」時代と違って簡単に調べることはできい。「買わなければ」絶対中を見ることができなかった。だがそんなお金持ちでもない。映画もたくさん見なければならないし、欲しいもの全部買うことはできない。調べることができないまま「今日まで」きてしまった。「SNS」時代の現代、『パッション・ベアトリス』が「1991年劇場公開作品」だと思い知った。

「実在の人物」イタリアの貴族「ベアトリーチェ・チェンチ」「1598年」の、父親殺害事件の史実を基に、舞台をフランスに置き換えた映画だと全く「知らなかった」。「創作」となってるが、背景にあった「理不尽」が、人間の歴史において少なくなかったように思える。「人間じゃない」「残虐非道」な父親に「震撼」「驚愕」「絶句」。殺した「ジュリー・デルピー」を同情せずにいられなかった。

「今」なら「セクハラ」「パワハラ」で大問題、「有罪確実」で絶対刑務所行きの「残虐非道」な父親だが、この時代は「男尊女卑」など当たり前。権力者には教会も「見て見ぬふり」の「地獄」の時代。「この世に神などいない」「現実」「史実」に撃ちのめされるしかなかった。

「絶対あってはいけないこと」が何かを『パッション・ベアトリス』は見せた。神を崇拝するとは「口先だけの嘘」。「権力者」の「悪」を「誰一人止められなかった」「地獄」。「絶対あってはいけないこと」が本当になくなった現代が、どれほど幸せか思い知るしかない。

「父親」に「強姦」される「娘」を、「全裸」で見せた恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ジュリー・デルピー」。その恐るべき「極限の美」に「時間が止まった」。「ネオ・ヌーベルバーグ」の時代に君臨した、“本物”の「代表選手」だった恐るべき「極限の美」を、僕は絶対忘れないだろう。




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画像 2020年 3月