『ぐるりのこと。』 | やりすぎ限界映画入門

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■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ぐるりのこと。』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2008年/日本映画/140分
監督:橋口亮輔
出演:木村多江/リリー・フランキー/倍賞美津子/寺島進/安藤玉恵/柄本明/菊池亜希子

2008年 第24回 やりすぎ限界映画祭
2008年 ベスト10 第12位:『ぐるりのこと。』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ぐるりのこと。』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:リリー・フランキー


やりすぎ限界女優賞:木村多江


やりすぎ限界女優賞:菊池亜希子


■第2稿 2018年 12月2日 版

[「菊池亜希子」の「映画」3作目]



「菊池亜希子」の「映画」3作目は「橋口亮輔監督」の『ぐるりのこと。』。「菊池亜希子」が見たくて観た映画だったが極限のくそリアリズムに震撼。全く予想もせず「リリー・フランキー」と「木村多江」にやられてしまった。「結婚」してない僕は「結婚」が何かの「教え」を、「橋口亮輔監督」に思い知らされた。

[「法廷画家」]



子供の死から鬱病になってしまった妻翔子(木村多江)を支える夫カナオ(リリー・フランキー)。「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」「地下鉄サリン事件」など、「法廷画家」カナオが見つめる視点から、夫婦が生きた90年代の日本を見せた。「法廷画家」という仕事を初めて知り驚愕。その極限のくそリアリズムから『ぐるりのこと。』が殆ど「実話」のように見えた。



「法廷画家」の視点はこの世にいろいろな人間がいることを見せる。「他人のことを考える人間」と「他人のことを考えない人間」が混在する人間社会。『さらば、わが愛 覇王別姫』のようにいつの時代も絶対苦しいことはある。1993年から2001年までの夫婦の軌跡は、いろいろな人間がいる中での「夫婦」の「絆」が、どれほど奇跡の繋がりであるかを見せてるようだった。



また「カナオの後輩」で登場した「法廷画家」「菊池亜希子」も魅力的だった。出演作品ごとに「極限の美」「存在感」が確実に増していくのを感じた。

[「セックス」]



■「じゃさ 口紅してよ」
 「はあ?」
 「なんかね…
  口紅とかさ
  してよ なんか…」
 「なんで口紅しなきゃ
  いけないの?」
 「こういうこと言うのも
  何なんだけどさ
  家に帰ってきてだよ
  なあ…
  バナナ食いながら
  怒ってる女なんてさ
  いきなり お前 そりゃ…
  どんな絶倫でも
  勃起しないよ お前」


「結婚」した「夫婦」が、死ぬまで何十年も暮らすという感覚が独身の僕には解らない。何十年も同じ相手と「セックス」してたら「飽きる」話を多く聞く。同じ相手との「セックス」に「飽きる」感覚は「男」なので想像できる。それが現実にどんな状態なのか『ぐるりのこと。』に思い知らされる。



「結婚したら僕も同じかもしれない」。僕がいくら「セックス」が好きだと言っても極限のくそリアリズムを思い知らされた。だが「口紅してよ」は「ものすごく重要」。「完全共感」した。僕なら「口紅してよ」+「絶対パンスト着けてよ」だろう。「興奮」の度合いに大きく影響する。精子は興奮させてくれないと多く出ない。「絶対妊娠」したいなら、僕も「興奮させてほしい」と「完全共感」せずにいられなかった。

[「子供の死」]



「子供の死」の重さを、僕は想像することしかできない。だが「全ての人間が他人事ではない」はず。鬱病になるほど傷ついた翔子を支えるため、カナオには何ができるのか? 夫のすべき役割を思い知らされるしかなかった。

[「結婚」「夫婦」]



「結婚」したことのない僕は、「結婚」「夫婦」というもののイメージを、自分の両親の姿に重ねて想像してしまう。



「セックス」に「飽きる」どころか、僕の父と母はいつ「離婚」してもおかしくないほどの「夫婦」だった。「毎日ケンカ」。子供の頃の「父」「母」の思い出は「罵り合い」の記憶しかない。それどころか「仲良くしてる姿を一度も見たことがなかった」。子供心にTVで見る「両親の離婚」が他人事に思えず、父と母がケンカする度に怯えてたのを鮮明に覚えてる。僕は離婚したら父と暮らすか母と暮らすかを考えてた。



幼い頃「キス」したら子供が産まれると思ってたが、いつからか「セックス」しないと産まれないことを知った。こんな仲の悪い父と母が「セックス」して僕が産まれたことが信じられず「驚愕」。一度でもイチャイチャしてる二人の姿を「一度も見たことがなかった」。「本当にこの二人がキスしたの!」ってぐらい想像できなかった。キスしてる姿を想像したらおしっこを漏らしそうになったほど仲が悪かった。



だが僕の父と母は、父との死別まで添い遂げ、とうとう最期まで離婚しなかった。「震撼」「驚愕」「圧倒」。恐るべき「仲良くしてる姿を一度も見たことがなかった」夫婦だったが、父は最期まで一度も浮気をしなかった。



何度か父に女が寄ってきたのを見たことがあった。だが距離を置いて近づけさせなかった父の姿に「驚愕」したのを覚えてる。子供心に父だって人間だから、毎日母とケンカして嫌になることだってあるだろうと、浮気してもしょうがないんじゃないかと思った。なのに浮気せず「毎日ケンカ」で添い遂げた。今は父と母を「尊敬」するしかない。想像できる理由は、「子供のために全人生を犠牲にした」のだと思う。僕は父と母に愛された。『ぐるりのこと。』の「リリー・フランキー」と「木村多江」を見て、最期まで離婚しないで添い遂げた父と母を思い出した。子供の頃の「僕が見てない部分」、「僕が知らない」父と母の「絆」の繋がりを想像させられた。

[「浮気」できない「絆」]



■「キスしようと思ったのに
  ハナ ベチャベチャやな
  お前」
 「ハナが止まんない」
 「ほら チンせい」
 「ちゃんと片っぽ 押さえて」




「口紅してよ」にビビった僕だったが、翔子とカナオの「絆」を見て思い知らされるものを感じた。「結婚」の「重さ」。「男」と「女」が「お互いの抱える問題を共有すること」とは何かを見た。「浮気」できない「絆」。「夫婦」の「人間の繋がり」の深さを思い知らされる以外なす術を失ってしまった。




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画像 2018年 12月