穴と橋とあれやらこれやら -79ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

公衆便所の奥に、

例の隧道がポッカリ。ここだけ見るとどんな秘境かと思うが、実際は県道脇すぐっていうね。

 

 

 

 

 

しかし…なんなんだこの隧道…って、隧道よねこれ?

小公園?側は少し広くなってて、そこが完全に水没していた。もちろん長靴オンしてきたので、そのまま突入。

 

 

 

 

 

…の前に、鉄板の構図。

これ…心霊サイト向きの写真じゃない?(笑)

 

本来は好きじゃないが、心霊系サイトでこの隧道を調べてみた。すると案の定臼津隧道はドップリとそっち方面のメジャーで、曰く「真ん中あたりで車を停めてエンジンを切り、クラクションを3回鳴らすと女性の霊が現れるらしい」とか、もう散々こすり倒された設定に失笑。いや、普通に交通違反ですしやめよ?。

 

 

 

 


だが意外なことに、「津久見側の公園にあるトイレにも霊が出ると言われている」なんて書かれてはいるものの、

この素掘り隧道への言及はまったくと言っていいほど見られない。なんでだ?ヤツらには見えないのか?(笑)

 

 

 

 

 

この、完全人道サイズの素掘り隧道。

そう、明らかに人為的に掘られたものに間違いないが、コイツはいったいなんなんだ??


現地では何の情報もなく、そんな疑問が頭を駆け巡ったものだったが、後日改めて調べたところ、かの「tunnel web」さんで言及しておられた。さすがだ。

 

 

それによると、なんとこれ、「改修前の臼津隧道の一部」なのだとか。「一部」?

 

 

確かにこの隧道、Q地図では「昭和33年完成」とされているものの、「平成16年度道路施設現況調査」などでは「昭和23年完成」となっており、不思議に思っていたものだった。

昭和33年に改修されて現在のスペックになるまでのこの隧道、戦後生まれにもかかわらず、幅員2.0m、高さ4mほどの極めて狭小なものだったらしい。そりゃあアカンよキミぃ。


これについての根拠を記事内では示しておられないし、詳細はさだかではないのだが、考えるに拡幅改修されて津久見側には掘割が造られた結果、取り残された一部がこの短い素掘り隧道ということ…なんだろうと理解した。てことは…この狭小スペックで、さらに今より長い400m近くの隧道だったってことですか??

 

ああそうそう、当該記事をぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

実際そうならば、

あれがオリジナルの津久見側坑口ってことになろうかと。

 

 

いや~…しびれる話ですな。

 

 

 

 

 

我が業務範囲は基本ここまでだが、

せっかくなんで「心霊スポット」のほうも見ておこう。

 

 

 

 

 

素掘り隧道のそばに公衆トイレ、いずれも「廃」なんて、

けっこう稀有なロケーションだしね。

 

 

 

 

 

ああ、外見こそそこまで汚くはないが、

見るからに「昭和の公衆便所」ですな。

 

 

 

 

 

表側は男子トイレで、裏側をのぞいてみると、

個室のボットン便所。当然ドアはあっただろうが、どこ行った?

 

まあ霊が出ようが出まいが、あんまり気持ち良くないことには変わりない。でも心霊スポット扱いの割には、見苦しい落書きなんかはなかったな。そこだけは良かった。

 

 

 

 

 

もう一つの小屋脇から現道をチラリ。

正確に言えば、奥へ延びているのは県道ではなく県道から分岐した道路。

 

 

 

 

 

で、この小屋の裏には

閉ざされたドアがあり、「発電室」のプレートがあった。

 

 

 

 

 

現道に戻って引きで。

この小公園も、いかにも違和感あるなあ。トイレはともかく、発電室なんてものをメイン施設よろしくあんな場所に建てるかね?

 

何がしたかったんだこの公園で?まさか…旧隧道の記念公園?さすがにそんなわけないか。

 

 

 

 

 

県道から小公園を見ながら移動していくと、

かつてはちゃんと立ってたとおぼしき「津久見市」のカントリーサインが木にもたれかかっていた。

 

 

 

 

 

そしてあるものに気づいてズーム!

これまたいかにも昭和な、街燈的な照明器具…のなれの果て。やはり一応は公園として整備されたもののようだ。

 

 

 

 

 

最後にこれ。

この写真右手への分岐が、隧道改修前の道ではないだろうか。

 

この写真中央奥に素掘りの坑口があるという位置関係なので、小公園の園地を横切って続いていたっぽかった。

 

 

 

以上、まったくノーマークに見つけた今回の物件、大いに楽しめた。こういう予期せぬ出逢いが醍醐味なんだね~。

 

 

 

 

 

 

2023年7月8日、11年ぶりの大分探索第1日目。その中盤、深江隧道に続いて通りすがりに見つけた物件をご紹介。ビックリした。

 

 

 

深江隧道を後に、大分県道217号臼杵津久見線を南下することしばし。

路線名どおり両市の境をなす峠のてっぺんの隧道に至った。

 

あいにく車を停めるところがなく(あるあるですわ)、これだけ撮って洞内へ進入、津久見市側に抜けた。

 

 

 

 

 

あわよくば宮崎県に入るところまで南下したいなんて思っていたこの日、この隧道もパパッと撮って先を急ぐ…いわゆるヒット&アウェイで済ませるつもりだったんだが、

 

とんでもないモン見つけてしまったからには、

きっちり向き合わざるを得なくなった~。現在地はこちら

 

この深い掘割、いいですやん。

 

 

 

 

 

まずは

津久見市側ポータルを。

 

 

 

 

 

今さらだが、お名前は

「臼津隧道」という、立地を端的に表したもの。これで「きゅうしん」と読ませる。

 

 

 

 

 

洞内の様子。

延長は332m、まさかの無照明。県道なのにマジか?写真不鮮明なため載せないが、臼杵市側には素掘りの区間も残っていた。

 

 

 

 

 

安定の、鉄板の構図。

予告篇でも使った写真。これが「匂わせ」だったんだが、「匂った」方はおられましたかね?

 

 

 

 

 

気付いた方は凄いと思う。

ここまで寄ってもわからんな。

 

 

 

 

 

現場では、車で通過中にここで気付いたんだが、

写真だとここでさえわからんとは。

 

 

 

 

 

その電柱の右側…

「噓やろ?」

 

思わず声に出して呟いたっけ。二枚上の写真を改めてご確認いただきたい。こんなへんてこりんな位置に、素掘りの隧道!?

 

 

 

 

 

洞内には雑多な廃棄物が突っ込まれてるが、

水没しつつも、どっこい、しっかり貫通してるし。

 

 

 

 

 

いやあ、しかしアナタ…

すぐそこに隧道がある、この位置ですよ!?

 

 

 

 

 

しかも現道掘割がこのように、

隧道が抜けるのと同方向へと回り込んでいる。どういうことっすか…。

 

あらゆる同業者各位も、予期せずこんなもん見つけたら、そりゃ探索するでしょ、するでしょ!

 

 

 

 

 

上の写真から50mほども進んだ位置から隧道方向を見るとこんな感じに。

謎の隧道が抜けているのは右手の広場的なところのはずだが…なんか建物がある?

 

 

 

 

 

そこには、二棟の小ぶりな建物…というか小屋。

ていうか、奥側のヤツは…アレよな?

 

 

 

 

 

果たしてそれは、

トイレ…いやあえて言おう、公衆便所だった。

 

こんな寂しくて何もない場所に公衆便所。心霊バカマニアが喜びそうな要素しかない。

 

 

 

 

 

ましてや…

コレモンですし。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

予告篇でよく使う「いかにも」な匂わせ写真ではない…

ように見えるが、匂わせです(笑)。

 

 

 

このパターンは経験なかったわ…。

 

 

 

 

 

【前篇】に続く。

 

 

2015年8月23日、前日から敢行した「HTK (Hyogo、Tottori、Kyoto) 彷徨」の2日目。この日のネタで記事にしてるのは、時系列で戸倉隧道関連戸倉峠の明治道と未成隧道榎雪覆網代隧道田君川橋梁三尾隧道宮ノ内橋

 

今宵ご紹介するのは、田君川橋梁と三尾隧道の間に訪ねた物件。こんなタイトルだけど、実は…。

 

 

まずはこれ。

行く手には小山を貫くトンネル…ではなく、実はJR山陰本線の大築堤をくぐるカルバート。

 

 

 

 

 

しかもそいつは二連!

左の道路は兵庫県道261号赤崎久谷停車場線、右の河川は岸田川水系の2級河川・和田川である。現在地こちら

 

 

 

 

 

だいぶ改修されてそうだが、真ん中には

かつての橋脚端部と思われるものが現存していた。これカッコいいな。

 

 

 

 

 

ちゃんとアーチ環もあって、

オリジナルは煉瓦だったりするんだろうか?

 

 

 

 

 

橋脚脇には、こんな表示が。

兵庫-132ってのがなんなのかはわからないが、県道赤崎久谷停車場線の「和田口めがねトンネル」であると、デカデカと宣言。こういうの珍しい。

 

JR側からすれば「橋梁」となるはずだが、道路から見ればトンネルであり、これは明らかに道路管理者側の設置。橋梁としての正式名称はどこにも表示がなかった。つうか、「和田口めがねトンネル」が公式な名称なのかといえば、それもまた疑問かと。

 

 

 

 

 

もしかしてJRは関係なく、完全に道路管理者で管理する「トンネル」扱いなのかとも思ったが、

Q地図様の「全国トンネルマップ」でも出てきていなかった。

 

 

 

 

 

まあなんとも不可思議な「洞内」。

こういう側壁処理、トンネルでも橋梁でも見ないもんね。

 

 

 

 

 

とにかく規模がデカいから、

鉄板の構図だってサマになる。

 

 

 

 

 

こちら側も水切りは埋め殺されていて、

いかにももったいない。

 

まあがっつりボックスカルバートに置き換えられるよりはだいぶマシではあるけど。

 

 

 

 

 

実は入ってきた南側にもあったのだが、

やはり浸水しやすい場所なんだなここ。

 

 

 

 

 

最後に、北側からの引き。

調べてみたらこの二連橋梁、1911(明治44)年の完成だという。香住~浜坂間の開通をもって京都~出雲今市(現・出雲市)が全通したのがその翌年のことなので、開業時から存在した橋梁ということになる。

 

「但馬の近代化遺産」さんのこちらのページには、工事中や改修前(でもすでにオリジナルではなさそう)の貴重な写真が掲載されている。ぜひ併せてご覧いただきたい。

 

 

そんなわけで、こういう記事タイトルだけど「鉄道橋梁」テーマなのだった。

 

 

以上。

 

 

 

 

 

黒川の吊り橋を後にして、たぶんだけど、

こっからエスケープした…かもしれない。記憶も写真もないんだけども、たぶんそうだった。

 

 

 

 

 

ここを抜けると、

駐車場所ほど近くに復帰可能。めっちゃショートカットやんこれ。

 

 

 

 

 

県道から、登ってきた(と思われる)暗渠を振り返り。

…って、あれ?なんかあるぞ?

 

 

 

 

 

わかりましたかね?

なんだあれ?あんな位置、怪しすぎんか?

 

 

 

 

 

さっそくに接近。

石垣をよじ登らないといけないような、

 

 

 

 

 

そんな位置にあった石柱は…

神社の社号票らしきものだった。

 

県道に向いた面にはデカデカと「向幡神社」。

 

 

 

 

 

そして側面には

「大正十一年四月建」。あと一文字くらいは埋まってそうな。

 

 

 

 

 

そしてもう一方の側面が謎だったんだが、

「改築大ユ中」ってなんなのか。

 

 

まあそもそも、なんでこんななにもない場所に神社の社号票が建ってるのか?まさか、遷座された神社の名残りとかか?とはいえそこは平場なんてなく、とても神社跡地とも思えなかった。

 

 

 

 

 

現地ではまったくわけが分からなかったんだが、改めて地理院地図を見ると、

この上に神社の記号が描かれている。

 

もしかしてここが当該の神社なのかと調べてみたらビンゴ。ただし「向」幡ではなく「白」幡神社が正しい名称で、シンプルに刻まれた漢字の解読を間違っていたっていうね。

 

 

 

 

 

で、今いる吊り橋ほぼ直上の位置からはまったく道が描かれておらず、

実際、社号票の背後も石積みの砂防堰堤が立ちふさがっていたりで、付近に道らしい道もない。

 

現状はこんなんだが、かつてはここに参道があったということなのか?でなければこの位置にある意味が謎すぎる…。

 

 

 

 

 

時折県道を車が通るけど、

たとえ「ここになんか石柱がある…」くらいのレベルでも気づいてる人って、どのくらいいるんだろう。ほぼ誰も気づいてないかも。

 

 

 

 

 

…という、まあこれだけの話だ。需要なさそうなネタだがわたくし的には楽しめたので、こうしてスピンオフとして記事にした次第。

 

 

テーマ分けに少し迷ったが、神社そのものは登場しないので、「道路元標、その他石碑など」に分類しておく。