穴と橋とあれやらこれやら -80ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

一見して「これ、渡れますの?」状態。県道から見下ろした時には意外と健全やん?なんて思えたのは、見えた範囲だけのまやかしだったか~。しかも遠くて状態などわからんかったし。

 

ではあったものの、

部材は金属なので、やってやれないことはない。まずはチャレンジ。

 

床版がないことよりも、この足場の悪さなのに障害物が多いことのほうが萎えた。

 

 

 

 

 

とりあえずは、両端の金属部材に足を置いて進んだ。

この程度の幅なのでなんとかなったが、それにしても床版の板切れときたら、スッカスカですやん。気持ちよくパキーーン!と割れるやつ(汗)。

 

 

 

 

 

上半身の位置に障害物がいっぱいあるので、

必然的にアクロバティックな体勢に…なってようやく気づいた。そこにあるのは橋脚遺構じゃないか。

 

 

 

 

 

まあ渡る前からわかっちゃいたが、

ここで気持ちが萎えた。ここまでして渡る意味があろうか?いや、ない(反語)。

 

 

 

 

 

幸か不幸か、

県道から見下ろした際には健全に見えた対岸側まで一応見渡せたので、

 

 

 

 

 

ここで撤収することとした。

方向転換もプチ苦労。

 

思わずここから直接橋脚遺構に飛び移ろうかとも考えたけど、どんくさいわたくしのこと、大ケガしたらバカらしいので自重した…ことを思い出したわ。

 

 

 

 

 

ふと目についたこの景、

この橋がこういう状態になって何年くらいなんだろうか?

 

 

 

 

 

はい、戻りまして

サイドから黒川に降りた。

 

手前にあるコンクリ塊には渡る前から気づいていたが、これなんの遺構だろう?

 

 

 

 

 

そしてここでさらに気づきが。

対岸側にも橋脚残ってるやん!

 

 

 

 

 

状況的に先代橋のものだと思われるが、気になるのは吊り橋と同位置ではなく、

 

微妙に上流側に(しかも少しだけ斜めにオフセットして)位置していること。

 

まったくの同位置にしなかったのは、先代橋が架かった状態でこの吊り橋が架橋されたことを意味してるのかも。橋台部分に支障が出たとかだろうか?あるいは何か他の事情?

 

 

 

 

 

橋脚の根元にこんなんあったのだが、

なんだろうね?

 

 

 

 

 

あと、同じような写真で恐縮だが、

対岸側の橋脚、河原の露岩に直接立てられているのが地味に高ポイント。

 

 

 

 

 

最後に、上流側からのサイドアングルを。

もちろん対岸へ渡ろうと試みたが、微妙に長靴では無理な水深だったので断念。

 

上2枚の写真にも写っているが、対岸の白い建物(地図によるとキャンプハウス)に人の気配があり、あからさまな廃橋をチョロチョロするのがはばかられたため、改めて対岸へ回り込むこともやめておいた。ここまでで十分満足したし。

 

 

気になっていた橋はある意味予想通りでもあり、予想以上でもあった。満足して撤収。

 

 

 

 

以上。

 

…だが、この直後にちょっとした発見があったので、スピンオフとして【次回】に。期待はしないでいただきたい(笑)。

 

 

 

2020年9月22日、謹慎明け東濃~中濃徘徊の2日目。この日のネタで記事にしているのは、朝イチの白川付知林道シデノキ旧廃道とその周辺南北橋七宗第四トンネル旧廃道柿ヶ野隧道飛水峡の飛騨川右岸歩道

 

今宵ご紹介するのは、お昼前に訪ねた、気になってた物件。

 

 

 

気になってたっていうのは、航空写真で見つけてた橋で、

わかりますかね?中央、文字に隠れぎみだけど。これどうも吊り橋じゃないか?ってことで。

 

 

 

 

 

てなわけで現地にやってきたのだが、全然わからず通り過ぎてしまった。これは歩いて偵察しないとわからんやつか。

 

この辺やろ、って付近に車を置いてよくよく観察したらば…

あっ、あった!

 

赤丸部分、主塔が見えてるの、わかるだろうか?やっぱり吊り橋だったか。

 

 

 

 

 

ちょっと位置を変えて、ズーーム。

なるほどなるほど、日なたには床版も確認できた。よーし、渡れそうだ(フラグです)

 

問題はアプローチなんだが、どっから行くんだねキミぃ。

 

 

 

 

 

実は件の橋、地理院地図なんかにも載っているのだが、普通に県道から分岐して渡る感じに描かれている。

そう、実際は全然違った。

 

 

 

 

 

黒川下流方向(地図では左側)へしばらく歩いてようやくアプローチらしき場所を見つけたが、

ここか~。

 

 

 

 

 

どうやらこっからトラバースしながら吊り橋のあるレベルへ降りていくようだが、

ありませんやん!

 

ありませんというか、藪で道に見えなくなっている状態。

 

 

 

 

 

ちなみに目の前に見えているピンクテープは、

国土交通省の地籍調査のもの。

 

この趣味をやっているとちょいちょいお目にかかるやつだが、ものすごい山奥で出会ったりすると、人の痕跡を感じてほっこりしたりする。個人の感想です。

 

 

 

 

 

幸い、藪は最初だけで、

踏み跡も明らかな、ちゃんとした「道」になった。このへんとか「石畳!?」とか思ったけど、まあ0.5秒ほどだけ。

 

 

 

 

 

主塔が見えてきたが、

その手前に、なんかあるぞ。

 

 

 

 

 

そこにあったのは、

簡易なコンクリ桁橋。

 

 

 

 

 

そしてその左側には…

ず、隧道!?

 

いやいや、そんなわけはなく、これは県道の下を抜ける暗渠。山からの沢水を逃がすものだ。

 

 

 

 

 

長らくメンテされていないのか、

洞床部分はこんな惨状。ひどくないこれ?

 

 

 

 

 

いつでもどこでも(笑)鉄板の構図。

裏切らないのよこれが。

 

 

 

 

 

さてようやく、吊り橋の前へ。

不都合な真実からはとりあえず目をそむけた(笑)。

 

水色の主塔上部のなんかハエタタキっぽい感じ(語彙よ…)、この遠征で訪ねた近辺の吊り橋のデフォルト通りなイメージ。まあどれも記事にしてないけど…。

 

 

 

 

 

橋台手前、よく見ると、

石積み土留めですな。それなりに古くからここに橋があった状況証拠…かも。

 

 

 

 

 

さて、では…現実に目を向けて。

これ、渡れますの?

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

今回はしばらくぶりに、引き画像を載っけてみる。

気休め程度に、画像処理を施しておりますが~。

 

 

 

 

これもまた提供はかなりローカルなお店で、

「御菓子司 長栄軒」。

 

だいぶ古そうな看板だが、この長栄軒さん、当然のように今も書いてある通りの場所で営業されている。観光客向けではない、京都に数多くある、ご近所の方が買いにくる系の和菓子屋さんである。

 

 

こういうジモティー専属系和菓子屋さんを巡る旅っていうのも、ステレオタイプな京都観光では飽き足らない方にはおすすめかもね、そうかもね。

 

 

2021年11月13日、南紀周回宿題回収ツアーの初日。この日のネタで記事にしているのは、メインターゲットだった千人場の滝の隧道訪問記旧・王子橋。今宵はそれらよりも前、お昼前に訪ねた隧道をご紹介。

 

 

 

いきなりこれ。

いや、なんか気に入った写真なもので使いたかっただけで。

 

 

 

 

 

はい、こちら。

カーブしながら進入する悪線形の、無骨なコンクリート隧道。場所はこちら、西側より。

 

 

 

 

 

ここまでくれば、

向こうが見えた。延長は35mだそう。

 

 

 

 

 

お名前は、

「熊瀬川隧道」。昭和52年3月とあった。

 

実際はもっと古くからあったように思えるロケーションだが、調べた範囲では確認できなかった。

 

 

 

 

 

洞内は、

無照明のコンクリート打ち。他にはコメントなし。

 

 

 

 

 

東側、鉄板の構図。

いいですな~。落ち着くな~。

 

 

 

 

 

たった35mの隧道だが、

この短さで全く違う川の谷筋へと抜けている。

 

 

 

 

 

地理院地図だとそれがよく伝わるんだが、

ピンポイントにここ!ってところを突いてるよな~。いや~、この地図だけでどんぶり飯イケるわ。

 

 

 

 

 

こういう、隧道を抜けるとガラッと違う地平が開けるっていうのが、

やっぱ醍醐味よなあ。

 

 

 

 

 

振り返って正対。

こちらも無骨なポータル。

 

 

 

 

 

扁額は…まったく同じかな?

なんか、間違い探しレベルで微妙に違う気もするが、ワカリマセーン。

 

 

 

 

 

極めて地味な物件であり、隧道愛好者でもあまり響く人はいないかもしれないが、

こんなのも大好きだ。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2023年8月22日に敢行した薬院新川の古橋群探索は、酷暑のため福海橋宮の谷橋御陵橋土居橋で打ち切り。平尾架道橋(仮)を見て終了。翌々日8月24日、残る橋をチェックするため、再び西鉄平尾駅へ降り立った。

 

市崎橋餅田橋を経て、その名も新川橋でついに白塗りの呪縛から逃れたところまでをご紹介してきた本シリーズ、残すは今回を含めて2回となる。

 

ラス前の今回は、この日最も撮影しにくかった橋。車も人も、まあよく通ってよく溜まる。これだから街中ってキライ。記事内写真は、最大限人のいないタイミングを狙ったものとご理解いただきたい。

 

 

暑さでバテバテになりながら、まずはこれ。

薬院新川、上流側からのサイドアングル。欄干、またしても白塗りですやん…。

 

場所はこちら。薬院駅至近、160万都市・福岡市のガチ街中である。

 

 

 

 

 

このように、

親柱に特徴がある橋。

 

 

 

 

 

東側より。

きっと古い橋なんだが、周りがあわただしくて、まるで楽しんでる余裕がない。

 

 

 

 

 

この特色ある親柱もねえ…

おかげさまで読みづらいことこの上なしなのよ。

 

読めます?これ。一応「姿見橋」と刻まれとりますが。わたくしにはわかってましたぞ。なぜなら、そこの交差点名が「姿見橋西」だったんですな~。

 

 

 

 

 

こちらにはお誕生日が刻まれていたのだが、もうさっぱり。

もっとアップで撮った画像をよくよく見てもわからんかったのだが、「大」で始まってるので大正橋梁であろうと(あとで調べたら、大正14年製だった)

 

 

 

 

 

橋上で写真撮ってる余裕はなく、

渡りきって横断歩道も渡って、西側より。

 

 

 

 

 

イチイチこの親柱を撮りに行くのも大変だったわ~。

これは仮名での橋名。あらかじめわかってれば「すがたみはし」と読めた。

 

 

 

 

 

で、今日イチ個性ある親柱が最後のコレだったのだが、

「福岡市西●●耕地整理組合」。

 

耕地整理(および組合)については各自調べていただくとして(ひどいね相変わらず)、今でこそこんな街中だけど、かつては耕地整理が行われるほどのどかな場所だったってことよね。隔世の感があるなあ。

 

 

 

 

 

最後に、下流側よりサイドアングル。

いい橋ではあったけど、とにかく落ち着かん橋だった。そそくさと立ち去って、最後のターゲットへ。

 

 

 

では来月、最終回で。