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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

本日2月2日、今年初めての探索に行ってきた。年頭から仕事場が変わり、環境への適応やなんかでなかなかお出かけマインドにはならなかったんだが、ようやく。

 

探索とはいえ超お手軽、場所もめっちゃ家近。気になってた場所を確かめに行っただけのものだが、いいリフレッシュになった。いやあ、やっぱ好きだなあ、山の中。

 

 

 

ダイジェストにするほどでもないのだが、三枚ほど貼っておく。

 

 

 

 

最初の写真に見覚えのある人は、かなりディープなお客様だと思う。以前記事にしたことある場所なんだけど、まあ地味な記事だったし。そこを出発点としたのが本日のメインテーマ。

 

そして三枚目はおまけ。これも地味~だったが、楽しめた。

 

 

 

 

半日にも満たないプチ探索だったが、気が向いたらいつか記事にするつもり。

 

 

 

【10】より続く…つうか、当日の流れのままに。

 

 

 

探索を終えて、起点付近まで下りてきた。

あ、これは単なる古びた消火栓。

 

 

 

 

 

ここで反転しまして、

これが今戻ってきた、中音水林道。かつての軌道跡を上書きした林道である。左に見えるのが、上の写真の消火栓。

 

 

 

 

 

その先にあるのは、

連載初回に出したこの林道起点標。

 

非常~に今さらなんだが、「音水」と書いて「おんずい」と読む。こんなん連載初回に書かなアカンやつやん(笑)。ここのように音読みする地名がたまにあるけど、なんか不思議な感じがする。

 

 

 

 

 

はい~、そしてこれがこの最終回のお題、

何もなければまず記事にしない類のつまんなそうな橋。

 

 

 

 

 

この橋を採り上げた理由は、これが軌道跡の橋だということもあるが、なんといってもこのお名前に尽きる。

「インクラ橋」。いい名前じゃないの~。

 

同業者に説明は不要だろうが、インクラとは「インクライン」のこと。インクラインのことは、各自お調べください(笑)。

 

実は、この中音水支線には四つのインクラインが接続していたらしく、そのうち第一インクラ(正式名称ではないと思うけど)がこの橋を渡った先の突き当り、つまり二枚上の正対写真の正面奥に存在したのだという。

 

わたくしはこの時もうクタクタだったので見に行く気力がなかったが、当然よととさんは見に行かれ、その遺構を確認されている。

 

 

 

 

 

 

渡りきって正対。

この背後にインクラ遺構が眠っているというわけだ。

 

 

 

 

 

お誕生日はこれだが、

この先代はどういう橋だったのかな。

 

 

 

 

 

ひらがな表記もまた、

いとをかし。

 

 

 

えー、わたくしからは以上です(笑)。

 

この後道の駅で解散してからいくつかネタを拾いながら帰ったが、記事にしているのはさなじまはしのみ。

 

 

 

 

最後になったが、記事を書くにあたりほぼ失われていた記憶を埋め合わせるためにカンニングさせてもらったのが、当日ご一緒したよとと師匠のレポ。毎度お世話になります。

 

 

全体の見取り図など含め、こちらご覧いただくと非常にわかりやすいと思う。わたくしより写真も良質(笑)。ここのインクラについては、初回に紹介しておられる。

 

 

 

 

そして、今回の軌道跡はおろか、その奥や四つのインクラと上部軌道をも攻略されたペッカーさんのレポ。さすがっすな~。

 

 

見返してたら、やっぱ再訪したくなってきた~。優先順位高くはないけど(笑)。

 

 

 

 

というわけで、永らくタイミングを失っていたネタを供養することができて良かった。お付き合いありがとうございました。

 

 

【9】より続く。

 

 

 

改めて、木製橋脚をじっくりと。

前回も書いたが、いかにも華奢、そして簡素。

 

この状態は軌道が廃された時点でのものだと考えれば、末期には程度のシンプルな橋脚で事足りるレベルの積載量(搬出量)だったことを意味してるのだろうか。

 

 

 

 

 

倒壊した橋脚と思われる木材には、

このような金属部材が付いていた。

 

 

 

 

 

ここで動画をもう一本。上の写真撮影位置あたりからのものだ。

これまた大した内容ではないんだけども、スケール感とかそういうのは伝わるのかなと。

(今回の二本の動画、再生数伸びなさそうな香りがプンプンする・笑)

 

 

 

 

 

さて、こうなるともちろん反対側からも見たいわけで、

 

行ったよ!

おおおおカッコイイーー!!

 

これ、架かった状態で見たかった~。どんな感じだったのか想像するしかないが、前代未聞の鉄筋コンクリートと木材のハイブリッドによる四径間ガーダー橋梁、さぞかし壮観だったに違いない。

 

 

 

 

 

けどこうして、

わずかながらも「架かって」いてくれただけでもありがたい。

 

あれから7年半、今では木製部分は完全倒壊していたとしてもおかしくはない。ちょっと再訪したいなあ…。

 

 

 

 

 

さて、あと触れておかないといけないのが、もう一つの橋梁跡。我々が辿ってきた軌道跡からスムーズにつながる位置にあるものだ。

 

この写真をご覧あれ。

中央に大きな橋台。写真奥から軌道跡を辿ってきて、その延長線上に橋台があるのがわかると思う。

 

左に写っているのが先ほどまでご紹介した四径間のハイブリッド橋梁なんだが、まさに軌道跡に対して直角に架かっているのもお分かりいただけるかと。

 

見た目の印象だけだが、こちらの橋台の苔むし具合を見るに、より古いものではないかと思われる。旧線なのか、この先にさらに延びていたのか。申し訳ないが、わたくしにはわからない(笑)。

 

 

 

 

 

で、これが、対になる橋台。つまり、上の写真を撮影した側。

まだ先まで延びていたようにも見える平場があるな…。当日、なんで追いかけなかったのかはもはや記憶が皆無。やっぱ再訪したいな、ここ。

 

 

このあたりの考察と今回辿った軌道跡の地図などは、最終回にリンクする「カンニング元」でご参照いただきたい。ええ、丸投げですけど?(笑)

 

 

 

 


この後は、【8】で書いたように建物遺構の残るエリアへ戻り、「下の段」を確認したあと撤退した。撤退は軌道跡を忠実に戻るのではなく、中音水川をダイレクトに下っていくルート。

 

その途中では

こんなレールを見つけてたりもしたようだ。そうだっけ。

 

 

 

 

 

数度の渡渉とあやふやな踏み跡トレースで、

特に危ないところはなかったと思う。

 

 

 

 

 

たぶんこの辺が

ちょっと険しかったのかな。これは振り返っての撮影。

 

 

 

 

撤収開始から30分ほどで、

最初に中音水川を渡ったこの橋梁へ戻ってきた(写真は使い回し)。今回は写真奥から降りてきた、という図になる。

 

高度を稼ぐために折り返した軌道跡に対しダイレクトに下ってきたわけだが、かなりショートカットできた感じはあったな。その分、隧道など行きに見た遺構の「おさらい」はできなかったわけだが。痛し痒し。

 

 

 

 

 

あとは、

再会した軌道跡を辿り、

 

 

 

 

 

林道へ復帰。

これは最後尾をフラフラしていたわたくししか気づかなかったと思うが、しばらく小動物と伴走する一幕もあった(赤マル部分)。

 

あれなんだったんだろう。狸…にしては小さいのか。

 

 

 

 

 

そして、撤退開始から1時間と少しで、

デポ地へ帰還。お疲れ様でした!

 

 

 

ここまで書いて、まだ最終回ではないっていう(笑)。いや、【次回最終回】は、番外編を。

 

 

 

【8】より続く。

 

 

 

建物遺構の点在するエリアからはすぐだった。

新たな橋梁登場。そしてこれが、最後の橋梁だった。

 

どうやらここが、この日の目的地(いや、連れてってもらっただけで何もわからず行ったんで…)のようだ。

 

いろいろ引きの撮影をしてなかったんでいかにも唐突で申し訳ないんだが、この橋梁がまた不可思議。辿ってきた路盤に対して直角の位置に架かっているのである。後ほど登場するが、そのまま路盤を進んだ先にも橋梁(の痕跡)があるのだが、これは一体どういう状況?

 

 

 

 

 

さっそくよととさんが渡ってるが、

わたくしも渡ってみよう。

 

 

 

 

 

でもその前に上流側からもサイドアングルを…って、あっ。

わかりにくいかもしれないが、2径間のその先は無くなっている。流されたようだ。

 

 

 

 

 

でも当然(?)

先っちょまで見に行く。

 

 

 

 

 

で、途中の写真はなく

いきなり先っちょ。いや、思ったより怖かったのよ(笑)。

 

 

 

 

 

その先っちょからさらに先、橋の残り部分が存在したはずのあたりを見てみると、

うおお、あれはなんと!

 

見にくいと思うが、それはまた後ほどご紹介するとして、

 

 

 

 

 

この先っちょで撮った動画を。

正直、これだけ見ても色々と伝わりにくいかとは思うのだが、まあせっかく撮ったんで(笑)。

 

 

 

 

 

今度は下から。

A型の橋脚を見て、思えば橋脚ありの橋梁はここが初めてだったなと思い至った。

 

 

 

 

 

これはまだマシだが、

あの「先っちょ」を支える二本目の橋脚は、けっこうヤレてるようだ。

 

 

 

 

 

別角度。

うーん、マンダム。

 

 

 

 

 

そして、上の撮影位置から左へ向き直って撮ったのがこれで、「先っちょ」から視認したものがよく見えた。それは、

まさかの、木製橋脚。手前のは、倒壊したもう一本の橋脚か?

 

これどういう状況?木製橋梁だったのを半分だけコンクリ製に換えるわけもないから、やっぱ半分流されたコンクリ橋梁の復旧を木製でしのいだってことだろうか、そのくらいしか考えつかない。

 

それにしても、いかにも華奢な丸太に見える。もっと丈夫な木でなくて良かったんかね?もちろん経年でだいぶ痩せたのだとは思うものの。

 

 

 

 

 

いやあ、

なんだか魅せられるなあこの橋梁には。

 

 

 

 

 

ちょっと長くなったので、

ここで一旦切る。

 

 

 

 

【10】に続く。

 

 

 

 

 

【7】より続く。

 

 

 

 

ささやかな支流に残る、

存外に立派な橋台。短いガーダーが架けられていたのだろうが、失われていた。

 

で、その先の路盤脇に何かが建って?いる。

 

 

 

 

 

それと、

斜面の下にも。

 

 

 

 

 

あっちはとりあえず後回しとして、まずは、

路盤脇の建物…の残骸をチェック。

 

内部がどんなだったか、なぜか写真を撮ってない。特筆すべきものはなかったか。

 

 

 

 

 

わたくしが気になったのは、

ここ。

 

 

 

 

 

かつてよく見たタイプの、金属の蓋。そこには

「火の用心」と。イイっすな~。

 

ここはアレかな?お風呂だったところかな?

 

 

 

 

 

そばには、

お約束の一升瓶。

 

 

 

 

 

隣接して残る、

もうひと棟の建物基礎。

 

これはやはり、かつての林業従事者が宿泊した詰所…かなにかかと思われる。

 

 

 

現場では、このまま一旦進軍再開、戻ってきた際に「下の段」を探索したのだが、記事構成上今回まとめてしまう。

 

 

 

 

 

よってここからは、

40分ちょい後に戻ってきた後の写真となる。

 

よととさんが何かを発見。なんだ?

 

 

 

 

 

わたくしも見に行ってみれば、

うわ~!カワイイサイズの焼却炉。これ、家庭用よなあ。

 

 

 

 

 

そしてこれまたお約束、

茶碗とヤカン。こういった場所には絶対あるよね~。

 

 

 

 

 

完全に倒壊してもはやなにもわからない小屋の向こうには、

対照的にしっかりと残っている(ように見える)、もっと小さな小屋が。あれが、最初の二枚の写真に写っている、下の段の小屋になる。

 

 

 

 

 

その前にこれは…えーと、

上の写真右に見切れたあたりにあったんだったか?

 

煉瓦で組まれたこれは、なんでしょね?釜的な?てきな?

 

 

 

 

 

そしてこの小屋は…

サイズ的に…アレか?厠的な?はばかり的な?雪隠的な?てきな?

 

 

 

 

 

えーと、これは?

なんでしょうか?

 

ワカリマセーン。ドナタカ、オシエテクダサーイ。

 

 

 

 


はばかり的小屋の横から振り返り。

基本的に「廃墟」は弊社業務範囲外なんだが、この手の「遺構」は好きだ。このライン、わかっていただけるかなあ。

 

 

現場では、これより帰投作戦へと移行したのだが、記事ではいよいよ大詰めに。

 

 

 

 

【9】に続く。