【9】より続く。
改めて、木製橋脚をじっくりと。
前回も書いたが、いかにも華奢、そして簡素。
この状態は軌道が廃された時点でのものだと考えれば、末期には程度のシンプルな橋脚で事足りるレベルの積載量(搬出量)だったことを意味してるのだろうか。
倒壊した橋脚と思われる木材には、
このような金属部材が付いていた。
ここで動画をもう一本。上の写真撮影位置あたりからのものだ。
これまた大した内容ではないんだけども、スケール感とかそういうのは伝わるのかなと。
(今回の二本の動画、再生数伸びなさそうな香りがプンプンする・笑)
さて、こうなるともちろん反対側からも見たいわけで、
行ったよ!
おおおおカッコイイーー!!
これ、架かった状態で見たかった~。どんな感じだったのか想像するしかないが、前代未聞の鉄筋コンクリートと木材のハイブリッドによる四径間ガーダー橋梁、さぞかし壮観だったに違いない。
けどこうして、
わずかながらも「架かって」いてくれただけでもありがたい。
あれから7年半、今では木製部分は完全倒壊していたとしてもおかしくはない。ちょっと再訪したいなあ…。
さて、あと触れておかないといけないのが、もう一つの橋梁跡。我々が辿ってきた軌道跡からスムーズにつながる位置にあるものだ。
この写真をご覧あれ。
中央に大きな橋台。写真奥から軌道跡を辿ってきて、その延長線上に橋台があるのがわかると思う。
左に写っているのが先ほどまでご紹介した四径間のハイブリッド橋梁なんだが、まさに軌道跡に対して直角に架かっているのもお分かりいただけるかと。
見た目の印象だけだが、こちらの橋台の苔むし具合を見るに、より古いものではないかと思われる。旧線なのか、この先にさらに延びていたのか。申し訳ないが、わたくしにはわからない(笑)。
で、これが、対になる橋台。つまり、上の写真を撮影した側。
まだ先まで延びていたようにも見える平場があるな…。当日、なんで追いかけなかったのかはもはや記憶が皆無。やっぱ再訪したいな、ここ。
このあたりの考察と今回辿った軌道跡の地図などは、最終回にリンクする「カンニング元」でご参照いただきたい。ええ、丸投げですけど?(笑)
この後は、【8】で書いたように建物遺構の残るエリアへ戻り、「下の段」を確認したあと撤退した。撤退は軌道跡を忠実に戻るのではなく、中音水川をダイレクトに下っていくルート。
その途中では
こんなレールを見つけてたりもしたようだ。そうだっけ。
数度の渡渉とあやふやな踏み跡トレースで、
特に危ないところはなかったと思う。
たぶんこの辺が
ちょっと険しかったのかな。これは振り返っての撮影。
撤収開始から30分ほどで、
最初に中音水川を渡ったこの橋梁へ戻ってきた(写真は使い回し)。今回は写真奥から降りてきた、という図になる。
高度を稼ぐために折り返した軌道跡に対しダイレクトに下ってきたわけだが、かなりショートカットできた感じはあったな。その分、隧道など行きに見た遺構の「おさらい」はできなかったわけだが。痛し痒し。
あとは、
再会した軌道跡を辿り、
林道へ復帰。
これは最後尾をフラフラしていたわたくししか気づかなかったと思うが、しばらく小動物と伴走する一幕もあった(赤マル部分)。
あれなんだったんだろう。狸…にしては小さいのか。
そして、撤退開始から1時間と少しで、
デポ地へ帰還。お疲れ様でした!
ここまで書いて、まだ最終回ではないっていう(笑)。いや、【次回最終回】は、番外編を。