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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

今宵はちょっと毛色の変わったやつをご紹介。

 

 

こいつなんだが、

「コンビニエンスストア LAWSON」。

 

 

これ、プラスチック製だったかな…なんにせよ琺瑯看板じゃなくてもっと新しいものではあった。が、この手の住所看板でコンビニのものって珍しいのじゃないかな。

 

 

で、実際いつ頃に設置された看板なんだろうか。

 

 

まず、営業時間が「あさ7:00~よる11:00」とあるように、24時間営業が常態化する前の、コンビニ黎明期ののものだ知れる。郵便番号が7ケタになったのは1998年2月だそうだから、それよりも古いもの。そしてローソンの日本初出店は1970年6月の桜塚店(大阪府豊中市)ということで、もちろんそれ以降のもの。

 

1号店が大阪ということで、お隣である京都への出店もかなり早かったんじゃないかなとは思うのだが、京都初出店はいつだったんだろうか。そこがポイントな気がする。出店後まもなく、力を入れて告知したい時期に設置されたとみるのが自然だろうから。

 

 

ちなみに、1980年代初頭頃には、京都のガチ田舎であったウチの実家近くにも確実にローソンがあった。それも2軒。うち1軒は現在に至るまでずっとその場所で営業している。40年以上も同じ場所で営業「し続けている」コンビニって、案外レアじゃないすか?

 

 

 

 

しばらくぶりに、吊り橋ネタをやりたくなってしまった。どっか渡りに行きたいなあ…。

 

 

 

2022年5月4日、ノートさんラストラン@紀伊半島の2日目。自分で「吊り橋の日」って命名するほどに吊り橋三昧だったこの日、数えてみたらその数25本(笑)。ここまで吊り橋まみれになったのは、後にも先にもこの日だけやな~。

 

この日のネタで記事にしているのは、川根橋訪問記向山の吊り橋訪問記佐田の吊り橋訪問記と朝方のやつばかり。今回ご紹介するのはそれらよりもうちょい後、お昼の12時半ごろに訪ねたやつ。

 

 

 

いきなり、ドン。

国道371号から直接生えてる吊り橋だ。場所はこちら

 

現地では何の情報も得られなかったが、いつもお世話になっております、なQ地図によれば、お名前は中村橋、1961(昭和36)年完成とのこと。意外と凡庸なお名前、「五味の吊り橋」とか呼んだ方が雰囲気があるけどね。

 

 

余談ながら、現在の田辺市ってとにかく広大かつその大部分が山間部で、市内のみの二点間移動であっても、それぞれの場所が場所なら一日仕事になりそうな…と言っても大げさではないレベル。地図リンクをご覧いただいて伝わるかどうかわからんけど、失礼ながらこのあたり、紀伊半島でも屈指の僻地のイメージがあり、どこからでもリアルに遠いと思う。

 

 

 

 

 

そんな場所に点在する生活用吊り橋たちのひとつがこれだ。

とは言ってもこの橋付近に人家はないけどね。

 

紀伊半島の吊り橋のスタンダード的なつくり。まあ、しっかりしたもので、不安感はない。

 

 

 

 

 

ここで何が良かったって、

この美しい前ノ川の流れ!これは降りてみたい。後で降りられるか探そう。

 

 

 

 

 

先ほどのは上流側で、

これは下流側。

 

この上流にも人家はあるのでさすがに飲んでみようとは思わなかったが、見た目にはこの上ない清流。

 

 

 

 

 

この手の吊り橋のデフォルトと言ってもいい踏板二枚、

こんな感じだ。

 

 

 

 

 

橋長は

30m弱くらいかな?

 

 

 

 

 

渡りきる手前に、

森の仲間の落とし物。

 

ある程度フレッシュな感じではあった。このあたり、普通に住んでるはず。

 

 

 

 

 

ウ〇コに気を取られたか(笑)、なぜか正対写真撮り忘れで、

代わりにこれを。

 

 

 

 

 

メインケーブルは、

背後の山に固定…って、なんだこのコンクリ構造物。片側だけアンカーレイジ?強度的にこっちだけ必要だったとかかな?

 

 

 

 

 

橋詰は丁字路になっていて、

これは下流方向に向かう道。

 

 

 

 

 

そしてこちらは

上流側へ。

 

それぞれ前ノ川沿いの、あるいは山を越えた先の集落(その多くは今や無住だろう)へとつながる道。元気なうちに、こういう道も歩いてみたい気持ちもある。

 

 

 

 

 

まあ当日はもっと色々回りたいので、

そそくさと戻った。

 

 

 

 

 

いやあこういう吊り橋、定期的に無性に渡りたくなるよねえ(弊社基準による)

つうか、この時ぶりに紀伊半島深南部に行きたいわ…。

 

 

 

 

 

国道へ戻って様子を窺うと、前ノ川へ降りられる場所を発見。

 

つうわけで首尾よく、

河原から~の一枚。イイねぇ~!

 

 

 

 

 

太陽の位置のマジックで、

もう一本の吊り橋も出現。最高ですやん!その気になれば渡れそう?


個人的な好みでいえば、シルエットの美しさでは吊り橋が一番。この癒し空間を十分に堪能した。



以上。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

隧道海側に見つけたのは、

いかにも…な道。明らかに岩を削って付けられており、しかもちゃんと入口が確保されているっていう。

 

これが隧道ができる前の旧道(旧々道)と即断はできないが、その可能性はある。

 

 

 

 

 

当然ながら、

行く。

 

 

 

 

 

写真で見ると怖そうに見えるが、

実際それほどでもない。高所が苦手だとキツいかもしれんけど。

 

 

 

 

 

左カーブを回り込むと、

その先には手すりと、わかりにくいがごく小さなコンクリ橋。ちゃんと整備されている。

 

…って、イヤイヤイヤ。あそこに手すり付けるのに、さっきの断崖パートはスルーかーい。まあ我々的には楽しいけどさ(笑)。

 

 

 

 

 

で、これが、

ミニコンクリ橋。

 

なかなかスパルタンな道だけど、踏みしめる岩には十分なグリップがあり、その点での不安は皆無。

 

 

 

 

 

岩棚に登って、見上げてみれば…

うわ、なんかすげえ岩!

 

 

 

 

 

そして、

道らしい道はなくなった…と思う。確か。

 

これが旧道(旧々道)であるかは疑わしいかも。前回お見せしたように、輪島側には道の痕跡が見られなかったし…。

 

 

 

 

 

もちろん波の浸食や

度重なる地震などで崩落して消えた可能性もあるけど。

 

 

 

 

 

こんなんとか改めて見ると、

今回の震災でも起こったが、いわゆる「隆起」の痕跡じゃないんだろうか。違う?

 

近年大きな地震が頻発していた能登地方だが、有史以前から考えれば相当数の地震が起こってきたはずで、それら地殻変動と波による浸食の痕跡がこうして目に見えているのではないかと…知らんけど。

 

 

 

 

 

とりあえず道もなくなったので、

撤収することに。

 

 

 

 

 

うーん、

この景はヤバいな。

 

この海沿いの旧道も、もしかして1792(寛政4)年に開削された麒山道(この記事内参照)の一部なんだろうか。八世乃洞門からは1.3kmほどしか離れていないし、もしかしたらほぼ同時期に拓かれた道なのかもしれない。

 

 

 

 

 

だとしたら、

この真浦隧道も、実はさらに古い隧道の拡幅改修された姿、なんて可能性はないのだろうか。

 

 

 

 

 

なんの根拠もない妄想だけど、江戸期の隧道だとしてみれば、

80m超えのこの延長はなかなかアツイ。

 

 

 

 

 

繰り返すが、なんの根拠もない妄想。

でも、そんなことをつらつら考えるのも一興かなと。

 

 

 

 

 

この震災で、

ここに写っている道路一帯がほぼほぼ崩土の下となってしまった。

 

少なくともこの旧道はおそらく復旧されないと思われるので、やはりなんでも写真を撮っておくっていうのは大事なことだなあと改めて感じた。

 

 

 

 

 

この後篇は隧道記事とは呼び難い内容だったけど、まあご容赦いただいて。とにもかくにも、被災地域の一日も早い復旧・復興を願う。

 

 

 

 

 

 

 

【逢坂隧道】より続く。

 

 

 

ここに到着した時から気付いていたが、

旧道は反対側と同じく封鎖されていた。

 

反対側には特に表示がなかったように思うが、こちらは「通行止」となっている。立入禁止ではないので、問題なしだ。

 

 

 

 

 

こっちの旧道はホント短く、

あっという間に見えてきた。あれが目指す旧隧道。

 

 

 

 

 

なんだが…その前に気になったのが

隧道脇の岩礁。

 

チャチなガードロープだけで道路と隔てられたそこは、なんとも不可思議な浸食を受けていた。あるいは真ん中のやつ、崩れてきた岩なのか?

 

 

 

 

 

さておき、

旧隧道に正対。

 

さすがにこれは心許ない。新隧道が掘られたのはもっともな判断だったと思う。まあ前回お伝えした通り、その新隧道もどうやら放棄される運命となったようだが…。

 

 

 

 

 

さて、前回からずっと新隧道とか旧隧道とか言ってるが、実は現道とはお名前が違ってて、

旧隧道は「真浦隧道」という。

 

所在地も珠洲市真浦町なんで至極真っ当な名前であり、逆に「逢坂」のほうがどっから来たのか、って話だ。字名なんだろうか。

 

飾り気のない質素なポータルにあって、帯石・笠石状のラインとアーチ環を模したデザインが心ばかりのおしゃれなんだろうか(意味不明)。

 

 

 

 

 

何らかの表示であったであろう金属片が取り付けられていたが、

サビッサビすぎて全く判読できなかった。「トンネル内点灯」「先入車優先」…なんて書いてあったんだろう。

 

 

 

 

 

殺風景な隧道とは裏腹に、個人的にオッとなったのが、

この擁壁。

 

谷積みで組まれており、ところどころ色違いの石が混じっているのがパッチワークみたいで楽しい。なかなかきれいじゃない?

 

 

 

 

 

さあ、では…

洞内へお邪魔。なんだこのちょっとだけ巻き立てなし区間は。

 

 

 

 

 

写真がヘボくて伝わらないだろうが、

抜けた先にも海が見えていた。素敵やん…。

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

こっちもまたええ感じなんだな~。

 

 

 

 

 

洞内は基本的に、

素掘りのモルタル吹付で、

 

 

 

 

 

両端付近が

コンクリ巻き立て、という構成だった。

 

 

 

 

 

抜けますと…

おおお…。

 

この時でさえもちょっとピリッとくる感覚があったが、今の目で見ると…この真浦隧道も無事では済んでいないだろうな。現道からの近さを考えても、逢坂隧道に引導を渡した山体崩壊に巻き込まれた可能性が濃厚。

 

 

 

 

 

振り返って、こちらが

真浦隧道・珠洲側坑口。

 

 

 

 

 

こちらには美しい色合いの銘板があった。

竣工は昭和37年となっているが、隧道データベースによれば、実は昭和25年竣工らしい。改修されてポータルができたのが昭和37年、ということなのかと思われる。

 

 

 

 

 

ここでふと隧道脇に目をやり、

あっ。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

先月記事にした大谷トンネルと同じく、この度の震災で被害の出た隧道を知った(間違いなく他にも多々あるはずだが…)ので、往年の姿と災害の規模を知っていただきたくて記事にすることにした。この件はおろろnさんから教えていただいた。いつもありがとうございます。

 

 

 

2015年4月30日、初の能登遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、新旧の鞍崎隧道八世乃洞門旧廃道と麒山道恋路の不条理な歩行者用シェッド恋路隧道真脇隧道北河内トンネル夏分橋木ノ葉隧道長谷の澗隧道と旧道

 

今回ご紹介する問題の隧道は、鞍崎隧道と八世乃洞門の間にある、国道249号の隧道である。

 

 

 

東(珠洲側)から接近。

当日は、あの隧道はあくまでおまけ。目指していたのは、海沿いに延びる旧道にある旧隧道だった。

 

にしても…。「いま」の目で見れば、この辺の地形も恐ろしい。

 

 

 

 

 

早朝(5時47分)にもかかわらず

旧道入口には釣り人のものらしき車がたくさん停まっていた。現在地はこちら

 

今回特に被災の報を見たのは、こちらではなく輪島側についてなんだが、まあこの珠洲側も決して無傷ではないだろうな。冒頭の写真を見れば、容易に想像できてしまう…。

 

 

 

 

 

なんてことないビジュアルの、

これが本日のお題。

 

 

 

 

 

その名は逢坂隧道。

特に北陸でよく見る、ひと文字ずつのパネル扁額(勝手に命名)だ。

 

 

 

 

 

きれいかつシブい銘板。

昭和58年8月完成。

 

この記事を書いてる現在からだと40年経ってる隧道だが、この場所において十分なスペックだと思う。

 

 

 

 

 

さて、お目当ての旧隧道を目指そうと

旧道へ足を向けたのだが…。

 

 

 

 

 

遠いな。

遠い。

 

まあ歩くのは苦じゃないんだが、写らないようにしてるがやはり釣り人がけっこういて、なんかめんどくせえな、ってなって。

 

さっきの鞍崎隧道(冒頭リンク参照)と同じく旧道を完歩して現道(逢坂隧道)を抜けて戻ってこようと思ってたんだが、気が変わった。こっちはパスして輪島側からアプローチしよう。

 

 

 

 

 

つうわけで車に戻るんだが…

「当時の目」でさえ、このへん怖いなあ…と思って撮ったはずだ。この写真と次の写真と。

 

 

 

 

 

あんな高いところまで、

びっしりと巡らされたベルギーワッフル。

 

あれは、2007年3月25日に発生した「平成19年能登半島地震」(M6.9)の被災痕なのではないかと思われるが、今回の地震でまた崩落してしまったのではないかと…。もしかしたら、今回被災が報じられた輪島側(今からご紹介する)よりも激しく被災している可能性もあると思う。

 

 

 

 

 

さて、逢坂隧道を抜けて、

やって参りました輪島側。

 

 

 

 

 

以下、在りし日の姿など何枚か。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、問題はこっからだ。

 

これは、輪島側の新旧道の絡みが面白くて撮った一枚。

5枚上の写真を見返していただければ、どこから撮ったかはわかると思うので、おおよそのスケールや距離感はイメージしてもらえるだろう。

 

 

 

 

 

で、赤枠で囲った部分の拡大がこれ。

中央の路肩に立っているのは、トンネル内情報を表示する情報表示板。あれを目印として覚えていただきたい。

 

 

 

 

 

そして、この動画だ。

 

石川テレビ公式チャンネルの動画で、2月2日公開時点での情報とご理解いただきたいが、サムネ画に写っている情報表示板が、まさに先ほどのそれそのもの。つまり、隧道からあんなに離れたところまで崩土で埋め尽くされているというのだから仰天した。

 

ここまでの写真を見返していただければ、珠洲側と比較するとまだ輪島側のほうが山の切り立ち具合は少ない印象。にもかかわらずこんなところまで崩土が押し寄せるっていうのは、これはもう土砂崩れではなく山体崩壊と言って差し支えないだろう。なので余計に、「輪島側でこれなら珠洲側は一体どうなってる?」と思ってしまうわけである…。

 


この状態では隧道自体がどうなっているのかははかり知れないが、崩落している可能性が高いのだろうな、やっぱり。この現場で巻き込まれた車が残っていたりしないのか、懸念されるところだが…。

 

動画内情報によれば、国交省は逢坂隧道を諦める判断をしているようだ。まあそういう判断になるだろうし、確認にはかなり時間がかかるだろうな

 

 

それにしても、地元局ならではのこういった局地的情報は貴重だなあと、改めて思った次第だ。

 

 

 

 

【次回】からは、旧隧道をご紹介していく。