仕事で名古屋にレオパ暮らしだった2012年6月26日、枇杷島周辺を歩いた際に出会った橋梁をご紹介。
いきなりこれを見せたら…
なんやねんこれ(笑)。黎明期のポリゴンモデルみたいなご面相がたまらんっすな。現在地はこちら。
で、昔のわたくしの悪いとこ出てるんだが、引きを撮ってない。
ここは引きで見ないと特異性が伝わりにくいので、ストビューから拝借して。
このような、ガッチガチに固められた東海道本線の線路下に位置している。これは2022年6月の映像だが、2012年当時もほぼこんな感じだったと思う。
お名前は、
第2五畝割橋梁。
正式名称は「第二」なんだろうが、漢数字にすると「第二十五」の意味になりそうなんでそれを回避したんだろうか。「第二十五」なんてそんなもんあるのかよ?って思うだろうが、実際あるのだ(→実例)。
ちなみに、「五畝割」で「ごせわり」と読む。
「施工 平成3年3月」とか書いてるが、
ちょっと入ると…
三層巻き煉瓦アーチがお出迎え!
残してくれてありがたい限りだが、これすなわちかつては普通の築堤だったってこと。築堤自体を残したままに固めたんですな。なるほど。
意味なくローアングル。
側壁の切石は五段。高さはなかなか低い。
これだけ見ると、
入口のあの「ポリゴンモデル感」とは結び付きませんな。
抜ける手前で、
側壁部分が改修されていた。これは振り返っての撮影。
間もなく抜けるポイントにて。
向こうに見える四角い穴は、新幹線下を抜けるもの。
抜けて振り返り。
オリジナルでもなくポリゴン(笑)でもない、その中間形態だった。
最後に…
いやっこんなんええし。お前が●ねよ。
以上。