【2】より続く。
退避スペースから望む、吉野川下流。
広~い河原。しかしここもしばしば水が流れるのだろう。
やっぱり、
下からも拝みませんとね。
以下、今回は最後のほうまで当分コメントなしっていう超手抜き 実験的手法(笑)でお送りする。おおむね学島橋のことは語り尽くしたし、水量が増えたらどんな感じになるのかな~、ってのを想像しながら見ていただけたら。
で、今回の大事なテーマは最後だけなのであった(笑)。
あーさて。もう充分ですな(笑)。
残るテーマはひとつ。
すなわち「驚きの事実其の弐」についてである。
そもそも最初から今記事のタイトルに入ってる、「驚きの事実」。
そう、「幻の学北橋」って書いておきながら、ここまで一切登場しとらんじゃないかキミぃ!とね。
いやいや、実は、既に何度か登場しとるんですよコレが。
そもそもこの「学北橋」なる橋のことは、帰宅後に学島橋のことを調べていて知った。【1】でも引用したサイト「橋の博物館とくしま」に掲載されていたそのスペックは、
橋長 36m
完成年 1961(昭和36)年
上部工形式 RC床版橋
路線名 一般県道市場学停車場線
管理者 徳島県
橋長36m!?そんな橋登場してへんやろ!との反応はごもっとも。が、これらスペックよりも前に、最も重要なトピックが書かれていた。曰く、
※学北橋は学島橋のすぐ北側に、土砂に埋もれた状態です。
・・・。
な、なぬぅ~!?
コレにはたまげた。
埋まってる?36mもの橋が、完全に!?
つまり、こういうことだ。
ここに、学北橋が存在していると。
改めて、現地で撮った写真や地形図、そしてもちろん地図をじっくりと見てみた。そして納得した。
退避所が終わって県道が狭まった、あの先。
ゆるい左カーブが始まる手前までが、学北橋。
信じがたいが、そういうことだ。
が、そう言われて良く見直せば。
【2】で思わせぶりに書いたように、学島橋の北詰は一段高くなっており、そこから下がってまた登るっていう地形になっていた。やはり、かつては学島橋北詰と善寺入島の間に、細い流れがあったのだ。そしてそこに架かっていた橋こそが、学北橋だったということで。
しかしなあ。もし事前情報なしでこの橋の存在を看破した人がいるなら、変態どころの騒ぎじゃないわマジで(笑)。橋どころか、なんならコレ、切り通しじゃないのさ(笑)。
もちろんここは善入寺島という中洲、大水によって地形が容易に改変されうることは理解できるが、それにしても…マジでここまで地形が変わるなんて。
いやはや、四国三郎、恐るべし。
では最後に、戻りの渡橋動画。
今回は、橋を渡ってから堤防を上り下りして国道までを完全収録。最後の最後におっさんの吐息が入っているので、5秒前くらいで止めていただくほうがいいかな(笑)。
学北橋の存在など知る由もなかったが、もし知ってたら徐行したのに(笑)。開始13秒~18秒くらいに登場するのでお見逃しなく。いや、見てもわからんけど。
以上、完結。