【1】より続く。前回ラストの動画はご覧になった?
いきなりのこの写真、
どこやねん(笑)。
ここは、学島橋を渡りきってさらに先。車を置けるところまで進んだところだ。
こちら北側(吉野川左岸側)のアプローチもまた素晴らしかったので、
ゆっくり味わおうというわけでね。
今回は執拗な感じで(笑)お送りする。ニーズないかもしれんが、気にはしない(笑)。
先にあるのがどんな橋であれ、
こんなアプローチを見せられたらもう…ねえ(笑)。
ましてや、
先にあるのが「あの橋」だなんて、もうたまりませんわ。
木々の隧道のむこうに
うわああああステキ~!
まことに突然ながら、ここで前回さらっと触れた「二つの驚きの事実」のうち一つをお話しよう。
まずは、来た道の振り返りをご覧あれ。
彼方に見える白い看板は、「阿波市」のカントリーサイン。一見あんな中途半端な位置に、吉野川市との境界があるのだった。
で、驚きの事実というのはね、
この「学島橋を渡った北側一帯」、実は「善入寺島(ぜんにゅうじとう)」という立派な名前を持つ、吉野川の中洲なのだった!
え?驚かない?(笑)
だって上の写真、「中洲」って言葉から想像する光景のはるか上空を逝ってないか?一般的に川幅の広がる河口近くとかならいざ知らず、こんな中流域でとか、ここはミシシッピ川か!?と思わず突っ込んでしまった。さすが、「四国三郎」の通り名を持つ大河・吉野川。
さあ、いよいよ…。
すでにどんな橋か知っているのに、テンション上がった。
おおおおお、
こりゃたまらんわーー!
こちら側はちょっと高くなってるのが、またよく見渡せて素晴らしい!…っていう地形のアヤだけから「驚きの事実二つめ」を看破しろ、ってのは、わたくしにはハードルが高すぎた。
…え?思わせぶり?(笑)
こちら側も、たもとには退避スペース。
クランク状に進入する南側と違って、見通しのいいことこの上なし。
ここで、コメント放棄(爆)。しばし写真のみで…。
上流に並行する、阿波麻植大橋。
あの橋が開通したのは、1979(昭和54)年。ここで、それ以前のこの周辺を偲ぶべく、今昔マップ…を貼ろうとしたのだが、我がPCが古すぎてかちゃんと貼れないので…のリンクをご覧あれ。
これ→今昔マップでの学島橋周辺
これで年代を遡って見てみると、公式に?学島橋の完成年とされている1955(昭和30)年以前に、初代の橋が架かっていたようで、1928~34(昭和3~9)年の地図には早くもその姿が描かれている。1917(大正6)年の地図には影も形もない。
すなわち、大正~昭和初頭の間に初代・学島橋が架けられた、ということで間違いなさそうだ。1955年というのは、現在のRC橋梁に架け替えられた時期なのだろう。
さて、これで終わりではない。
まだ見てないアングルもあるし、「驚きの事実」もあと一つ残ってるし。
【3】に続く。













