穴と橋とあれやらこれやら -77ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

あえてここまで地図を出してなかったのだが、現在地はこちら

長かった「橋に見えないパート」は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

その先はいきなり

斐伊川本流!強烈なメリハリ(笑)!

 

 

 

 

 

開放感がすごい!アーンド…

水面近ァァッ!てかほぼほぼ同一面!?

 

いくら潜水橋とはいえ、このサイズの橋が晴天下でこんなにも水面に近いの、見たことない。しかも(潜水橋だから当然ながら)、申し訳程度の地覆があるのみでノー欄干。加えてこういう場所なんで風もけっこう強く、わたくし自転車なら遠慮したいかな(笑)。なにしろ幅員1.5m。

 

これが、何らの制限なしに、誰でも渡れるようになっているってのがもう、素晴らしすぎるよ…。感動だ。

 

 

 

 

 

まあ実際のところ、

ここらの斐伊川、川砂の堆積が顕著で、あちこちに砂州が形成されていた。

 

 

 

 

 

つまり、水深はめっちゃ浅いっていうこと。

なので大人であれば(かつこの日のようなコンディションであれば)、もし落ちたとしても命にかかわるようなことが起こる可能性は、高くはない。

 

まあ川砂ってめっちゃ沈み込むから、厄介ではあるけど。つうか、さすがに堆積しすぎ感がある。そろそろ浚渫のタイミングじゃないですかね?

 

 

 

 

 

しばらく進んだところで橋は、

大きな砂州の端っこを横切っていた。楽し~。

 

 

 

 

 

その砂州の先端から見た下流側。

見るからに浅そうでしょ~。遠くに見えるのは、斐伊川最下流に架かる灘橋。

 

 

 

 

 

この砂州はかなりデカくて、

見回すと、

 

 

 

 

 

こんなサイズだったりする。

この砂州は、戻りの際にちょっと歩いてみた。その模様は最後に。

 

 

 

 

 

さて、では

残り渡ってしまおう。

 

 

 

 

 

いや~、この橋からの光景は、

なんか忘れがたいものがあったなあ…。

 

 

 

 

 

そうそう、水面ヒタヒタなので当たり前っちゃ当たり前だが、

ところどころで、このように流下物が引っかかっていた。まあこれくらいだと少ないほうかな。

 

 

 

 

 

ようやく、

対岸の灘分町側へ上陸~。

 

 

 

 

 

そっからのビューがこれなんだが、

ほとんど、水面上に「置いた」みたいに見える。凄いなこれ。

 

 

 

 

 

またも「橋に見えない」ところを歩くが、

実際のところ、この灘分町側はどこまでが橋なのかさっぱりわからなかった。案外、さっき上陸したところまでだったのかもしれない。

 

まあ延長は「公式に」「約」300mと書かれてるから、案外誰もわかってないのかもしれない(笑)。

 

 

 

 

 

最後はまたびちょびちょパートを経て、

ドンツキから振り返り。

 

はるか遠くに最初の堤が見える。いや長いわこれ。そして面白いわこれ。

 

 

 

 

 

最後は斜路を登って、

提上へ。

 

 

 

 

 

そこから振り返り~の島村橋…なんだが、

ほぼほぼ見えず。

 

細くてペラペラな橋だから、少しでも遮るものがあるともう見えなくなってしまうんですな。

 

 

 

 

 

個人的に非常に楽しめた島村橋、ここからの戻りで動画を撮った。

 

 

長い橋なんでまあまあ速足で歩いたんだが、砂州にも足を踏み入れてたりするので、ちょっと長くなってしまった。でも雰囲気…特に川面の近さと水面・流れの様子はよく伝わるかと。いつものようにノー編集なので風切り音が凄いが、これもまたそういう場所だということで、お楽しみいただければ幸い。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

【序】より続く。

 

 

 

改めて、見下ろし。

これがターゲットの橋だ。そう…「橋」だ。

 

ちなみにお名前は「島村橋」」という。Q地図にも載っていなかったが、ちょっと調べたら判明した。そこに見えてるやつがそうかって?まあそうだが…今からのお楽しみってことで。

 

 

 

 

 

さあ~、

行ってみようか~。

 

 

 

 

 

その始まりは、

草地から。

 

 

 

 

その先の水没地帯に続き、

いよいよ「橋」に。

 

 

 

 

 

こちらは上流側。

ご覧のとおり、桁下はほぼ水面ヒタヒタ。

 

 

 

 

 

対してこちら、

下流側。

 

このクリークのような流れも斐伊川と呼んでいいはずだが、斐伊川ってこんなささやかな川だっけ?

 

 

 

 

 

んなわけないのだ。

「橋」を渡った先も、実は「橋」。

 

 

 

 

 

この辺なんか、

水路の中を歩いてるようにか見えないけど、「橋」。

 

 

 

 

 

思い出したように、

ひょっこりと顔を覗かせる、「橋」。

 

 

 

 

 

足元を見ても

橋ってよりも掛樋みたいだが、さりとて「橋」。

 

 

 

 

 

水没してたって

「橋」なんだって。

 

 

 

 

 

やがて、

長かった水没パートが終了。

 

 

 

 

 

そしたら今度は、

ただの遊歩道みたいになったが、

 

 

 

 

 

それでもまぎれなく、ここは「橋の上」なのだよ。

さて、何回「橋」って書いたっけ?(笑)

 

 

実は、似たような「埋まった橋」のことを、以前書いたことがある。この記事に登場する学北橋がそれだが、ここ島村橋は別の橋じゃなく、長大な橋の何割かが「埋まっている」…と言って悪ければ「橋に見えない状態」になっているわけだ。

 

「ほんとにこれまでの全部が橋なのかよ?」って思われるかもしれないが、この橋の名を調べた際に見つけた「しまねインフラツーリズムガイド in IZUMO」では「長さ約300m 幅1.5m」と書かれている。島根県が作成したものなので間違いないはずだ。 

 

 

 

 

 

またしても水没パートに突入。

普通に、長靴がなけりゃ渡れませんやん。いや~、この橋は凄いわ。期待以上だ。

 

 

 

 

 

そして…やって参りました。

 

エグイまでにメリハリ効きすぎな島村橋が、

いよいよ、その真の姿を大解放。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

 

2023年11月23日、「中国地方TSHO周遊」の初日。この日のネタで記事にしているのは朝イチの大倉隧道(テレポーテーショ~ン)

今宵から全三回予定でご紹介するのは、昼過ぎに訪ねたメインターゲット物件。記事構成の都合上、まずは短く【序】から。

 

 

ターゲット付近に到着。

ここならしばらく停めておけそうだ。

 

向こうに見えるは斐伊川の堤で、あれを越えた先に目指すブツがあるはず。ちなみに車の前の石碑は、圃場整備の竣工記念碑。

 

 

 

 

 

つうわけで、

これを登ってアプローチする。ドキドキするぅ~。

 

 

 

 

 

なぜならその物件は、

これまで経験したことのないスケール。おお、見えてきた…

 

 

 

 

 

が!

おお~…。

 

どういう物件かおわかりだろうか?いやその前に、あれは…。長靴、要るよな…?

 

 

すぐに車に戻り、長靴をオン。まさか市街地の物件で長靴が要るとは思ってなかったが、これは想像を超えた物件っぽい。

 

 

 

 

 

ソッコーで堤上に舞い戻って、改めて見下ろし。

楽しめそうじゃないのよ~。ワクワクする~。

 

 

 

【前篇】に続く。

 

 

 

 

今年も行われる、穴太衆第15代衆頭・粟田純徳さんの石垣解説。これは昨年ご紹介した時の記事。

 

実際の石垣を前に直接粟田さんからうかがう穴太衆積みのお話は、すべてが興味深いもので感嘆してばかり。訊きたいことがあれば質問もでき、ひとつひとつ真摯に答えてくださるので、非常に勉強になった。あ、匠を囲んでのお食事も美味しかったっす。

 

 

 

冒頭に書いた通り、今年も開催されますぞ。詳しくは↓

 

 

今年は4月20日(土)開催と、去年よりもひと月早い。去年はちょっと暑かったので、ちょうどいい感じかも。

 

 

 

こういう機会はマジでないので、お薦めです!

 

 

 

 

2023年3月6日に敢行した、初めての横須賀散策。この日の最後に訪ねた向坂隧道を以前記事にしているが、今宵ご紹介するのはまだ午前中のうちに訪ねた物件。

 

 

 

ここは神奈川県道24号横須賀逗子線、船越町3丁目地内。

路線名どおり逗子市との市境にある沼間隧道に向かって登っていくところ。

 

 

 

 

 

この時点では特に気配もないのだが、

右手から藪からスティックにこんなん出ました~。

 

まあ知ってて来たんだけれども。写真の水平取れてなくて申し訳なし。畳屋さんの看板を目印にご覧いただくと最初の写真との位置関係がわかるかと思う。現在地はこちら

 

 

県道に面して柵が設置されており、車道ではないことがわかる。じゅうぶん車道サイズなのにこれはなんだ?とか白々しく書いてみる。

 

 

 

 

 

現場ではここをいったんスルーして先に沼間隧道を訪問、そのあとここへ戻ってきた。

 

で、改めて接近~。

白飛びして見にくいが、隧道手前の看板には「オートバイ・自転車の方は降りて通行して下さい」と書かれていた。

 

 

 

 

 

立派な扁額があり、そのお名前は

「船越防災隧道」。非常に端的な名前だ。

 

防災目的の隧道ということで、その意味は隧道をくぐってよりはっきりと感じられた。そのへん今からご紹介していくのだが、まずはこの扁額。揮毫者として「横須賀市長 横山和夫」とあり、達筆というより力強い筆致が目を引いた。

 

そして、遠目には煉瓦隧道に見えたものが単なる煉瓦調タイルであることも露呈してしまっていた。ただ、そこにガッカリするのではなく、景観に配慮してくれたことを評価するべきだろう(誰やねん)。

 

 

 

 

 

そうそう、余談だけどわたくしが記録した穴(隧道)で公式に「防災」と根づけられているものは、

この記事に登場する「小匠防災堰堤」以来の二件目となる。まあこれ穴ではあるけど結局は堰堤なんで、隧道としては実質初か。

 

 

 

 

 

さて、入洞~。

それなりにクタビレ始めているけど、まだまだ元気、ってところか。

 

 

 

 

 

右手にあった掲示。

どれがそうなのかはわからなかった。

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

ああいうダンプが通れるほどのスペックは有していると思われる。

 

 

 

 

 

特筆べきこともない洞内のほぼ中間に、

銘板があった。

 

 

 

 

 

それによると、

竣工は昭和58年3月とのこと。「土地協力者」とあるのが目を引いた。

 

 

 

 

 

ぱっと見、なぜにこんな中央部に?と思ったのだが、

このトンネル、船越町の3丁目(入ってきた方)と4丁目(これから抜ける方)にまたがっており、それぞれに「土地協力者」がいたために、真ん中に設置したのではないだろうか。知らんけど。

 

 

 

 

 

その4丁目方向、ズームでの鉄板の構図。

入ってきた3丁目方とはいささか雰囲気が違うようだ。

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

何度も書いてるが、レンズ汚くてすいません(笑)。

 

 

 

 

 

冒頭の地図リンクをご覧いただくとわかるが、

この場所は狭い谷戸のどん詰まり近く。同じ谷戸でも沼間隧道を介して逗子へと抜けられる3丁目側とは違う。

 

この後歩いたが、田浦方面へとおりてゆく唯一の道路も狭小で、有事の際には孤立する恐れもある。そのための「防災」隧道なのだと思われた。だからこそ、いざという時には十分に車が通れるサイズが確保されているんだろう。

 

 

 

 

 

最後にちょっと引きで。

「谷戸のどん詰まり」感、伝わると思う。

 

 

横須賀ってあと何本かこういう「防災隧道」があったように思うのだが、違ったかなあ。事前調査ではここしかわからなかったのよね。

 

 

 

以上。