穴と橋とあれやらこれやら -77ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2019年10月6日に敢行した、大津市南部の仁丹看板一網打尽作戦。大石曽束町田上森町そしてもう一枚を首尾よく発見し、やってきた最後のターゲット。

 

ありがたいことに、

ここもストビューで見つけられた。

 

 

 

 

 

はい、確認できました!

「田上稲津町」。「救急護身薬」は、これまで記事にした中では上馬場町もそうだったな。

 

 

 

 

 

この場所はけっこう意外だったな~。

もっぱら辻になってるような場所を探していたのでね。いや~、残ってるとこには残ってるのね。

 

 

これが、わたくしが確認した現存する滋賀の仁丹看板では最後に確認したもので、これをもってコンプリートとなった。今からの新発見も相当厳しそうだしな~。

 

小出しにしてきた滋賀の仁丹看板シリーズだが、段々残りのタマ数が少なくなってきた。いよいよ奈良の仁丹看板ハントに出向くしかないかな。まあおいおいに、だけど。

 

 

 

最後に恒例のリストを。

 

1、膳所網町(現地確認済み

2、新栄町(現地確認済み

3、上馬場町(現地確認済み

4、元会所町(現地確認済み

5、上京町(現地確認済み、記事未)

6、山中町(A)(現地確認済み

7、雄琴千野町(現地確認済み

8、東浦垣内町(現地確認済み

9、神出小関町(現地確認済み

10、船頭町(現地確認済み、記事未)

11、柳町(現地確認済み、記事未)

12、膳所大津町(現地確認済み

13、膳●●●(現地確認済み

14、大石曽束町(現地確認済み)→現在消息不明?

15、田上森町(現地確認済み

16、田上石居町(現地確認済み、記事未)

17、田上稲津町(現地確認済み、本記事)

18、山中町(B)(探索するも不明)→ほぼ消滅?

19、東上栄町(探索するも不明)→ほぼ消滅?

20、南滋賀町(消滅)

※現地確認済み分は、確認した順

 

 

2023年4月14日、TKY~初の山梨進出の中盤で訪ねた物件をご紹介。お昼を回り、ようやく山梨県に入っての一発目物件だった。

 

 

 

個人的にファーストコンタクトがけっこう印象的で、

この幅の広~い高さ制限バーの奥に…

 

 

 

 

 

ギュッとすぼまっての隧道登場!

隧道は面白くなさそうだが、手前にはこうして「たぶんアレですよね」な石碑も。イイ感じ。現在地こちら

 

 

 

 

 

石碑は二枚あって、

背の高い右側のものはやはり「隧道紀念碑」だった。

 

 

 

 

 

こういうのが好きな向きのため、

以下も含め石碑関係は画像データサイズ大きめで貼ったので、各自お読みいただきたい。

 

特筆すべきはこの隧道、明治三十四年三月から四十三年十月まで、時の秋山村長・原田善左衛門氏主導のもと、9年半かけて開鑿された明治隧道だったということ。山梨の隧道についての知識がからっきしなのでアレだが、県内屈指の古洞ってことになるのでは。

 

 

 

 

 

左側の石碑は、

後年に設置されたとおぼしき、隧道紀念碑碑文の釈文だった。

 

なので、こちらを読めば碑文内容がわかりやすく書かれているっていう親切設計。こういうの珍しいような。

 

 

 

 

 

裏面にはこの石碑の趣意書きが。

現地ではめっちゃこちらサイド暗かったので、見にくくなってる。

 

要するに、改めてこの隧道開鑿を主導実行した原田善左衛門翁の「ともすれば埋れようとする」偉業を思い起こすため、「もとの漢文を読み易い文章に改めて」、翁の精神が永く後代の人たちに伝わることを祈念して昭和60年10月に設置されたものだということだ。

 

発起者としてこの当時の秋山村長であった原田清守氏の名が刻まれており、その姓から善左衛門翁の後胤に当たる人物なのかもしれない。

ちなみに秋山村は、2005年2月に上野原町と合併して上野原市となり、発展的消滅したということだ。

 

 

 

 

 

さて、で隧道だ。

明治隧道とは思えないビジュアルに、がっつり改修されてしまってるな~。

 

相変わらずレンズが汚いのはご容赦いただいたとしても、まあ現状についてはお世辞にも面白い隧道とは言えない。

 

 

 

 

 

目立たない扁額。

「天神隧道」。

 

 

 

 

 

現代でこそ、そこまで険しいところにも見えないが、

隧道が開鑿される前は「阪路険峻にして行歩甚だ艱なり」な難所だったと。

 

日本中いたるところでこうした新道開鑿/道路改修が行われてきたのだ、というよく知ってるつもりの事実を、改めて感じだ。

 

 

 

 

 

では、抜けて南側へ。

洞内は素掘りのモルタル吹き付け。オリジナルの姿が気になるな~。

 

 

 

 

 

抜けて正対。

こちらも塩対応なご面相…。

 

 

 

 

 

扁額は、

一般的な左書き。さっきは右書きだったけどな。字体も古かったし。

 

 

 

 

 

こっちでも印象に残ったのは、

二連の片持ち高さ制限バー。こういうの珍しい。

 

なんとも行儀の悪いとこに停車しててお恥ずかしいが、実はこの天神隧道、すでに新トンネルが開通していて旧道化している。そのため交通量は少なく、この日も誰も通りかからなかった。

 

 

後年設置された石碑の趣意もむなしく、またしても忘却されようとしているように思われる先人の偉業。こうしたことも我々のような趣味人が微力ながらも記録して行けたらな~と感じた。

 

 

 

以上。

 

 

 

2023年9月10日に敢行した、FNS(福岡・長崎・佐賀)三県徘徊にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、この後に訪ねた不老洞

 

 

まずはこんな看板から。

見にくいが、右上を指して「竜の氏橋」、左を指して「小岩橋」と書かれている。

 

 

 

 

 

現在地は竜の氏橋のたもとで、今しがた記録し終わったばかりだ。そして今から小岩橋へと向かう。

ちなみに道は車道ではなく、あぜ道レベル。事前調査によればそう遠くはないようだが、なんか藪が心配だ。

 

 

 

 

 

幸い道はある程度管理されているようで、

ほどなくなにか新たな看板が立っているのが見えてきた。

 

 

 

 

 

それはちょっと珍しい感じの、

「まだまだ現役(小岩橋)」と題された写真だった。

 

下部には「第3回佐々川流域の石橋群フォトコンテスト優秀作品」「吉井エコツーリズムふるさとの会」とある。そのとおり、この近辺にはいくつかの石橋があり(この日まとめて訪問した)、地域としてもそれらを大切にしている雰囲気が感じられた。こういうの嬉しいな。

 

 

 

 

 

そしてその看板からはもう、

小岩橋の野趣あふれる姿が見えていた。場所はこのへん

 

 

 

 

 

人工物なのだが人工物に見えないというか。

豪快(かつ繊細)な石積み橋台と、極厚一枚石桁!

 

 

 

 

 

もう一枚、今度は解説の看板があった。

詳しくは各自お読みいただきたいが、佐世保市指定有形文化財である「佐々川世知原の石橋群」の中で唯一の石桁橋だということだ。

 

このような解説看板が他の各石橋にもあったが、こういうのも実にありがたい。

 

 

 

 

 

では、東側から正対。

 

 

 

 

 

次いで右岸上流側から。

「橋」として極めて根源的というか、古来橋ってこういうものよね、という何ともいえない力強さがある。

 

 

 

 

 

建造は江戸期まで遡るかも、とされていたが、まったくもって盤石そのもの。

解説に「盤石橋」なんて言葉もあったが、「名は体を表す」の極みなり。

 

 

 

 

 

最後に、左岸上流側から。

改めて、石橋の耐久性の高さを感じた。何もなければ、まだまだいけそうだ。素晴らしい~。

 

 

 

 

大満足で撤収。

次なる石橋へ向かった。

 

 

 

以上。






会社様に新業態ビジネスをワンオペで押し付けられたせいで、ここんとこ、この10年で最も忙しく先の見えない日々を過ごしております。Yeah!


更新や皆様のところへの訪問がまばらになりがちですが、どうぞ暖かい目で…。エライ誕生日になりましたわ〜。


いつも書きますけど、過去記事でも読んでお待ちくだされ。

 

 

 

 

【3】より続く。

 

 

しっかり閉塞していた二本目の隧道。それでは、

三本目の隧道はどうだろうか?

 

 

 

 

 

見える範囲では、

閉塞はしてないようだが…さて?

 

 

 

 

 

あー…

これダメ!無理!

 

物理的にはまだ進めたが、アカン予感しかしない。空気が流れていたかどうかとか、もう全く覚えてないが、少なくとも写真で見る限りはまだ澱んだ空気ではなかったようだが…。

 

 

 

 

 

ということは、今回も

隧道上を巻いて反対側を捜索するしかないな。

 

 

 

 

 

去り際に見下ろす、

先ほどの明かり区間。こうして見ると、意外と切り立ってるな。

 

 

 

 

 

巻いてる最中に見つけた、

謎の…えーと、脚立よねこれ?

 

 

 

 

 

で、隧道反対側…

見つからなくって。

 

 

 

 

 

崩落して埋まってる可能性もあるから、

それらしいところを探しもしたんだが、段々藪もうるさくなってきて、萎え~。

 

なによりももう、終わることなき蚊の無間地獄に心が折れた。

 

「ぷ~~ん」 

もう許してください…。

 

 

 

 

かくして、三本目の隧道、吐口は発見できないまま撤収。

 

これは撤収地点から、

隧道が眠っている…かもしれない方向を望んだ景。全身蚊にたかられて藪の中をさまようなんて、マゾすぎるやろって話だ。

 

 

 

 

 

撤収ルートは、

こんなところ。

 

 

 

 

 

ようやく蚊の絨毯爆撃から逃れて、大きく一息。

ため池の堤を通って、車を停めた車道へ戻った。

 

 

 

 

 

最後に振り返り。

なんだか、謎ばかりが残った探索だった。はい、お察しのとおり、何も調べず記事にしましたぞ(笑)。

 

おそらく水路はまだ続いていたはずで、四本目、あるいはそれ以降の隧道が存在した(する)可能性もある。そして記事中で書いたように、この江戸期に拓かれた農業用水路は、残念ながら今はその役目を終えてしまっているようだ。しかしこうしてその痕跡ははっきりと残り、ある程度辿れる状態となっている。

 

 

 

 

 

あちこちボリボリ搔きむしってたら、車が見えてきた。

結局、探索時間は38分。

 

消化不良ではあるが、もしも再訪するなら、まったくもって冬季一択としたい。あの日あの時あそこでの蚊の襲撃は、生涯最悪レベルだったから。

 

 

 

以上。

 

 

 

【2】より続く。

 

 

 

ここまでのところ、よくわからんことだらけだが、

今はただ、水路を追いかけよう。

 

 

 

 

 

ていうか、ここで疑問が確信に変わった。

この水路、絶対現役じゃないでしょ。

 

一帯には明らかに頻繁に人の手が入っている気配があったが、水路そのものはこの状態。農閑期でもないこの時期(訪問は6月)に、倒竹…じゃなくて伐採された竹を集めて突っ込まれているようなこの惨状は、現役ではありえない…ですよね?

 

つい最近まで現役でした、ってふうでもないし、我が情報元、地元であるK町町会様のサイトにある記載内容は古いものだったのだろうか。なんであれ、自分の目で見たこの状態が現実だし。

 

 

 

 

 

そんな水路(…に見えないが)は右へと曲がり、

その先に衝撃の光景が見えてきた。

 

 

 

 

 

これって…

まぎれもない、アレよなあ。

 

まさかの、新たなる隧道が登場。複数の隧道が存在しているとは想像してなかったが、例の延長500mというのはそれらの合計なんだろうか?

 

 

 

 

 

それにしてもなんとまあ、

やりすぎやろこれ!

 

密ミツに竹がぶち込まれて、接近さえできないとか、ヒドイわ~。

 

 

 

 

 

角度を探して、ズームでかろうじて撮った一枚がこちら。

あ~…どっちにしろこれでは…。

 

垣間見えた隧道は、崩落によるものかほぼ埋まっている様子が見て取れた。もはや現役でない説、確定。

 

 

 

 

 

こうなるとしようがないので、

隧道の上に登って反対側を探そう。これは真上から見下ろしたところ。

 

ところで余談だが、実はこの一帯(隧道を発見したその場からすでに)おそろしく蚊が多くて、常時耳元であのおぞましい

「ぷぅ~ん」

という羽音が聞こえ続けていた。しかも悪いことに虫よけを忘れて踏み込んでしまったもんだから、まあ地獄。


なので全身あちこちブンブン振り回しながら進軍していたんだが、立ち止まってカメラを構えた瞬間に何か所か刺されるっていう。

 

 

 

 

 

なので撮影枚数が少なくて、数分探した後のいきなり核心。

あったぞ!反対側の坑口!

 

 

 

 

 

わかりますよね?

真ん中付近に写ってるアレですわ。見たとこちゃんと開口はしてるな。

 

 

 

 

 

そして坑口から手前に向かって水路がのびている。

 

てことは、今わたくしのいる足元にももしかして…

あーやっぱり!三本目の隧道があった!

 

つまりさっき(三枚上の写真で)見下ろしていたのは、二本目の隧道と三本目の隧道の間のわずかな明かり区間だったということになる。位置関係、伝わってますかね?何しろ補足になるような写真もなくて申し訳ない。

 

 

 

 

 

まずは二本目隧道の出口(水路なんで吐口)をチェック。

小さく見えるだろうが、こう見えて…

 

 

 

 

 

はい、今度はマジ狭低い(笑)。

匍匐前進で進入するまでもなく、閉塞してますな完全に。一本目同様に礫岩がちであることは確認できた。

 

 

 

 

 

では、三本目の隧道はどうだろうか。

期待できなさそう~。

 

 

 

 

【4】に続く。