2023年3月6日に敢行した初めての横須賀散策から、最初のネタを投下~。最初のネタではあるが、当日の時系列では一番最後、けっこうヘロヘロになりながら訪ねた物件。
いい加減疲れてんのに、スマホの地図を見間違えて(もう老眼が…笑)ミスルートし、大幅に遠回りしてのアプローチとか…バカね~。
そんなわけで、ようやく近づいてきた。
「どこに?」ってなるだろうが、そこを左折。
すると正面に…
一瞬「出た?」と空目したが、アレは違う。
でもちょっと進んでいくと、すぐに…
見えた!小さい穴が。
これが本日最後のターゲット。その名も、向坂隧道。現在地こちら。
煉瓦ポータルに見えるが、これはフェイク。あくまでお化粧であり、煉瓦で組まれたポータルではない。この日このパターンはたくさん見た。
扁額の右端には、揮毫者の名前が。
記事を書くにあたり改めて拡大してみたら、「横須賀市長 ●山和夫」と読めた。調べたところ、1973年7月~1993年7月まで5期20年にわたり市長を務めた横山和夫氏だとわかった。
じゃあ、横山市政時代にできた隧道なのかと思うところだが、実はそうではない。
「追浜観光協会」HPによれば、この向坂隧道は昭和8年の建造。
「大正末から都市化が進むなか、特に湘南電鉄(現在の京浜急行電鉄)の追浜駅開業(昭和5年)に伴う人口増や海軍航空技術廠の通勤者約3万人などと周辺地域を結ぶため、また通学道路としてたくさん(のトンネルが)掘られました。」(同サイトより引用・小文字部分は筆者にて追加)
という背景があったようだ。
確かに、先ほどの地図リンクをご覧いただければよくわかると思うが、この隧道、鷹取側の谷戸から追浜駅方面には大変有効なショートカットになっている。これがなければ、わたくしが今わたくしがミスルートしてきた遠回りを余儀なくされるわけだな~。
おそらく横山市政時代に、大幅に改修を受けたのだろう。お化粧煉瓦もその際のものか?
扁額はその時に設置(あるいは新調)され、横山市長の揮毫となったものと思われる。
入洞して振り返り。
現在は波板でしっかり巻かれているが、かつては素掘りだったのではないだろうか。しかも横穴付きの、防空壕兼用だったかも。
というのも、
こんな気になる扉が付いてたもんですから。
防空壕かどうかはさておき、これ完全に横穴だろう。しかも扉を設置するということは、少なくとも波板巻き立て当初は(現在も?)何らかの用途で使われていたものかと。気になるなあ。
なにかが貼ってある。重要な手がかりかと思いきや、
「犬の糞は持って帰って下さい。常識 トンネル内はダメ」。おい~。
一部マナーの悪い飼い主がいるんだろう。しかし「常識」は、「トンネル内だけじゃなくどこでもダメ」でしょうよ(笑)。
抜ける手前の、鉄板の構図。
隧道両側とも、住宅地のただ中なのがよくわかる。
東側(追浜側)ポータルに正対。
いやもう、ポータル隠れてますやん。めっちゃ窮屈な感じ。
一応隧道を抜けてこちら側まで、かなり狭いけど車の通行は可能だと思う。
がしかし、追浜駅方向へもうちょっと進んでいくと、
あ~もうダメ、絶対無理。
防災面も考慮して最低限車の通れるスペックにしてあるのかもしれないが、どこまで通行可だっただろう。なかなか厳しいよな~。
あとは歩くこと数分で、
京急の追浜第1踏切へ出た。追浜駅はこの左手程なくにある。
本当は元々こっちから来るはずだったのが、隧道へ至る細道がスマホ上でよく見えず、つながっていないと思い込んではるばる山向こうの鷹取側へと回ってしまったのだった。距離も時間も三倍くらいかかってしまったわ。
以上。