2023年3月6日に敢行した、初めての横須賀散策。この日の最後に訪ねた向坂隧道を以前記事にしているが、今宵ご紹介するのはまだ午前中のうちに訪ねた物件。
ここは神奈川県道24号横須賀逗子線、船越町3丁目地内。
路線名どおり逗子市との市境にある沼間隧道に向かって登っていくところ。
この時点では特に気配もないのだが、
右手から藪からスティックにこんなん出ました~。
まあ知ってて来たんだけれども。写真の水平取れてなくて申し訳なし。畳屋さんの看板を目印にご覧いただくと最初の写真との位置関係がわかるかと思う。現在地はこちら。
県道に面して柵が設置されており、車道ではないことがわかる。じゅうぶん車道サイズなのにこれはなんだ?とか白々しく書いてみる。
現場ではここをいったんスルーして先に沼間隧道を訪問、そのあとここへ戻ってきた。
で、改めて接近~。
白飛びして見にくいが、隧道手前の看板には「オートバイ・自転車の方は降りて通行して下さい」と書かれていた。
立派な扁額があり、そのお名前は
「船越防災隧道」。非常に端的な名前だ。
防災目的の隧道ということで、その意味は隧道をくぐってよりはっきりと感じられた。そのへん今からご紹介していくのだが、まずはこの扁額。揮毫者として「横須賀市長 横山和夫」とあり、達筆というより力強い筆致が目を引いた。
そして、遠目には煉瓦隧道に見えたものが単なる煉瓦調タイルであることも露呈してしまっていた。ただ、そこにガッカリするのではなく、景観に配慮してくれたことを評価するべきだろう(誰やねん)。
そうそう、余談だけどわたくしが記録した穴(隧道)で公式に「防災」と根づけられているものは、
この記事に登場する「小匠防災堰堤」以来の二件目となる。まあこれ穴ではあるけど結局は堰堤なんで、隧道としては実質初か。
さて、入洞~。
それなりにクタビレ始めているけど、まだまだ元気、ってところか。
右手にあった掲示。
どれがそうなのかはわからなかった。
振り返りの、鉄板の構図。
ああいうダンプが通れるほどのスペックは有していると思われる。
特筆べきこともない洞内のほぼ中間に、
銘板があった。
それによると、
竣工は昭和58年3月とのこと。「土地協力者」とあるのが目を引いた。
ぱっと見、なぜにこんな中央部に?と思ったのだが、
このトンネル、船越町の3丁目(入ってきた方)と4丁目(これから抜ける方)にまたがっており、それぞれに「土地協力者」がいたために、真ん中に設置したのではないだろうか。知らんけど。
その4丁目方向、ズームでの鉄板の構図。
入ってきた3丁目方とはいささか雰囲気が違うようだ。
抜けて振り返り。
何度も書いてるが、レンズ汚くてすいません(笑)。
冒頭の地図リンクをご覧いただくとわかるが、
この場所は狭い谷戸のどん詰まり近く。同じ谷戸でも沼間隧道を介して逗子へと抜けられる3丁目側とは違う。
この後歩いたが、田浦方面へとおりてゆく唯一の道路も狭小で、有事の際には孤立する恐れもある。そのための「防災」隧道なのだと思われた。だからこそ、いざという時には十分に車が通れるサイズが確保されているんだろう。
最後にちょっと引きで。
「谷戸のどん詰まり」感、伝わると思う。
横須賀ってあと何本かこういう「防災隧道」があったように思うのだが、違ったかなあ。事前調査ではここしかわからなかったのよね。
以上。