穴と橋とあれやらこれやら -362ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

先日の短い橋に続き、短い隧道でも(笑)。

 

 

つうことで、2011年10月30日、第二次伊豆探索で出会った短小隧道をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、階段隧道と龍宮窟手石の謎トンネル小城隧道横の廃石丁場一色隧道竹之浦隧道

 

 

 

 

時系列では、階段隧道と龍宮窟の20分前。

 

 

ファーストコンタクトがこれなんだが、

なんか、「ふふっ」って笑ってしまったのを覚えている。それ以外は記憶にない(笑)。

 

場所コチラ

 

 

 

 

 

 

この短さだが、隧道脇にはちゃーんと、

旧道がある。

 

 

はい。ウソつきました。後付けの歩道ですすいません。

 

 

素掘り隧道だが、こちらはとってもきれいなアーチをなしている。

 

 

 

 

 

 

のだが、反対側に抜けてみると…

あっ、こういう感じね?

 

 

「平成16年度全国道路施設現況調査(国土交通省)」に掲載されたスペックは、

昭和3年建造、延長8m、幅員2.6m、有効高2.4m。

 

 

 

 

ちなみに2019年9月末日現在で、わたくしの記録した隧道・トンネルは2,413本あるが、そのうちスペックがはっきりしていてさらに延長が10mを切るものは、さすがに少ない。5本くらいかな?一番短いのはもちろん久木の隧道、延長なんと2m。

 

 

 

 

以上お手軽記事、完結。

 

 

 

 


ここんとこ、いささかヘヴィな記事が続きましたので、久々に脱力系で。

本日は仕事で岐阜県某所に。昼飯を、実に久々!なスガキヤでいただきました。
奮発して、「肉入りラーメン大盛の五目・ソフトセット」でございます。すいません、金持ちのヒルメシをひけらかすみたいで鼻につきますよね(爆)。

相変わらず安定のスガキヤクオリティ。想像以上でも以下でもないウマさです(誉めてますよ)。さすが、我が唯一認める名古屋メシ。えっ?名古屋メシとは呼ばないんですか?


そして、スガキヤと言えば、ソフトを抜きにして語ることはできませんでしょう。
これまた久々にいただきましたが、暴力的なまでにウマイ!なんでこんなに美味しいんだこのソフト(爆)。

わたくしにとってスガキヤとは、実は、ラーメンよりもソフト。個人的に、ミニストップと並び立つソフト界の巨人として、極めて高く評価しておりますのよ。

たまにやたらと食べたくなるスガキヤ、あなたの街にもあるかな!?探してみよう!(誰やねん



 

※この記事ではウソや誇張は控え(笑)、思い出せる限りリアルに「自分なりの」真実を書いている。

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 


暗闇の崖の途中で足を滑らせたその瞬間、「あっ死んだ」と思った。よく聞くように、その一瞬のうちにさまざまなことが頭をよぎる、なんてことはなかったが、凄い勢いで派手に滑落した。

 

どのくらい落ちたのかははっきりわからないが、もしもんどり打って転落していたり、あるいはごつごつした岩だったら、ただでは済まなかっただろう。実際、死んでいたか、良くて骨折は免れなかったはず。

 


が、まるでスライダーのように足を下にしてお尻をスラブ状と思われる岩肌につけた態勢でまっすぐ落ちたおかげで、驚いたことに、ある場所にストーン!と衝撃もなくきれいにランディングした。体勢としては、斜面に寝そべっていて、そう、広いお風呂につかった時のような。

ちょっと信じられず、束の間動けなかったっけ。後で気づいたが、唯一の怪我らしい怪我は、左手首付近の軽い擦り傷だけだった。

 

 

 

落ちた時にはもう真っ暗で、おそらくまだ崖の途中だとは思ったが、まだ相当高い所にいるのか、だいぶ下なのか、とか全然わからなかった。でもその場所は、滑落直前までいた足場の悪すぎる場所に比べて、ウソのように安定していた。

まるで、進退極まった私を見かねて、「お前ちょっとこっちで休め」とばかりに強引に引っ張られたような。

 

 

 

 

 

 

 

奇跡だ。奇跡が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

文字にすると恥ずかしくなるようなやっすい言葉だが、心底そう思った。そして、ご先祖様なのか竹生島の大弁財天様なのか、とにかく「『大いなる何か』に護られている」と感じた。決してオカルト的な受け取り方をされたくはないのだが。

 

 

おそらく滑落直前がもっともパニックに陥っていたと思う。あれは完全に死亡フラグであったが、何かにこの場所に導かれ(たように感じ)、大いなる感謝、安堵を覚えたその一瞬の間に、自分でも驚くほどに冷静になれた。

 

 

 

 

 

 

 

そして即時、「今夜はこの場所で過ごす」と決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、今や早くも「あれは現実だったのだろうか?」と思ってしまうほどなのだが、

この写真を見ると、あの感覚が蘇ってくる。

 

これは、ここに滑り落ちたままの体勢で足元を撮ったもので、滑落してすぐに、この場での待機を決めたタイミング記録として撮ったはず。ちなみにタイムスタンプを見ると、18時10分。最後に撮った黒谷第二砂防ダムの写真が16時31分だったから、思ったより長いこと彷徨していたのだなあ。

これは記事を書くにあたって思ったことで、現場ではそんなことは考えなかったが、彷徨のさなかのあの気持ちは、まあ二度と味わいたくない。

 

 

 

 

 

 

自分でも驚くほどに冷静沈着になった私、即決でこの場での夜明かしを決めた理由は極めてシンプルで、明日仕事だろうが嫁が心配しようが、まずは「生還すること」が最優先、と決めたから。であれば、この暗闇の中で地形もわからない崖を動き回ることは自殺行為。つまりは、周囲の状況や地形が判別できるほどに明るくなるまではこの場に留まるという一択しかないと。

 

ちなみにマグライトは、手元や持ち物の確認、直近の周囲の確認などには役に立ったが、あれを頼りに(あの局面で)移動することは論外だとすぐにわかった。

 

 

 

夜明かしをするためには、一切体力を消耗しないようにすると同時に、体温を保たねばならない。幸か不幸か、動ける余地もなくじっとしてるしかないので体力消耗は抑えられる。

肝要なのは体温保持。当時の服装は、下はワークマンの超撥水ジーンズ(やはり朝露には無力だった)、上は半袖Tシャツの上にモンベルの薄いヤッケ?というもので、これに加えて着替え用のこれまた半袖Tシャツがあったのみ。あと軍手。これでなんとかするしかない。

 

考えた結果、まずは汗で濡れたTシャツから、新しいTシャツに着替えた。そして、唯一の「上着」であるヤッケは汗で湿っていたので、いったん脱いでバタバタさせ、少しでも乾かしてから再度着込んだ。

 

脱いだばかりのTシャツも同じくバタバタさせて乾かし、これをヤッケの上から着た。だぶっとしたヤッケの上からタイトなTシャツを着ることで、少しでも肌に密着させて暖かくしようということである。効果があったのかどうかは、正直よくわからないが。

軍手は、完全にぐっしょり濡れていて、かつそうそう簡単には乾く素材でもないので、逆に外した。

 

そうそう、ヤッケを脱ぐときに、ファスナーが生地を噛んで動かなくなってしない、肝を冷やした。ファスナーが閉められなくなったら、マジな死活問題だ。マグライトで照らしながら慎重に対応し、なんとか直せたときはホッとしたなあ…。

 

 

次に…というか、実際はこれらを並行して行っているのだが、食料その他の持ち物チェック。何か、役立つものはないか?

手持ちの食料は、おにぎり1個と小さなロールパン4個入り袋がひとつ、それと塩分補給用の塩飴がたくさん。そして500mlペットの水がほぼ丸々1本。悪くはない。お腹は減ってなかったが、体力保持の観点から、おにぎりを食べた。

後はタオルが2本あったが、この日ずっと使っていたものはもうドロドロになってしまってたので、もう1本のほうを寒さしのぎの乾布摩擦(服の上から)に使った。

 

 

 

こうした作業を行うのに、安定しているとは言え斜面なので、もし何か落とせば、即失ってしまう可能性が高かった。

先述のヤッケのファスナーのように、何か一つを損ねたり失ったりすることが命取りになりかねない局面に叩き込まれているということはひしひしと感じていたので、上記の着替えやリュックとウェストバッグの持ち物のチェックや出し入れ、ズボンの左サイドポケットに入れたデジカメ、右サイドポケットに入れたスマホなどの出し入れも、非常に慎重に行った。

 

 

 

 

で、最終的にウェストバッグ、リュックともに体の前にかけて、リュックを抱くようにして横たわる態勢をとり…完成。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、出来うる範囲で最善を尽くし、夜明かしの態勢は整った。おそらくだが、諸々整えるのに30~40分ほどかけたのじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは、ひたすらに耐え忍ぶ時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返しになるが、今いる場所は安定はしていたもののその周囲の状況は植生に阻まれて分からず、またどうやら足先より下には地面がない(!)ような、そんな危うい感触があった。なので、上半身を少し起こすかどうかくらいで、基本的にはずーーっと同じ姿勢。これはやっぱりキツイ。

 

 

そして、危惧していたとおり、やはり寒かった。幸いにもまだ9月下旬、命にかかわるほどに気温は下がらないはずだが、それでもとんでもなく寒かった。うとうとしては寒さにガチガチ震えて目が覚める…を、何百回繰り返しただろうか?

胴体部分はヤッケを挟んで2枚のTシャツで計3枚着ているが、袖部分は薄手のヤッケのみなので、マジで寒い。対策として、リュックについているレインカバーを出し、その中に可能な限り腕をたたんで突っ込み、寒さから守った。これが多少なりとも効果があり、なんとかしのぎ切った。あとひと月遅ければ、死んでた可能性は高い…かも。

 

 

 

 

 

 

最も恐れたのは、雨が降ることだった。

 

 

 

 

 

 

ただでさえこんな寒いのに、雨が降って体温を奪われたら、9月とは言えマジで低体温症がありうる、と思った。そしてもちろん、険阻な崖はズルズルになって攻略もかなわなくなるし、沢も増水するし、と致命的なダメージをもたらすこと間違いなし。

もうそれだけは勘弁…と、頻繁に夜空を見上げては、星が見えているのを確認せずにはおれなかった。いや、マジで雨には怯えた。

 

 

幸い雨こそ降らなかったものの、つらかったのは湿気…というか、夜露。もうぐっしょりと濡れてきて、こればかりはどうしようもなかった。実はこの場所、小さな滝のすぐそばだったようで、一晩中轟々と水音がしていた(不思議なことに、当初はそれを全然認識していなかった。やはり特殊な精神状態だったのかも?)。もしかしたら、その飛沫もあいまって余計に湿度が高かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

ひとつ、怖かったことを思い出した。いつとも知れぬ頃、お尻やふくらはぎを置いている斜面で、少し「ズルッ」といく感触があった。最初は気にしなかったのだが、何度か続くと、こう…。「これ、ある時いきなりズザーッと逝ってしまうんじゃ?」と思えてきて…。

 

で、もぞもぞしてみると…右かかとが乗っていたところがボコッと崩れた感触が(汗)。

 

 

これはアカン、このままいるといつかもう一度滑落する!そう焦った私、マグライトで周囲を確認、しっかりしてそうな草を選んで掴み、足場のグリップを探りながら数十cmほど体を引き上げてみた。すると、ありがたいことに再び安定感を得られた。…のはいいのだが、埋まった石が腰や背中に当たって居心地はすこぶる悪くなってしまった。…まあ、落ちるよりはマシだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返しになるが、それにしても長い夜だった。

 

 

 

 

 

 

闇の中、同じ体勢で崖に横たわり、ひたすら朝を待つ。決して時計は見ないと決めて、耐えて耐えて。寒さに震えながら耐えて、耐えて耐えてまた耐えて。

 

 

いい加減朝はまだなんか!?とついに見た時計が、忘れもしない2時12分だった時の絶望感(苦笑)。あと3時間ほどもあるのか!!??

 

 

 

 

 

 

 

することは考えることしかないので、いろんなことを考えた。震えながら。

 

 

 

 

 

ひとつ幸いだったのは、自分がどこでどういうミスを犯したかわかっていたこと。頭の中で反芻し、黒谷の西側の支沢に入り込んでその源頭部付近にいるのであろうと思われたので、明るくなったら支沢を下って行けばおのずと黒谷左岸に流入するのだから、そこで黒谷に沿った、本来辿るべき道に再会できるはず。それがわかっているのは、数少ない明るい要素だった。

 

 

「生還できること」を前提として、最も気になっていたのはやはり嫁さんのこと、そして仕事のことだった。帰ると言っていた夜に帰ってこなかった旦那を心配し、遅かれ早かれ嫁さんは警察や会社に連絡するだろう。そうなると、俄然話は大きくなってしまう。

翌日の仕事は、幸いなことに午後1時から、兵庫県西宮市でとなっていた。通常、11時26分に最寄り駅発の電車に乗れば間に合う。

 

こんな時に仕事のことなんて、とか言う人は、おっさんおばさんの多い読者の皆さまならば(笑)いないと思う。真面目とかプロとかそんなことじゃなく、社会人として自分の趣味時間での不手際で仕事に穴を開けるなんてことは、あってはならない。社会人生活の重大な危機だ。サボって穴開けるほうがマシなくらいだ。

 

 

 

つまり問題は、黒谷までのエスケープをどのくらいの時間でやり遂げられるか。その後、いかに速やかにホハレ峠を登り返し、車に戻れるか。そしてさらにその後は、いかに速やかに峠を降りて、携帯電波のある場所で嫁さんに連絡できるか。その3ステップに尽きた。それが理想的な時間内にやり遂げられれば、おのずと仕事にも穴を開けないで済む。

 

 

 

それもこれも、朝になって果たしてどういう光景を見るのか次第。たやすく脱出可能なのか。絶望するのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜は、食いしばるほどに長かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく、待ちに待った明るさが感じられてきた。待った。待ったよ…。滑落してから約11時間。これだけ長かった夜はかつてなかった。

 

 

いつでも動き出せるよう、おもむろに準備を始めた。

 

 

 

 

5時12分に撮ったこの写真。

やっぱり、足元切れ落ちてるやん(瀧汗)。

 

下に白く見えているのは、滝となって激しく流れ落ちる沢水。際どいとこにいた…。

 

 

 

 

 

 

体を捻じ曲げて撮った、

前夜の滑落の痕跡。斜度が伝わらないな…。

 

 

 

 

 

 

5時13分、ついに再始動。写真は何枚か撮ったが、使いものにならず。

 

 

 

直下は3mほどもスッパリ切れ落ちていたので、ここからは降りられない。周囲の状況はかなりリスキーだったが、数m上流側に平行移動し、茂みを半ばずり落ちる感じで、なんとか支沢へと降り立った。問題は、そのまま黒谷まで降りていけそうか?だったが、どうやら行けそうだ。足が萎えてしまって小鹿状態で、マジでヤバイと思ったが、幸いしばらくするとなんとか通常運転に復旧してきた。

 

 

途中、滝に阻まれていったん左岸側を巻かざるを得なくなった際には、また少々ヤバイ局面があった。獣道があちこちに走り、わが進路をどうすべきか幻惑してきたからだ。しかし、待ちに待ってようやく迎えた再始動にあたり、今度こそは沈着かつ慎重に判断、首尾よく再度沢へと戻れた。

 

 

黒谷へと復帰する途上で見た、見覚えのある光景。昨夕、道をロストして右往左往していたあたりだった。やはり、道をロストしたと思っていた地点よりもさらに前の時点で、誤った方向に進んでしまっていたのだった。

 

 

 

 

 

ついに、本来辿るべき道、昨日の往路で見た覚えのある光景へ戻ってきたときの気持ちは、素晴らしかった。少なくとも生還はしっかりと見えた瞬間だった。

 

が、休憩はしない。そんな余裕はない。ここまで一切、写真も撮っていない。

 

 

 

 

 

エスケープ開始後、はじめて撮った写真は、これ。

前回紹介した、ホハレ作業道開削工事の落石注意喚起表示板。

 

時刻は6時21分。本当に幸いなことに、ここまでのエスケープは、長い長い夜の内に望んでいた通りのペースで遂行できている。いい。実にいい流れだ。夜の辛さは自業自得として、遭難からここまでの流れは、やはりもう「大いなる何かに護られている」としか思えない。とにかく感謝しつつ、ここで初めてのプチ休憩。

 

 

 

 

ここからは、とにかくキツかった。歩くべき道を歩いているという安心感だけは素晴らしかったが、とりあえず前日に20kmほども歩いた上に、最後は道なき道を彷徨、そして寒さに震えながら、不自然な体勢のままでの11時間の夜明かし。どうにもペースは上がらず、足も上がらず。さながらゾンビもかくや、というひどい有様だった。

 

 

が、ゆっくり休憩、なんていう贅沢は、この時の私には許されるわけがなかった。我が人生の重大な分岐点が、このエスケープにかかっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

7時12分。

息も絶え絶えに、ようやくとらえたホハレ峠!

 

 

 

 

 

 

7時16分。ついにホハレ峠へ生還。

 

 

 

写真を撮ってる時間も惜しいが、

お地蔵さまにだけはちゃんと生還のお礼をしないと。今は身代わり地蔵さまやけど。

 

杖をお返しできなかったことのお詫びも忘れなかった。代わりに、でもないが、前日に借りていった作業道工事の平面図コピーは、ちゃんと返却した。

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、残るは、携帯電波を求めて下るのみ!

7時24分、ダウンヒル開始。

 

気が急くが、あいにくぶっ飛ばせるような道ではない。ちょうど作業道開削工事の作業員さんたちが登ってくる時間帯で、何度か離合した。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも最後はかなりぶっ飛ばして、7時44分!

見にくいけど、ついに電波キャッチ!!

 

36時間ぶりに嫁さんに電話、まずは平謝り。こういう時にいろいろ言わず端的なのは、さすがウチの嫁さん(笑)。女サムライだけのことはある。

 

「じゃあ私、仕事行くで」

通話時間わずか2分程度の短く、しかし安堵に満ちた会話だった。

行ってください。本当にいろいろ申し訳ない。

 

 

詳しいやり取りは控えるが、この朝の内に私からの連絡がなければ、警察に言おうと思っていた、ということで、間一髪セーフ!危なかった~!

 

 

 

 

わずか2時間半強でのエスケープ完遂は、長い長い夜に悶々と考えた「こうなったらベストやな」の想定をも上回る、まさに上首尾。そして、この時間ならば、木之本から高速を使えば、余裕でシャワーを浴びたうえで仕事にも間に合う。

 

改めて、私を護ってくださった「大いなる何か」に、心から感謝を述べた。声に出して。

 

 

 

 

 

 

そしてその後

「30分の仮眠」という贅沢を、ようやく自分に許した。

 

 

 

 

 

 



帰宅後、仕事に行くまでの1時間強の間に、汚れまくった衣類やリュックなど、ある程度処理した後にようやくシャワーを浴び、しれっと仕事へ。普通に商談とかしてると、今朝まで死線をさまよっていたことがウソとしか思えず。思わず苦笑いだった。いやいや、もうちょい余韻がほしいわ、と(笑)。

 

 

 

おわかりいただけると思うが、さすがにこの日ばかりはクタクタだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が、私が犯したミスの顛末である。探索時間のマネジメント忘れという、ド素人のくそったれな凡ミスの代償として、いともあっさりと命を落としていたかもしれない、死ねる要素はいくつもあった。

そうでなくても、多くの方々にご迷惑をおかけする事態になっていたかもしれず、そうなったらわが趣味人生にも社会人人生も大きくバッテンだ。考えただけでゾッとする。

 

なのに、なんかもうすでに記憶があいまいになりつつあり、覚えている今の内にできる限りの「事実」と「自分の感じたこと」を記録しておこうと、この記事を書いた。一部の方には釈迦に説法ではあろうが、私のこの恥ずかしい話を他山の石とされ、探索には十分な計画性と準備の上で臨まれるよう、ささやかな注意喚起となれば幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

以上、恥ずかしながら告白でした。

 

 

 

追記:より明確に注意ポイントを書いた【具体的にどこですの?篇】もご覧ください。

 

 

 

 

 

※この記事ではウソや誇張を控え(笑)、思い出せる限り詳細かつリアルに真実を書く。

 

 

2019年9月25日、15時25分。私は、門入集落はずれの沈下橋上にいた。

山神さんの真似をして、行きにここでビールを冷やしておいたのだった。

 

山神隊がここを訪ねられた2019年6月には越流して堰堤のようになっていたこの橋も、この日は沈下橋としての本来の姿を取り戻していた。

 

 

ホハレ峠のお地蔵さまのところでお借りしてきた木の杖も、ここに置いてあった。これからの登り返しでまたお世話になり、最後には、ちゃんとお地蔵さまのところに返さないと。

 

 

 

 

ビールと言いながら、

実際はノンアル。

 

登り返したら、ほどなく運転しなくてはならない。汗をかいてそれまでにアルコールなんて飛んでしまうだろう、とは思ったものの、自称・慎重派の私はノンアルをチョイスしたのだった。

 

 

 

 

なぜ、この慎重さが肝心なところに働 か な  か  っ  た  ?

 

 

 

 

 

 

ノンアルは物足りなかったが、

それでもこういうところで飲めば、雰囲気でうまかった。

 

レアな自撮りなんてしちゃって、上機嫌な私。こんなことをしている時間はなかったのに。

 

 

 

 

 

 

休憩を終え、ようやくこれから黒谷に沿ったホハレ峠までの登り返しに向かう。今朝がたに通ってきた道だ。

 

 

 

 

ここでバッチリと、山歩き仕様に衣装チェンジ。

舗装路踏破用にスニーカーも持ってきており(これも山神さんを参考にさせていただいた)、ここまではそれが活躍していたが、これにてお役御免。あとは信頼できるわが相棒・いつもの長靴でホハレ峠に登る。杖もしっかりと。

 

 

 

 

 

この時点での万歩計数値は、

29,124歩。

 

いわゆる山道や舗装路、川渡りまであるという変化に富んだ道程だったため、歩幅もまちまちだっただろう。まあ60cmとすれば、17474.4m。約17.5km歩いてきたことになる。そんなものか?知らんけど。

 

 

 

 

 

 

15時43分。さらば門入。

 

 

この場所に行った先達の方々ならば、ここでこう思うのではないだろうか。

 

 

 

「15時43分?戻るには、ちょっと時間が遅くないか?」

 

 

 

そうなのだ。プランニング時点で当然考えているべきことが、なぜか考えられていなかったのだ。山神さんや先人たちの記事で、そここそを最も参考にせねばいけなかったのに、どこに行きたいか?ばっかりで。本当に粗忽でド素人な私。

 

この日は前乗りで木之本のコンビニで仮眠してからホハレ入り、朝7時ジャストには降下を開始していた。なんでか知らないが、この時間に出発してるんだから、あちこちまわっても普通に帰還できる余裕があるはずだ、というワケのわからん思い込みがあった。途中のある時点(しかも、ガッツリと午後に入ってから)に、「あれ?これもしかして、ちょっと時間ヤバイんじゃ?」と気付くまでは。

 

 

 

なので、先ほどの沈下橋での休憩が、最後のしっかりした休憩とするつもりだった。日没時間を考えれば、相当に急いで登らなければいけない。幸いマグライトは常時携行しているが、暗くなってしまってあの踏み分け道が判別できるか。

 

作業道工事関連の表示が道沿いに点在していたので、それがある目印として期待できるとは思うが、明るいうちにできるだけ距離を稼ぎたかった。

 

 

けど、あそこであんな自撮りに興じたこと自体、コトの深刻さを理解せずにナメきっていたと言わざるを得ない。今となっては。

 

 

 

 

16時14分。黒谷第一砂防ダム。

 

 

 

 

 

 

 

16時31分。黒谷第二砂防ダム。これが、最後の写真。

 

やはり疲労は蓄積しており、第一ダム上流の堆砂地で小休止を余儀なくされた。言わんこっちゃない。

第二砂防ダム上流で、渡渉して黒谷左岸に移る。門入からこのあたりまでは、往路の記憶もハッキリしていた。

 

 

歩きながら、視線はしばしば稜線近くの太陽の位置を追っていた。稜線に隠れてしまったとしても、即刻真っ暗になるわけじゃない。焦るな。そんなふうに心中で呟きながら。

 

 

 

 

 

どこまで歩けばそれがあるのだったか、そこまでは覚えてはいなかったが、心の支えにしていたもの、

 

それは先述の

作業道工事関連の表示。これは行きに撮ったもの。

 

この道よりも数十m上で行われている、ホハレ作業道の開削工事。それに伴う万一の落石発生に対する注意喚起と通行注意の表示で、落石の危険性のあるエリアの端にそれぞれこれが立てられていた。

 

 

 

 

 

掲示されている平面図にて、

黒丸がついているのがこの表示板、門入側の位置。

 

ここから反対側のエリア端までの間には、作業エリア境界を示す表示板がところどころに立てられていたので、この黒丸ポイントにたどり着けば、多少暗くなろうとも道をロストするリスクは低減される。そう見込んでいたのだった。

 

 

 

 

 

平面図の一部分をクローズアップする。

「No.32」のところが黒谷第二砂防ダムで、先述のとおり赤線(今歩いている道)がその上流で渡河しているのがわかるだろう。

 

 

 

つまり、このままズンズン進めば、ほどなく例の表示板があったはずなのだが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道を、見失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かと言って、パニックにはならなかった。おっと、いかんいかん。太陽の位置ばかり気にしすぎたか。

 

 

道をロストしたら、戻るのが定石。確信を持てるところまで戻って、ああそうか、もう一回川を渡るのか。あれ?でも渡った先には踏み跡がない…。

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち着け。しっかりしろ。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、今朝峠で借りてきた平面図コピー(上の写真と同一のもの)を取り出し、道をチェック。すると、道は一貫して黒谷の左岸にあることが確認できた。危ない危ない、間違って渡っちまうところだった。ここは左岸を直進だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時点で私は、とっくに死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

一貫して左岸をつき進んだ挙句に、どうにもおかしいぞ、となって改めてチェックした平面図。すると、見落としていた事実が今さら判明。なんと、知らず知らずに、違う支沢に誘い込まれていた。これはまずい。非常にまずい。

 

 

そしてここで、腰につけていた万歩計が失われていることに気付いた。今日一日気にして幾度となくチェックしていた、当然一緒に家に帰るはずの万歩計が。

不思議なもので、これが分かった瞬間に、心の平静が一気に半分ほど失われた。これって、「身代わり」になってくれたのか?とか連想したせいか。

 

 

時間切れを気にして支沢の左岸を無駄にガシガシ遡上したものだから、地形はもはや険阻そのもの。なんとかまた戻って、黒谷の本流に復帰しないと。

 

 

 

 

 

 

だが、あたりは暗くなり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

今や自分がどういう場所にいるのか、よくわからない。ハッキリしているのは、もはや手にした杖が邪魔でしかないほどに険しい場所にいる、ということ。でもこの杖はお地蔵さまに借りたもの。必ず返さないと…と考えたまさにその瞬間、2mほど滑落。思わず手放した杖は、どこか暗がりの中へと失われてしまった。お地蔵さまの杖が。

 

 

 

これまた、重いストレートよろしくココロに来た。ふたつめの「身代わり」。ヤバイ、心を折られる寸前だ。

 

 

 

 

目前には小さな涸れ沢が横切っていた。もはや冷静な判断力が尽きかけていた私、これを下ってまず支沢へ降り、さらにそれを下って黒谷へ出よう、そうしよう。…いや、無理だから。

 

 

ズルズルとなかば滑り落ちながら下っていくも、でかい段差に阻まれた。やむなく脇の斜面にかわしたが、駄目だ、岩の上に浅く土がついてるだけの崖。これは渡れない。

 

渡れない。

 

 

渡れないけど、渡るしか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そんな崖の真ん中で、あたりは闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わった。

 

 

 

ガチな遭難やんこれ。

 

 

 

どうすんの、明日仕事あんのに。

 

 

 

いや、今晩帰るって嫁に言ってきてるのに。

 

 

 

 

 

 

動けない動けない。

 

 

 

 

 

 

 

どうにも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

掴んでいた草がちぎれ、

 

 

 

 

 

 

 

 

足を滑らせて滑落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

※五体満足で元気ですので、ご心配は無用です。念のため。

 

 

 

 

 

早いもので、あの平成の御獄大噴火から今日でまる5年です。
 
わたくしと御嶽との関わりは、この書庫の過去記事を参照願います。

 

改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

当初から記事タイトルに「平成の」とつけていたのは、昭和54年に発生した「有史以来初の大噴火」と区別するためにつけたものでしたが。元号が変わったことでより意味が出てきましたね。令和の世にはこれらのような災害がないことを願いたいものです。

 

 

御嶽関連の記事、継母岳のみで断筆しております。書きたい気持ちはあるんですが、とにかく手間がかかるので…(汗)。

 

 

 

 

 

 

個人的なことで恐縮ですが、つい先日に高校時代からの友人を亡くしました。彼は大学は別でしたが、御嶽夏山のバイトを紹介して、何年か一緒にお山で過ごしました。

 

彼とは家族ぐるみの付き合いでした。どちらも子供のいない夫婦二人だけってことで、楽だったのもあるでしょうね。古くからの読者ならご存知かもしれない、冬場にカニを食べにいってたのも、ウチと彼、ふた夫婦で行ってたのですよね。

 

 

 

通夜では生前の個人を偲ぶ写真コーナーみたいなのが設けられていて(最近はああいうのがあるんですね)、人生の中でこんなことがありました、という十数点ほどの写真が飾られていたのですが、その中にわたくしと写った御嶽での写真がありまして、それを見たときに、毎年この日に書いてる御嶽記事、今年は彼に捧げよう、と思ったのでした。

 

 

 

 

写真を見返すと、懐かしくて…。

左のバカが若かりし頃のわたくし、右が友人の彼です。

 

これは継子岳山頂付近で四の池をバックに撮ったやつですね。夏山のバイトでは暇な時にはこのように山頂一帯をあちこち散策して回ったものでした。

 

 

 

 

 

もう一枚、以前も出した布団干しの一こま。

今度は、右のバカが友人の彼(笑)、左がわたくしでございます。本当にこのバイトは楽しかったなあ…。いろんなことも学んだし。

 

 

 

 

 

この頃には、人生にはまだまだ先があるもんだと思ってましたが…トシはとりたくないですな(苦笑)。

 

 

 

 

 

通夜で流れていた、オジー・オズボーンの“Tonight”。間違いなく奥さんのチョイス、グッときました。

https://youtu.be/CCvVnSzXTfg

高校時代からオジーが大好きだった彼だけに、これを流してあげたのは良かったです。まあオジーだと通夜の場で流せる曲は限られてますけども(苦笑)。

 

 

 

 

 

奥さんとも話したいし、明日、お線香を上げに夫婦そろって彼の家に行きます。

 

 

 

 

 

以上、スゲー個人的な記事で失礼しました。