告白(自戒と警鐘)【具体的にどこですの?篇】 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

先日記事にてご報告し、多くの温かいコメントをいただいた、先日の「門入・戸入アタック」での我が最悪の失敗。冷静な判断だとか褒められていい気持ちになってる場合ではなく、そもそもああいう事態を招いたことそのものがダメなのだ、ということを肝に命じないといけない。

 

 

そして、いただいたコメントを観て、あれを書いて終わりではなく、実際にどこでミスったのか、どこで気をつけるべきかをもう少し補足しておいたほうがいいと気づかされた。つうわけで、そういう趣旨の補足記事である(笑)。

あ、あと、広域の地図は出さない。基本的にここのことを知っていて、今後行くかもしれない人に向けて書いている。つまり、めっちゃ狭い層に向けて書いてる(笑)。

 

 

 

 

 

さて、先日の記事でも出した、これ。

この平面図には、ホハレから門入への道のうちおよそ半分強、峠から黒谷第一砂防ダムまでが描かれている。

左下の黒丸がホハレ峠、そして右上に大きく描かれた堰堤表記が、黒谷第一砂防ダム。その二点を結ぶ赤線が、ホハレと門入を結ぶ古道であり、黒谷の源頭部から森林の中をずっと左岸側に寄り添って下っていき、

森林が開けてから右岸側へ渡渉すると黒谷第二砂防ダム。そこからさらに下ると、第一ダム上流の堆砂した河原に出る。

ここで第一ダム手前で右岸側に進むと、自然と道の続きに復帰できる。その先、門入までは一部崩壊しているものの、車道規格の立派な道となる。

 

 

 

 

 

この道は、かつて坂内や、さらに八草峠を越えた木之本との交易の道だったとのことだが、揖斐川筋から自動車が通れる道路が整備された近世には廃れてしまったらしい。

しかし、徳山ダムが完成して道路が水没したことの副作用として、ある種の生活道路として近年復活している、という状態。

つまり、つい最近まで廃道状態だった道であり、それがゆえに地理院地図にも一切描かれていないわけである。よって、一般的な登山道やハイキング道とは違い、整備は行きとどかず、道しるべの類は一切ない。

 

 

基本的に、ホハレ峠から門入への往路は、OKだ。もちろん油断は禁物だし、足元が危ないところはいくらでもあるので、そういう意味では慎重に歩かなければいけないが、迷うところはないと思う。問題は復路だ。

 

 

要注意なのは、わたくしが間違えたところ。同じ写真だがもう一度貼る。

写真は往路に撮ったものなので、復路で言うと対岸からこちらに渡ってくる形となるが、ここで黒谷を渡渉して左岸側に移る。で、ここからは峠まで、もっと上のほうのごく一部分を除き、一貫してこの左岸側のままで遡上していく。

 

 

わたくしの場合、これが盲点となった。

 

 

と言うのは、ここで渡渉してから少し上流側で、左岸側に流入してくる支沢があるので、これも渡渉して黒谷左岸を遡上し続けるのが正解なのだが、わたくしはこの支沢手前のどこかで道を間違え、それが黒谷だと信じ込んだままで支沢の左岸側に進んでしまったのだった。

 

概念図は、こう。

黄色のマルが、黒谷を渡渉して左岸に移る、先ほどの写真の場所。もちろん黄色矢印方向が正解ではあるが、黒谷の位置をハッキリ把握していないと、知らず知らずのうちに、わたくしと同じオレンジ矢印方向の「死のトラップ」へと誘い込まれてしまうことになる。

 

 

 

 

 

 

この付近の道は、河岸の丈の長い草藪を踏み分け跡を頼りに辿るようなそんな道。

こういうイメージ。

 

こんなところに、獣道的な紛らわしい踏み跡もあったりして、時間帯や精神状態によっては、わたくしのように誤った方向に導かれてしまう危険性が高い。

 

 

結論として、復路において黒谷第二砂防ダム上流で渡渉して黒谷左岸に移ってからしばらくは、特に周囲を注意深く見ながら、黒谷の位置を把握しながら歩くことだ。そうすれば流入してくる支沢もあっさり渡渉してクリアし、あくまで黒谷に沿った正しい方向へと進み続けることができる。

 

 

 

そして可能なら、いみじくも山神さんがコメントでご忠告くださったように、「道を知っている人と一緒に行く」のがベターだ。これ、遭難した夜にはしみじみと噛みしめたものだった…。

 

 

 

 

 

以上、補足の注意喚起でした。