告白(自戒と警鐘)【後篇】 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

※この記事ではウソや誇張は控え(笑)、思い出せる限りリアルに「自分なりの」真実を書いている。

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 


暗闇の崖の途中で足を滑らせたその瞬間、「あっ死んだ」と思った。よく聞くように、その一瞬のうちにさまざまなことが頭をよぎる、なんてことはなかったが、凄い勢いで派手に滑落した。

 

どのくらい落ちたのかははっきりわからないが、もしもんどり打って転落していたり、あるいはごつごつした岩だったら、ただでは済まなかっただろう。実際、死んでいたか、良くて骨折は免れなかったはず。

 


が、まるでスライダーのように足を下にしてお尻をスラブ状と思われる岩肌につけた態勢でまっすぐ落ちたおかげで、驚いたことに、ある場所にストーン!と衝撃もなくきれいにランディングした。体勢としては、斜面に寝そべっていて、そう、広いお風呂につかった時のような。

ちょっと信じられず、束の間動けなかったっけ。後で気づいたが、唯一の怪我らしい怪我は、左手首付近の軽い擦り傷だけだった。

 

 

 

落ちた時にはもう真っ暗で、おそらくまだ崖の途中だとは思ったが、まだ相当高い所にいるのか、だいぶ下なのか、とか全然わからなかった。でもその場所は、滑落直前までいた足場の悪すぎる場所に比べて、ウソのように安定していた。

まるで、進退極まった私を見かねて、「お前ちょっとこっちで休め」とばかりに強引に引っ張られたような。

 

 

 

 

 

 

 

奇跡だ。奇跡が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

文字にすると恥ずかしくなるようなやっすい言葉だが、心底そう思った。そして、ご先祖様なのか竹生島の大弁財天様なのか、とにかく「『大いなる何か』に護られている」と感じた。決してオカルト的な受け取り方をされたくはないのだが。

 

 

おそらく滑落直前がもっともパニックに陥っていたと思う。あれは完全に死亡フラグであったが、何かにこの場所に導かれ(たように感じ)、大いなる感謝、安堵を覚えたその一瞬の間に、自分でも驚くほどに冷静になれた。

 

 

 

 

 

 

 

そして即時、「今夜はこの場所で過ごす」と決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、今や早くも「あれは現実だったのだろうか?」と思ってしまうほどなのだが、

この写真を見ると、あの感覚が蘇ってくる。

 

これは、ここに滑り落ちたままの体勢で足元を撮ったもので、滑落してすぐに、この場での待機を決めたタイミング記録として撮ったはず。ちなみにタイムスタンプを見ると、18時10分。最後に撮った黒谷第二砂防ダムの写真が16時31分だったから、思ったより長いこと彷徨していたのだなあ。

これは記事を書くにあたって思ったことで、現場ではそんなことは考えなかったが、彷徨のさなかのあの気持ちは、まあ二度と味わいたくない。

 

 

 

 

 

 

自分でも驚くほどに冷静沈着になった私、即決でこの場での夜明かしを決めた理由は極めてシンプルで、明日仕事だろうが嫁が心配しようが、まずは「生還すること」が最優先、と決めたから。であれば、この暗闇の中で地形もわからない崖を動き回ることは自殺行為。つまりは、周囲の状況や地形が判別できるほどに明るくなるまではこの場に留まるという一択しかないと。

 

ちなみにマグライトは、手元や持ち物の確認、直近の周囲の確認などには役に立ったが、あれを頼りに(あの局面で)移動することは論外だとすぐにわかった。

 

 

 

夜明かしをするためには、一切体力を消耗しないようにすると同時に、体温を保たねばならない。幸か不幸か、動ける余地もなくじっとしてるしかないので体力消耗は抑えられる。

肝要なのは体温保持。当時の服装は、下はワークマンの超撥水ジーンズ(やはり朝露には無力だった)、上は半袖Tシャツの上にモンベルの薄いヤッケ?というもので、これに加えて着替え用のこれまた半袖Tシャツがあったのみ。あと軍手。これでなんとかするしかない。

 

考えた結果、まずは汗で濡れたTシャツから、新しいTシャツに着替えた。そして、唯一の「上着」であるヤッケは汗で湿っていたので、いったん脱いでバタバタさせ、少しでも乾かしてから再度着込んだ。

 

脱いだばかりのTシャツも同じくバタバタさせて乾かし、これをヤッケの上から着た。だぶっとしたヤッケの上からタイトなTシャツを着ることで、少しでも肌に密着させて暖かくしようということである。効果があったのかどうかは、正直よくわからないが。

軍手は、完全にぐっしょり濡れていて、かつそうそう簡単には乾く素材でもないので、逆に外した。

 

そうそう、ヤッケを脱ぐときに、ファスナーが生地を噛んで動かなくなってしない、肝を冷やした。ファスナーが閉められなくなったら、マジな死活問題だ。マグライトで照らしながら慎重に対応し、なんとか直せたときはホッとしたなあ…。

 

 

次に…というか、実際はこれらを並行して行っているのだが、食料その他の持ち物チェック。何か、役立つものはないか?

手持ちの食料は、おにぎり1個と小さなロールパン4個入り袋がひとつ、それと塩分補給用の塩飴がたくさん。そして500mlペットの水がほぼ丸々1本。悪くはない。お腹は減ってなかったが、体力保持の観点から、おにぎりを食べた。

後はタオルが2本あったが、この日ずっと使っていたものはもうドロドロになってしまってたので、もう1本のほうを寒さしのぎの乾布摩擦(服の上から)に使った。

 

 

 

こうした作業を行うのに、安定しているとは言え斜面なので、もし何か落とせば、即失ってしまう可能性が高かった。

先述のヤッケのファスナーのように、何か一つを損ねたり失ったりすることが命取りになりかねない局面に叩き込まれているということはひしひしと感じていたので、上記の着替えやリュックとウェストバッグの持ち物のチェックや出し入れ、ズボンの左サイドポケットに入れたデジカメ、右サイドポケットに入れたスマホなどの出し入れも、非常に慎重に行った。

 

 

 

 

で、最終的にウェストバッグ、リュックともに体の前にかけて、リュックを抱くようにして横たわる態勢をとり…完成。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、出来うる範囲で最善を尽くし、夜明かしの態勢は整った。おそらくだが、諸々整えるのに30~40分ほどかけたのじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは、ひたすらに耐え忍ぶ時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返しになるが、今いる場所は安定はしていたもののその周囲の状況は植生に阻まれて分からず、またどうやら足先より下には地面がない(!)ような、そんな危うい感触があった。なので、上半身を少し起こすかどうかくらいで、基本的にはずーーっと同じ姿勢。これはやっぱりキツイ。

 

 

そして、危惧していたとおり、やはり寒かった。幸いにもまだ9月下旬、命にかかわるほどに気温は下がらないはずだが、それでもとんでもなく寒かった。うとうとしては寒さにガチガチ震えて目が覚める…を、何百回繰り返しただろうか?

胴体部分はヤッケを挟んで2枚のTシャツで計3枚着ているが、袖部分は薄手のヤッケのみなので、マジで寒い。対策として、リュックについているレインカバーを出し、その中に可能な限り腕をたたんで突っ込み、寒さから守った。これが多少なりとも効果があり、なんとかしのぎ切った。あとひと月遅ければ、死んでた可能性は高い…かも。

 

 

 

 

 

 

最も恐れたのは、雨が降ることだった。

 

 

 

 

 

 

ただでさえこんな寒いのに、雨が降って体温を奪われたら、9月とは言えマジで低体温症がありうる、と思った。そしてもちろん、険阻な崖はズルズルになって攻略もかなわなくなるし、沢も増水するし、と致命的なダメージをもたらすこと間違いなし。

もうそれだけは勘弁…と、頻繁に夜空を見上げては、星が見えているのを確認せずにはおれなかった。いや、マジで雨には怯えた。

 

 

幸い雨こそ降らなかったものの、つらかったのは湿気…というか、夜露。もうぐっしょりと濡れてきて、こればかりはどうしようもなかった。実はこの場所、小さな滝のすぐそばだったようで、一晩中轟々と水音がしていた(不思議なことに、当初はそれを全然認識していなかった。やはり特殊な精神状態だったのかも?)。もしかしたら、その飛沫もあいまって余計に湿度が高かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

ひとつ、怖かったことを思い出した。いつとも知れぬ頃、お尻やふくらはぎを置いている斜面で、少し「ズルッ」といく感触があった。最初は気にしなかったのだが、何度か続くと、こう…。「これ、ある時いきなりズザーッと逝ってしまうんじゃ?」と思えてきて…。

 

で、もぞもぞしてみると…右かかとが乗っていたところがボコッと崩れた感触が(汗)。

 

 

これはアカン、このままいるといつかもう一度滑落する!そう焦った私、マグライトで周囲を確認、しっかりしてそうな草を選んで掴み、足場のグリップを探りながら数十cmほど体を引き上げてみた。すると、ありがたいことに再び安定感を得られた。…のはいいのだが、埋まった石が腰や背中に当たって居心地はすこぶる悪くなってしまった。…まあ、落ちるよりはマシだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返しになるが、それにしても長い夜だった。

 

 

 

 

 

 

闇の中、同じ体勢で崖に横たわり、ひたすら朝を待つ。決して時計は見ないと決めて、耐えて耐えて。寒さに震えながら耐えて、耐えて耐えてまた耐えて。

 

 

いい加減朝はまだなんか!?とついに見た時計が、忘れもしない2時12分だった時の絶望感(苦笑)。あと3時間ほどもあるのか!!??

 

 

 

 

 

 

 

することは考えることしかないので、いろんなことを考えた。震えながら。

 

 

 

 

 

ひとつ幸いだったのは、自分がどこでどういうミスを犯したかわかっていたこと。頭の中で反芻し、黒谷の西側の支沢に入り込んでその源頭部付近にいるのであろうと思われたので、明るくなったら支沢を下って行けばおのずと黒谷左岸に流入するのだから、そこで黒谷に沿った、本来辿るべき道に再会できるはず。それがわかっているのは、数少ない明るい要素だった。

 

 

「生還できること」を前提として、最も気になっていたのはやはり嫁さんのこと、そして仕事のことだった。帰ると言っていた夜に帰ってこなかった旦那を心配し、遅かれ早かれ嫁さんは警察や会社に連絡するだろう。そうなると、俄然話は大きくなってしまう。

翌日の仕事は、幸いなことに午後1時から、兵庫県西宮市でとなっていた。通常、11時26分に最寄り駅発の電車に乗れば間に合う。

 

こんな時に仕事のことなんて、とか言う人は、おっさんおばさんの多い読者の皆さまならば(笑)いないと思う。真面目とかプロとかそんなことじゃなく、社会人として自分の趣味時間での不手際で仕事に穴を開けるなんてことは、あってはならない。社会人生活の重大な危機だ。サボって穴開けるほうがマシなくらいだ。

 

 

 

つまり問題は、黒谷までのエスケープをどのくらいの時間でやり遂げられるか。その後、いかに速やかにホハレ峠を登り返し、車に戻れるか。そしてさらにその後は、いかに速やかに峠を降りて、携帯電波のある場所で嫁さんに連絡できるか。その3ステップに尽きた。それが理想的な時間内にやり遂げられれば、おのずと仕事にも穴を開けないで済む。

 

 

 

それもこれも、朝になって果たしてどういう光景を見るのか次第。たやすく脱出可能なのか。絶望するのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜は、食いしばるほどに長かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく、待ちに待った明るさが感じられてきた。待った。待ったよ…。滑落してから約11時間。これだけ長かった夜はかつてなかった。

 

 

いつでも動き出せるよう、おもむろに準備を始めた。

 

 

 

 

5時12分に撮ったこの写真。

やっぱり、足元切れ落ちてるやん(瀧汗)。

 

下に白く見えているのは、滝となって激しく流れ落ちる沢水。際どいとこにいた…。

 

 

 

 

 

 

体を捻じ曲げて撮った、

前夜の滑落の痕跡。斜度が伝わらないな…。

 

 

 

 

 

 

5時13分、ついに再始動。写真は何枚か撮ったが、使いものにならず。

 

 

 

直下は3mほどもスッパリ切れ落ちていたので、ここからは降りられない。周囲の状況はかなりリスキーだったが、数m上流側に平行移動し、茂みを半ばずり落ちる感じで、なんとか支沢へと降り立った。問題は、そのまま黒谷まで降りていけそうか?だったが、どうやら行けそうだ。足が萎えてしまって小鹿状態で、マジでヤバイと思ったが、幸いしばらくするとなんとか通常運転に復旧してきた。

 

 

途中、滝に阻まれていったん左岸側を巻かざるを得なくなった際には、また少々ヤバイ局面があった。獣道があちこちに走り、わが進路をどうすべきか幻惑してきたからだ。しかし、待ちに待ってようやく迎えた再始動にあたり、今度こそは沈着かつ慎重に判断、首尾よく再度沢へと戻れた。

 

 

黒谷へと復帰する途上で見た、見覚えのある光景。昨夕、道をロストして右往左往していたあたりだった。やはり、道をロストしたと思っていた地点よりもさらに前の時点で、誤った方向に進んでしまっていたのだった。

 

 

 

 

 

ついに、本来辿るべき道、昨日の往路で見た覚えのある光景へ戻ってきたときの気持ちは、素晴らしかった。少なくとも生還はしっかりと見えた瞬間だった。

 

が、休憩はしない。そんな余裕はない。ここまで一切、写真も撮っていない。

 

 

 

 

 

エスケープ開始後、はじめて撮った写真は、これ。

前回紹介した、ホハレ作業道開削工事の落石注意喚起表示板。

 

時刻は6時21分。本当に幸いなことに、ここまでのエスケープは、長い長い夜の内に望んでいた通りのペースで遂行できている。いい。実にいい流れだ。夜の辛さは自業自得として、遭難からここまでの流れは、やはりもう「大いなる何かに護られている」としか思えない。とにかく感謝しつつ、ここで初めてのプチ休憩。

 

 

 

 

ここからは、とにかくキツかった。歩くべき道を歩いているという安心感だけは素晴らしかったが、とりあえず前日に20kmほども歩いた上に、最後は道なき道を彷徨、そして寒さに震えながら、不自然な体勢のままでの11時間の夜明かし。どうにもペースは上がらず、足も上がらず。さながらゾンビもかくや、というひどい有様だった。

 

 

が、ゆっくり休憩、なんていう贅沢は、この時の私には許されるわけがなかった。我が人生の重大な分岐点が、このエスケープにかかっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

7時12分。

息も絶え絶えに、ようやくとらえたホハレ峠!

 

 

 

 

 

 

7時16分。ついにホハレ峠へ生還。

 

 

 

写真を撮ってる時間も惜しいが、

お地蔵さまにだけはちゃんと生還のお礼をしないと。今は身代わり地蔵さまやけど。

 

杖をお返しできなかったことのお詫びも忘れなかった。代わりに、でもないが、前日に借りていった作業道工事の平面図コピーは、ちゃんと返却した。

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、残るは、携帯電波を求めて下るのみ!

7時24分、ダウンヒル開始。

 

気が急くが、あいにくぶっ飛ばせるような道ではない。ちょうど作業道開削工事の作業員さんたちが登ってくる時間帯で、何度か離合した。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも最後はかなりぶっ飛ばして、7時44分!

見にくいけど、ついに電波キャッチ!!

 

36時間ぶりに嫁さんに電話、まずは平謝り。こういう時にいろいろ言わず端的なのは、さすがウチの嫁さん(笑)。女サムライだけのことはある。

 

「じゃあ私、仕事行くで」

通話時間わずか2分程度の短く、しかし安堵に満ちた会話だった。

行ってください。本当にいろいろ申し訳ない。

 

 

詳しいやり取りは控えるが、この朝の内に私からの連絡がなければ、警察に言おうと思っていた、ということで、間一髪セーフ!危なかった~!

 

 

 

 

わずか2時間半強でのエスケープ完遂は、長い長い夜に悶々と考えた「こうなったらベストやな」の想定をも上回る、まさに上首尾。そして、この時間ならば、木之本から高速を使えば、余裕でシャワーを浴びたうえで仕事にも間に合う。

 

改めて、私を護ってくださった「大いなる何か」に、心から感謝を述べた。声に出して。

 

 

 

 

 

 

そしてその後

「30分の仮眠」という贅沢を、ようやく自分に許した。

 

 

 

 

 

 



帰宅後、仕事に行くまでの1時間強の間に、汚れまくった衣類やリュックなど、ある程度処理した後にようやくシャワーを浴び、しれっと仕事へ。普通に商談とかしてると、今朝まで死線をさまよっていたことがウソとしか思えず。思わず苦笑いだった。いやいや、もうちょい余韻がほしいわ、と(笑)。

 

 

 

おわかりいただけると思うが、さすがにこの日ばかりはクタクタだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が、私が犯したミスの顛末である。探索時間のマネジメント忘れという、ド素人のくそったれな凡ミスの代償として、いともあっさりと命を落としていたかもしれない、死ねる要素はいくつもあった。

そうでなくても、多くの方々にご迷惑をおかけする事態になっていたかもしれず、そうなったらわが趣味人生にも社会人人生も大きくバッテンだ。考えただけでゾッとする。

 

なのに、なんかもうすでに記憶があいまいになりつつあり、覚えている今の内にできる限りの「事実」と「自分の感じたこと」を記録しておこうと、この記事を書いた。一部の方には釈迦に説法ではあろうが、私のこの恥ずかしい話を他山の石とされ、探索には十分な計画性と準備の上で臨まれるよう、ささやかな注意喚起となれば幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

以上、恥ずかしながら告白でした。

 

 

 

追記:より明確に注意ポイントを書いた【具体的にどこですの?篇】もご覧ください。