穴と橋とあれやらこれやら -298ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

今宵の記事は、ひたすらに涼を求めた結果、「あ!」とひらめいたやつをお送りする。

 

 

いきなり、ドン!

急発進で恐縮だが(笑)、これが米原市井之口地内にある「井之口分水」である。場所はコチラ

 

 

 

 

 

 

拙ブログ界隈ではご存じの方も多いかもだが、まずは解説。

…と言っても、この案内板を書き出すだけだが(笑)。

 

井之口分水は、出雲井(いずもゆ)、小田(やないだ)分水を経由した水を分水する農業水利施設です。円形の中央部より水が噴き出す構造で、これは上流の小田分水との水位差によるものです。

「円形」という特徴的な形をしているのは、「より公平な水の分配」を考えた結果といえ、また、細部の仕上げもとても丁寧で、公平な分配をかなり意識している様子が伺えます。

 

専門に追いかける人もいるほどに、一定数の愛好家を誇る円形(円筒)分水。記事数こそ少ないものの、わたくしも大好き。公平な水の分配という非常に重要な命題を最大限実現するための「円形」という極めて合理的なストラクチャーが、シンプルにうつくすぃ~(笑)と思うのだ。

 

 

 

そして、これは副産物にすぎないのだが、

見た目に涼しい!イイネ!

 

 

 

 

ずっと行きたかった物件だったのだが、一度の未遂を経て最初に訪ねたのはけっこう遅く、2016年9月4日。ハルニチさん(当時はかすがさん)と初めてご一緒した日のこと。

 

ここまでの写真は当日のものだが、二度目に訪問した2018年7月14日(今度はDAiNさんと初めてご一緒した日・笑)の写真もどうぞ。

まあそう変わりばえしないけど(笑)。

 

 

 

 

こんなん書くと怒られそうだが、

この水が湧き立ってるど真ん中に浸かりたい(笑)。

 

 

 

 

 

 

さぞかし気持ちいいだろうな~…って、

絶対やっちゃイカンぞ。

 

 

 

 

それにしても、

この日は暑かった。

 

 

 

 

木陰でしばし休んで、

車に戻った。

 

 

 

 

意外なことに(笑)、【次回】に続く。

 

 

 

再度明記しておく。

 

今回と前回の記事は、路線の長期運休中(決して列車が来ないことが確定している)という状況下での記録であり、運行中の線路敷きに侵入してのものではない。

 

 

【前回】より続く。

 

 

竹原トンネルを抜けると、

いきなりのガーダー橋梁だった。

 

 

 

 

 

お名前は…

第二取久美橋梁。

 

「とりくみ」?変わった名前の橋梁もあったもんだ。第一はどこにあるんだろう。もしかして、トンネルをはさんで伊勢鎌倉方にあったごく短い橋梁だろうか?

 

 

 

 

 

設置位置は忘れたが、

鐡道省の銘板があった。

 

まあこれはこの日見てきた他の橋梁でも見られたので、レアってほどでもないのだが。

 

 

 

 

 

ここでの想い出といえば、

こんな写真を喜んで撮ってたら…

 

 

 

 

 

なぜか

携帯を橋台とガーダーの間のスペースに落としてしまった(汗)。

 

なんでそういうことになってしまったかの記憶は一切ないんだが。

 

 

 

 

一応説明すると、

こういうこと(笑)。

 

当然人間が滑り込める隙間なんてない。束の間焦ったが、拾ってきた木の枝でたぐり寄せて無事回収できた。こんなとこに携帯落としたやつ、おらん!(ノブふうに)

 

 

何をやっとんねん、とね(笑)。

 

 

 

 

 

さて、橋梁の先では、

こういう感じになっていた。

 

休止中だった名松線だが、この日(限られた範囲ではあるが)いろいろ見て回った中では、路盤に土砂が出ていたのはここ一か所だけだった。「こんなんならすぐに復旧できそうなのに…JR東海め、このままやめるつもりやな…」と感じたのを覚えている。

実際にはこの後さらに6年もかかって復旧したわけで、まあいろいろな紆余曲折があったんだろうが、ちょっとJR東海を見なおした。ありがとう(笑)。

 

 

 

 

運行再開した今となっては、

こんな場所にはもう行けない。改めて、貴重な探索となった。

 

 

 

以上。

 

 

 

2010年1月25日、第五次三重県遠征。この日のネタで記事にしているのは、最終盤のおちあい橋(中電めがね橋)のみ。

実はこの日のメインは、当時災害によって運行休止中であったJR名松線の状況確認だった。その様子は、復旧後ほどなく2016年4月にダイジェスト記事として紹介済みだが、今回は改めてピックアップして記事にしようと思う。

 

なので最初に明記しておくが、今回と次回の記事は、路線の長期運休中(決して列車が来ないことが確定している)という状況下での記録であり、決して運行中の線路敷きに侵入してのものではない。…まあ褒められた行為ではないのは同じことだが(笑)。

 

 

 

つうわけで、

現在地はコチラ

 

地図でわかる限りでトンネルや橋梁などをチェックしてきていて、ここもその一環としてやってきた。すでにしっかりと目指すトンネルが見えているが、

 

 

 

 

 

その前に、右手前にあったものを振り返ってみる。

これは…なんじゃろか?

 

 

 

 

 

明らかに線路敷き内にあるので、鉄道関連の遺構だと思うのだが、

石組で四角く囲われた…ピット的なもの?

 

年代モノの鉄管なんかも見えるのだが、水を溜めていたとか?正解のわかる方、あるいはこうじゃないか、というご意見、どしどしお寄せください(笑)。

 

 

 

 

 

さて、改めて、トンネルの伊勢竹原方坑口に正対。

レールが敷かれた現役の鉄道トンネル。

 

 

 

 

 

お邪魔しまして…

お名前は「竹原トンネル」。起点である松阪駅から32km342m65地点に位置し、延長は…読み取れない(43?45?49?)。起点より二つ目のトンネルであることを示す「2」のプレートが大きく掲げられている。

 

鉄道トンネルにこんなに接近すること、そうそうない。いろんな意味で背徳感が…(笑)。

 

 

 

 

 

では、失礼して…

反対側の坑口から陽が入り、天井の補強板?に反射してなんだか面白い写真になった。

 

 

 

 

 

 

抜けまして~、

竹原トンネル、伊勢鎌倉方坑口。

 

 

 

構成の都合上(笑)、【次回】に続く。

 

 

 

2010年5月22日、初めての房総探索。この日のネタで記事にしているのは、坪呂沢隧道関谷隧道芋原の三連隧道。かなり久々やな~この日のネタをやるのは。

 

今宵のネタ、怪しいタイトルだが、まあ純粋な小ネタなのでご安心を(笑)。

 

 

 

 

坪呂沢隧道を後にして約1時間。

県別マップルによると、あの右奥あたりに目指すブツがあるはず。

 

 

 

 

 

つうわけで、

到着した。現在地コチラ

 

ダートの細道の先に、なんだかノッポなコンクリートトンネル。素掘りを期待してきたが違うようで、「隧道」と呼びたい感じじゃないな。わかるかなこのニュアンス(笑)。

 

 

 

 

 

扁額によると、お名前は

大口谷トンネル。

 

無造作に(テキトーっぽく)刻まれた「1972」が嫌いじゃない(笑)。わたくしより年下だったか。

 

 

 

 

 

 

 

延長は50mもないようだ。

うーん、こういうちょっと変わった断面って、大型車を通すためのように思えるんだが、どうなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

このように、

サイズも十分!(白飛び御免)

 

 

 

 

 

 

 

大口谷トンネル、

南側坑口。

 

 

 

で、こっからはオプションなのだが、トンネルからしばし進んでいくと、いきなりチェーンゲートが現われて焦った。ちょちょちょ、これまで全然通行止めとか立入禁止とか書いてなかったぞ!?

 

 

 

 

 

ドキドキしてチェーンを確認すると…

よかったー、施錠してなかった。

 

焦ってたので写真なく、抜けてからの写真のみ。助かった。なにしろ転回するスペースもないから、延々1kmくらい鬼バックしないとイカンかと思ったよ。

 

出てきたのは、岬ダムの周回路。今さらながら看板をよく見ると、狩猟はしないからまあ許して、って感じ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

周回路側からのアングル。

転回スペース…ないことはないけど、このアコードワゴンじゃ100万回の切り返し(なつい…笑)を要求されるのは必至だ。

 

 

 

 

 

 

 

まあそれ以前に、

この車で走る道じゃ~ございませんな。

 

 

 

 

 

 

 

最後、周回路から抜けるところで

またしてもチェーンゲート。幸い今度も大丈夫、無事に抜けられた。

 

 

 

 

トンネルの誕生には岬ダムが関わってるのじゃないかと調べてみたが、岬ダムは着工1985年、竣功1989年と明らかに大口谷トンネルよりも新しいので、違うようだ。変な断面形状のトンネルってダム関連が多いので、てっきりそうかと思ったんだが。まあ欠円アーチが多いけどね、ダム関連では。

 

 

ならば、ダムより前から存在していた林道のトンネルってことになる。

 

今昔マップで確認すると、ダムができる前の道はダム湖(池)の真ん中あたりで分岐して南側の高谷の集落まで延びていたようだ。現在は地理院地図からも消えてしまって廃道状態であろうことが窺われるが、高谷へ至る直前あたり、なんか匂いを感じる。近けりゃ見に行くのになあ(笑)。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

今宵は、わたくし史上二番目に早く(2012年5月23日)収集した仁丹看板をご紹介。

 

 

この仁丹看板および古い住所看板収集について、かねてから記録のためにちゃんとマッピングしていきたいな~と思ってるのだが、全然手が回らない。そうこうしてるうちに、早や370件近くになってしまい、もう無~理~(笑)。もっと早く手をつけるべきやったな~。

 

 

 

…という、独白(笑)。