再度明記しておく。
今回と前回の記事は、路線の長期運休中(決して列車が来ないことが確定している)という状況下での記録であり、運行中の線路敷きに侵入してのものではない。
【前回】より続く。
竹原トンネルを抜けると、
いきなりのガーダー橋梁だった。
お名前は…
第二取久美橋梁。
「とりくみ」?変わった名前の橋梁もあったもんだ。第一はどこにあるんだろう。もしかして、トンネルをはさんで伊勢鎌倉方にあったごく短い橋梁だろうか?
設置位置は忘れたが、
鐡道省の銘板があった。
まあこれはこの日見てきた他の橋梁でも見られたので、レアってほどでもないのだが。
ここでの想い出といえば、
こんな写真を喜んで撮ってたら…
なぜか
携帯を橋台とガーダーの間のスペースに落としてしまった(汗)。
なんでそういうことになってしまったかの記憶は一切ないんだが。
一応説明すると、
こういうこと(笑)。
当然人間が滑り込める隙間なんてない。束の間焦ったが、拾ってきた木の枝でたぐり寄せて無事回収できた。こんなとこに携帯落としたやつ、おらん!(ノブふうに)
何をやっとんねん、とね(笑)。
さて、橋梁の先では、
こういう感じになっていた。
休止中だった名松線だが、この日(限られた範囲ではあるが)いろいろ見て回った中では、路盤に土砂が出ていたのはここ一か所だけだった。「こんなんならすぐに復旧できそうなのに…JR東海め、このままやめるつもりやな…」と感じたのを覚えている。
実際にはこの後さらに6年もかかって復旧したわけで、まあいろいろな紆余曲折があったんだろうが、ちょっとJR東海を見なおした。ありがとう(笑)。
運行再開した今となっては、
こんな場所にはもう行けない。改めて、貴重な探索となった。
以上。