穴と橋とあれやらこれやら -269ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

 

 

…あっ。

 

って言われても?ですわな(笑)。

が、ここまでわたくしを導いてきた送水パイプがにわかに斜面を登り始めたことに気付いた瞬間、先にあるモノにも気付いた。

 

 

 

 

 

見事にステルスなそのモノに接近してみれば…

それは確かにソフスプさんの記事で見た「竣工記念」の石碑。

 

 

 

 

 

 

 

その側面には、

「昭和九年」と刻まれている。

 

これは、あると知ってなければ見落としても不思議ではないステルスっぷり。しかも竣工記念って、なにが竣工したっていうのだ?…って思ってしまうだろう。

 

けども、もし同業者ならば、嗅ぎつける…かもしれない。

 

 

 

 

 

これは、瀬羅谷川から見上げた景。


中央ちょい左上に竣工碑があるんだが、そのステルスっぷりもさることながら…

 

わかるだろうか?目前から斜面の上に向かって延びている溝…的なものの痕跡が。写真ではわかりにくいと思うが、肉眼ではけっこうしっかり見えていた。これが、竣工碑に昭和九年竣工と刻まれたものに違いない。


 

 

 

 

 

​​​​ターゲットは、

この溝的なもの=水路遺構を遡った先にある。

 

つまり目指す物件は、水路隧道である。バラしちゃった(笑)。

 

 

 

 

 

登る途中で、

一旦離脱していた送水パイプが再度合流。

 

水路がこの状態ということは、維持管理が追い付かなくてある時期に放棄され、代替として送水パイプが設置されたってことだろう。つまり、隧道は現役ということだ。

 

ちなみに上の写真では、金属で被覆された先代とおぼしきパイプも写っている。

 

下にあったタンクそばの碑文には、昭和三十六年四月竣工とあった。この時に水路の維持管理を諦め、パイプによる導水にスイッチされたのではないか。現在のパイプは水路を初代とすると三代目なのかな?

 

 

 

 

 

 

登りきって徐々に勾配がゆるむと、水路も徐々に往年の姿を現し始める。

しかし…想像を絶する細さ。こんな細くて浅い水路で先ほどの急勾配を流れ下って…大丈夫だったのか?いや、そもそもこの程度の水を引くだけで事足りたたのか?

 

まぁ、崩れてしまってわからないが、もっと深かったのかも。きっとそうだ(推測)。

 

 

 

 

 

 

 

切り通しを抜けると

ひときわ荒れた雰囲気になるが、水路は(そして送水パイプも)しっかりと導いてくれる。こっちだよ、と。

 

 

 

 

 

 

これをクリアしたところで、

捉えた。

 

これまた写真ではわからないだろうが、肉眼ではその黒い影をしっかりと認識できた。思わず、ゾクリと。

 

 

 

 

 

 

もうちょい接近…。

どうだろうか。見えた…かな?

 

このチラリズムには、久々にグッとキタ。これは…素晴らしい…。

 

 

 

 

 

 

気が急いて薮に踏み込めば、

なるほど、こういうお出迎えね。そういうことね(謎)。

 

 

 

 

 

 

 

竣工記念碑から13分、最奥のお宅からだと46分。

記事で見て衝撃を受けた、まさにあの姿が。これは感動だ…。

 

 

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

2021年1月3日、今年一発目の探索。

 

この日のターゲットは、明確に決まっていた。それは先日、ヤフブロからのお付き合いであるソフスプさんのブログ(ネタバレ防止のため連載最後にリンク貼ります)で知った隧道で、これまでにその存在は全く見たことも聞いたこともなかったもの。しかも我がホームからもほど近い、勝手知ったる(つもりでいた)京都府宇治田原町にあるというんだからたまげた。

 

その訪問の一部始終を、今宵から連載にて報告するわけだが、ここでふたつお断り。

まず、この物件についての詳細は不明であり、解説的なことは書けない。ただし、これも連載最後にもうひとつ重要なリンクを貼るので、ぜひそちらをご覧いただきたい。

そしてもうひとつ、今回のネタは思うところあり地図の掲載は控えておくので悪しからず(けど、リンクを含めて連載の最後までしっかりと見ていただければ、それを知るのは難しくはないと思う)

 

 

では、始める。

 

 

 

宇治田原町某所の、この道。

舗装が終了してダートとなるが、その先へと進んでいく。

 

この最奥のお宅にご老人がおられた(上の写真に小さく写ってる)ので挨拶した。「山へ入られるの?」と聞かれたので物件のことを話すと、ご存じだった。「道が完全じゃないから、お気をつけてね」と優しく送り出していただきながら、「お元気でうらやましいな~」としみじみ言われてしまった(苦笑)。

 

 

 

 

ダートになってほどなく、

こんな橋が登場。

 

 

 

 

 

お名前は

瀬羅谷橋。

 

この橋で、瀨羅谷川の左岸へと渡り、まずはこの川沿いを遡上していく。

 

 

 

 

 

橋上は泥が堆積していて、

寒い朝だったので、この時間(10時44分)になっても凍結したまま。

 

 

 

 

 

橋の先で、

道は一瞬(笑)いい感じになる。

 

 

 

 

 

上の写真右手には、かつて人家があったのでは?と思われる平場があり、

誰に顧みられることもなく、柿が生ったままになっているのが侘しい。

 

 

 

 

そこからすぐに見えてくるのが、

このタンク。

 

 

 

 

タンクのそばには石碑が建てられている。その碑文には、

昭和三十六年四月に竣工していることと、発起人として7名の氏名が刻まれていた。

 

 

 

 

 

このタンクから奥は、

オフ車であっても四輪はもう無理。

 

 

 

 

 

そしてここからは、

先ほどのタンクへと続く、長い長~い送水パイプ。これが実は、物件への案内人となってくれる存在である。

 

 

 

 

 

先ほどのご老人の言葉通りに道は荒れはじめ、

ここなんかは木製桟橋でも架かっていたのかもしれないが、すっかり落ちてたり。

 

 

 

 

 

で、上の写真にも写ってたコイツは、なんだろね?

昔の遺物ならば灰皿かと思うとこだが、さほど古そうでもない。これもしかして…熊除けにガンガン叩くやつ…じゃないよな?つうかこの辺って熊、出るのかな?気のせいか、皮を剥がれた(ように見える)木もちょいちょい見かけたような…。ホントか?

 

 

 

 

 

 

 

 

そして…タンクから歩くこと17分。

 

山側の斜面がなだらかになってきたので、集中した。そろそろか…?

…あっ。

 

 

【2】に続く。

 

 

 

新年初探索に行って参りました。行先は2か所だけなんで、ダイジェストはなし。

 

 

 

わたくしには珍しく、

まずは、メインターゲットから。

 

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

 

元日に記事にした、元三大師ゆかりの「角大師の護符」。そもそも元月三日(一月三日)に入滅したことから「元三」大師と呼ばれているのであり、まさに本日がその日ではないかいな。

 

つうわけで今宵も、元三大師ゆかりの物件をご紹介。

 

 

 

まずはこれ。

はい、この素敵な四径間石桁橋が今宵のお題でございます。現在地コチラ

 

 

 

 

こんな華奢な橋ではあるけど、

この橋を渡る人はめっちゃ多い。まあ…今はこんなご時世なんでそれほどでもないけども。

 

ここは観光客がそぞろ歩く白川ぞい、かつ地下鉄東山駅から古川町商店街を抜けてくるとちょうど白川に出会うところに架かってるんで、思わず喜んで渡ってしまう橋なんだな(笑)。

 

 

 

 

 

石桁二本分なんで、

足元はこんな感じ。

 

けっこうスリリングではあるけど、チャリに乗って渡るジモティーも目撃してるんでわたくし(笑)。

 

 

 

 

 

 

で、渡りましての東側より。

こちらに解説板がありましてね。

 

 

 

 

 

 

めんどくさいけど、書き起こしてみますか。

一本橋     通称 行者橋

この橋は、比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、粟田口の尊勝院の元三大師に

報告し、京の町に入洛するとき最初に渡る橋であり、行者橋とも阿闍梨橋とも呼ばれる。

(以下略)

 

いとまごひばしでは齢九歳にして故郷を後にし、そしてここでは千日回峰完遂の報告を受ける大阿闍梨として登場。けっこう元三大師には親近感を感じてしまうわたくしなのだった(笑)。

 

 

 

 

それにしてもこの橋…、

いつ頃のものなんだろうか?

 

由来の通り当時からここに橋が架かっていたのだろうが、元三大師は10世紀の人。さすがにその頃のままの橋ではないだろうが、…まさか、ねえ。

 

何度かは架け替えられてるはずだが、江戸期ごろのものかな?

 

 

 

 

 

最後に、サイドアングル。

こういう橋が普通に残っている京都って、いい街だと思う。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2011年12月14日、初めての掛川探索。この日のネタで記事にしているのは百合切隧道大城隧道岩谷隧道。今宵ご紹介する「牛ネタ」(笑)は、百合切隧道に続いて訪ねた物件。

 

 

 

一旦車で突っ込んだが、バックで出てきた。

いやいや、こんなん期待してはいなかったんだが。場所はコチラ

 

県別マップルでは普通に描かれていた隧道表記、今回もあるあるな展開だったわけで。

 

 

 

 

 

徒歩にて「旧道」へと進んでいくと…

はいハイ廃。確定ですな。

 

ここは当時、それほどメジャーでもなかった気がするんだが(少なくともわたくしは予備知識なしで出会った)、その後いろんな人が採り上げてきた。何年か前にはあの大御所が記事にしたことで決定的に「売れた」。塩漬けにしてたわたくし、すっかり出遅れてしまって。この機会に出せて良かったヨカッタ(笑)。

 

 

 

 

そのお名前は…

読めません(爆)。

 

現地ではこの破損した文字を脳内変換してなんとなく答えを出していた。まあすでに記事タイトルにしてしまってるわけだが、もう少し後で美品をお目にかけるので、しばし。

 

それにしても、このコンクリブロック二重アーチ、なかなか珍しいんじゃないだろうか?

 

 

 

 

当日にはこんなとこまで登ってるのに、

完全に上には登らなかったのよね。今となっては後悔してるが。

 

というのも(先にバラしとくが)、この上には先代隧道がわずかに開口してるのだ。それを知ったのは後年のどなたの記事だったか。しかしながらこの日のわたくし、これに気づくチャンスがあったのだ、しかも二回も。

 

最初はまずこの時だった。ここまで中途半端に登りながら、どうして上を確かめなかった!このバカチンが!

 

 

 

 

では気を取り直して(って、現地ではなにもわかってないわけだが)、洞内へ。

これはなんだね?刈り払われた木が突っ込んであるのか? 

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

現役と廃を隔てるエッジから廃側に転びつつある、そんな感じを受けた。

 

 

 

 

 

洞内はやはり、

側壁を除いて全面的にコンクリブロック造。

 

 

 

 

 

しかも、

めっちゃ状態よくないかこれ?

 

あまり見かけない風合いに仕上がったコンクリブロックによる巻き立ては、非常に美麗だ。

 

 

 

 

 

東側の、鉄板の構図。

こっちも、なんかようわからん木?が突っ込まれてるな。

 

 

 

 

 

ここまで、扁額を除くとほぼ状態が良く見えたこの隧道だが

この東側にはポータルを一周するクラックが入ってしまっていた。これは良くない。

 

 

 

 

 

こちら抜けまして~の、

東側坑口。

 

 

 

 

 

西側と比べてこちらの扁額は美麗で、刻まれた文字もくっきりと判読できる。

つうわけで、今さらながら「牛渕隧道」であります。

 

まあ、美麗と言いながらも「隧」の真ん中で真っ二つにクラックが入っちゃってるんだけれども。2021年現在でどうなってるのか、心配ではある。

 

 

 

 

 

で、その左端にですな…

(ウッ、ボケてる)昭和六(?)年十二月竣功と刻まれているのを発見した。

 

そう、この時点でこれに気づいてたのがミソなのだよねえ…。

 

 

 

 

 

この擁壁前のお地蔵さまに手を合わせ、

そこから視線を上げると…

 

 

 

 

 

こういうのがあったんですな。

そう、これは間違いなく隧道竣功碑だ。

 

 

 

 

 

大きめの写真で貼ってみる。

わたくし、下からの目視の時点で、左端にある「大正元年」の文字に気づいてしまった。

 

あれ?って思った。扁額には昭和六(?)年って刻まれていたのに、って。そして碑文を読んでいくと、「明治四十三年十二月起工、四十四年十二月竣工」って記述まで発見しとるのですよ、現地でね。

 

 

そこまで気づいてて、なんで旧隧道の存在を疑わない?…ってなりますわな。

 

 

けど現地でのわたくし、明治隧道の改修された姿がこれなんだろうと思ってしまったんですな。残念なことに…。

 

 

 

時を戻そう。…とはならない。以降、再訪はできていない。

 

 

 

 

最後に、東側を引きで見てみると、

こんなセキララな感じなのだ。

 

先日ご紹介した久保原隧道なんかと同じく、現道には隧道を設けずガッツリとオープンカットでクリアしてるパターン。これなんか悲しくなるのはわたくしだけ?

 

 

 

もちろん、現道を使わず、隧道を抜けて車に戻った。すぐそこにいたはずの初代隧道はスルーして。残念。

 

 

ああ、今年は行きてぇな、静岡。

 

 

 

 

以上、本年の干支ネタでした。