一本橋(行者橋) (京都市東山区稲荷町南組~梅宮町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

元日に記事にした、元三大師ゆかりの「角大師の護符」。そもそも元月三日(一月三日)に入滅したことから「元三」大師と呼ばれているのであり、まさに本日がその日ではないかいな。

 

つうわけで今宵も、元三大師ゆかりの物件をご紹介。

 

 

 

まずはこれ。

はい、この素敵な四径間石桁橋が今宵のお題でございます。現在地コチラ

 

 

 

 

こんな華奢な橋ではあるけど、

この橋を渡る人はめっちゃ多い。まあ…今はこんなご時世なんでそれほどでもないけども。

 

ここは観光客がそぞろ歩く白川ぞい、かつ地下鉄東山駅から古川町商店街を抜けてくるとちょうど白川に出会うところに架かってるんで、思わず喜んで渡ってしまう橋なんだな(笑)。

 

 

 

 

 

石桁二本分なんで、

足元はこんな感じ。

 

けっこうスリリングではあるけど、チャリに乗って渡るジモティーも目撃してるんでわたくし(笑)。

 

 

 

 

 

 

で、渡りましての東側より。

こちらに解説板がありましてね。

 

 

 

 

 

 

めんどくさいけど、書き起こしてみますか。

一本橋     通称 行者橋

この橋は、比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、粟田口の尊勝院の元三大師に

報告し、京の町に入洛するとき最初に渡る橋であり、行者橋とも阿闍梨橋とも呼ばれる。

(以下略)

 

いとまごひばしでは齢九歳にして故郷を後にし、そしてここでは千日回峰完遂の報告を受ける大阿闍梨として登場。けっこう元三大師には親近感を感じてしまうわたくしなのだった(笑)。

 

 

 

 

それにしてもこの橋…、

いつ頃のものなんだろうか?

 

由来の通り当時からここに橋が架かっていたのだろうが、元三大師は10世紀の人。さすがにその頃のままの橋ではないだろうが、…まさか、ねえ。

 

何度かは架け替えられてるはずだが、江戸期ごろのものかな?

 

 

 

 

 

最後に、サイドアングル。

こういう橋が普通に残っている京都って、いい街だと思う。

 

 

 

 

以上。