2011年12月14日、初めての掛川探索。この日のネタで記事にしているのは百合切隧道、大城隧道、岩谷隧道。今宵ご紹介する「牛ネタ」(笑)は、百合切隧道に続いて訪ねた物件。
一旦車で突っ込んだが、バックで出てきた。
いやいや、こんなん期待してはいなかったんだが。場所はコチラ。
県別マップルでは普通に描かれていた隧道表記、今回もあるあるな展開だったわけで。
徒歩にて「旧道」へと進んでいくと…
はいハイ廃。確定ですな。
ここは当時、それほどメジャーでもなかった気がするんだが(少なくともわたくしは予備知識なしで出会った)、その後いろんな人が採り上げてきた。何年か前にはあの大御所が記事にしたことで決定的に「売れた」。塩漬けにしてたわたくし、すっかり出遅れてしまって。この機会に出せて良かったヨカッタ(笑)。
そのお名前は…
読めません(爆)。
現地ではこの破損した文字を脳内変換してなんとなく答えを出していた。まあすでに記事タイトルにしてしまってるわけだが、もう少し後で美品をお目にかけるので、しばし。
それにしても、このコンクリブロック二重アーチ、なかなか珍しいんじゃないだろうか?
当日にはこんなとこまで登ってるのに、
完全に上には登らなかったのよね。今となっては後悔してるが。
というのも(先にバラしとくが)、この上には先代隧道がわずかに開口してるのだ。それを知ったのは後年のどなたの記事だったか。しかしながらこの日のわたくし、これに気づくチャンスがあったのだ、しかも二回も。
最初はまずこの時だった。ここまで中途半端に登りながら、どうして上を確かめなかった!このバカチンが!
では気を取り直して(って、現地ではなにもわかってないわけだが)、洞内へ。
これはなんだね?刈り払われた木が突っ込んであるのか?
振り返りの、鉄板の構図。
現役と廃を隔てるエッジから廃側に転びつつある、そんな感じを受けた。
洞内はやはり、
側壁を除いて全面的にコンクリブロック造。
しかも、
めっちゃ状態よくないかこれ?
あまり見かけない風合いに仕上がったコンクリブロックによる巻き立ては、非常に美麗だ。
東側の、鉄板の構図。
こっちも、なんかようわからん木?が突っ込まれてるな。
ここまで、扁額を除くとほぼ状態が良く見えたこの隧道だが
この東側にはポータルを一周するクラックが入ってしまっていた。これは良くない。
こちら抜けまして~の、
東側坑口。
西側と比べてこちらの扁額は美麗で、刻まれた文字もくっきりと判読できる。
つうわけで、今さらながら「牛渕隧道」であります。
まあ、美麗と言いながらも「隧」の真ん中で真っ二つにクラックが入っちゃってるんだけれども。2021年現在でどうなってるのか、心配ではある。
で、その左端にですな…
(ウッ、ボケてる)昭和六(?)年十二月竣功と刻まれているのを発見した。
そう、この時点でこれに気づいてたのがミソなのだよねえ…。
この擁壁前のお地蔵さまに手を合わせ、
そこから視線を上げると…
こういうのがあったんですな。
そう、これは間違いなく隧道竣功碑だ。
大きめの写真で貼ってみる。
わたくし、下からの目視の時点で、左端にある「大正元年」の文字に気づいてしまった。
あれ?って思った。扁額には昭和六(?)年って刻まれていたのに、って。そして碑文を読んでいくと、「明治四十三年十二月起工、四十四年十二月竣工」って記述まで発見しとるのですよ、現地でね。
そこまで気づいてて、なんで旧隧道の存在を疑わない?…ってなりますわな。
けど現地でのわたくし、明治隧道の改修された姿がこれなんだろうと思ってしまったんですな。残念なことに…。
時を戻そう。…とはならない。以降、再訪はできていない。
最後に、東側を引きで見てみると、
こんなセキララな感じなのだ。
先日ご紹介した久保原隧道なんかと同じく、現道には隧道を設けずガッツリとオープンカットでクリアしてるパターン。これなんか悲しくなるのはわたくしだけ?
もちろん、現道を使わず、隧道を抜けて車に戻った。すぐそこにいたはずの初代隧道はスルーして。残念。
ああ、今年は行きてぇな、静岡。
以上、本年の干支ネタでした。