2021年1月3日、今年一発目の探索。
この日のターゲットは、明確に決まっていた。それは先日、ヤフブロからのお付き合いであるソフスプさんのブログ(ネタバレ防止のため連載最後にリンク貼ります)で知った隧道で、これまでにその存在は全く見たことも聞いたこともなかったもの。しかも我がホームからもほど近い、勝手知ったる(つもりでいた)京都府宇治田原町にあるというんだからたまげた。
その訪問の一部始終を、今宵から連載にて報告するわけだが、ここでふたつお断り。
まず、この物件についての詳細は不明であり、解説的なことは書けない。ただし、これも連載最後にもうひとつ重要なリンクを貼るので、ぜひそちらをご覧いただきたい。
そしてもうひとつ、今回のネタは思うところあり地図の掲載は控えておくので悪しからず(けど、リンクを含めて連載の最後までしっかりと見ていただければ、それを知るのは難しくはないと思う)。
では、始める。
宇治田原町某所の、この道。
舗装が終了してダートとなるが、その先へと進んでいく。
この最奥のお宅にご老人がおられた(上の写真に小さく写ってる)ので挨拶した。「山へ入られるの?」と聞かれたので物件のことを話すと、ご存じだった。「道が完全じゃないから、お気をつけてね」と優しく送り出していただきながら、「お元気でうらやましいな~」としみじみ言われてしまった(苦笑)。
ダートになってほどなく、
こんな橋が登場。
お名前は
瀬羅谷橋。
この橋で、瀨羅谷川の左岸へと渡り、まずはこの川沿いを遡上していく。
橋上は泥が堆積していて、
寒い朝だったので、この時間(10時44分)になっても凍結したまま。
橋の先で、
道は一瞬(笑)いい感じになる。
上の写真右手には、かつて人家があったのでは?と思われる平場があり、
誰に顧みられることもなく、柿が生ったままになっているのが侘しい。
そこからすぐに見えてくるのが、
このタンク。
タンクのそばには石碑が建てられている。その碑文には、
昭和三十六年四月に竣工していることと、発起人として7名の氏名が刻まれていた。
このタンクから奥は、
オフ車であっても四輪はもう無理。
そしてここからは、
先ほどのタンクへと続く、長い長~い送水パイプ。これが実は、物件への案内人となってくれる存在である。
先ほどのご老人の言葉通りに道は荒れはじめ、
ここなんかは木製桟橋でも架かっていたのかもしれないが、すっかり落ちてたり。
で、上の写真にも写ってたコイツは、なんだろね?
昔の遺物ならば灰皿かと思うとこだが、さほど古そうでもない。これもしかして…熊除けにガンガン叩くやつ…じゃないよな?つうかこの辺って熊、出るのかな?気のせいか、皮を剥がれた(ように見える)木もちょいちょい見かけたような…。ホントか?
そして…タンクから歩くこと17分。
山側の斜面がなだらかになってきたので、集中した。そろそろか…?
…あっ。
【2】に続く。