【2】より続く。
その存在をひた隠すような薮のどん詰まりに、目的の隧道はうずくまっていた。そう、「うずくまる」と表現したいほどに、それは小さかった。
正対。
ソフスプさんのブログで見たとおりの(当たり前だ)姿だったが、こんなに小さいとは。ちなみに、これは普通に立って撮ってる。
まずは観察だ。
一見してコンクリートポータルだとわかるが、アーチ環、帯石、笠石、そして扁額と、古めかしい隧道の構造様式を踏襲している。水路と同時期の竣工だとすれば、この隧道も昭和九年モノってことになるが、果たして。
このポータルにおいてもっとも目を引くものは、やはりこの扁額。達筆でありつつも平明な筆致で書かれた、
その名も里耀洞。
「りようどう」と読むのだろう。いい名前だ。落款はないけど、誰の揮毫だろうか。
胸壁のコンクリを至近で観察すると、
横向きの筋がたくさん入っている。これは…場所打ちコンクリートを施工した痕かな?状態は悪くないようだ。
胸壁と地山の隙間には、
石を詰めてある。
非常に小ぶりながらも、力を入れて大切に造られたポータル、そんな印象を持った。素晴らしい。
さて、こうなると後は当然…
洞内探索だ。
ポータルのコンクリートアーチはわずか1mほど、その先は三角屋根的な合掌桁に。ソフスプさんのところで見て以来、実はこれが非常に気になっていた。まさか石桁じゃないだろうな、って。実際に見た結果、石じゃなくてコンクリ桁だった。さすがに、ねえ。
ここまで導いてくれた送水パイプが、当然ながらと言うか、そのまま突っ込んでいる。これをさらに追いかけていくことになる。
喜び勇んで…と言いたいところだが、
一歩目で思い知らされた。これはちょっとヤバいなと。
コレはあまり進まないほうがよさそう…かな?理由は後ほど。
奥の様子を、ちょっとズームで。
右に左にうねりながら、まだまだ続いてる雰囲気…。あそこに落ちてるのはなんだ?
まあ、進めるところまで進んでみよう…。
合掌桁の終わりがどうなってるかと振り返ってみると、
天井部との間には、やはり石が詰められていた。
ちなみに、先ほどあれはなんだ?と思ったのは
ペットボトルだった。ちゃんちゃん。
さて…上の写真でもなんとなく伝わると思うのだが、
最初の一歩目から、堆積した泥がエグかったのよね、この隧道。
摺子の泥濘地獄以来、こういうのあんま気が進まない(笑)のだが、ここのは深さこそそれほどではないものの、粘度は申し分なし。一歩ずつ引っこ抜くのに苦労する感じで、しかもこの小さな洞内。入り口付近は常時中腰で、なかなかの苦行で、これそうそう進めないぞ、と。
しかし、まだ諦めたくはない。
もうちょっと進んでみる…が、実は気になることは他にもあった。
入洞してからの写真が白っぽいのにお気づきだろうか。そう、洞内にはあまり空気の流れが感じられず、高い湿気が靄となって滞留していたんである。
ここにはソフスプさんの記事を見ただけの状態で来ている。ソフスプさんは入洞されなかったため、すでに完全なる「未知の世界」に入っているわけで。隧道として現役でも、送水パイプによる導水に切り替わっているからには、隧道そのものは閉塞していても不思議じゃないわけだ。それは非常に、よろしくない。
さらに気になったのは、こういうとこにはつきもののコウモリさんの姿が全く見当たらなかったこと。これらを考え合わせると…
「万が一にも、一酸化炭素中毒で死にたくない」
モチロンっすよね~。
つうわけで、ここで撤退を決めた。
奥を照らしてみたが、まだまだ続いてる。
ズーーム。
どうなってんだろうなあ、この奥…。
気にはなるが、そもそも全長がどのくらいあるのかもわかってないんだから…。撤収の判断は間違ってなかったと思う。この写真でも洞内の澱んだ靄の感じがちょっとわかるかと。
泥濘地獄の中では、向きを変えるのもプチ苦労。
一歩一歩引っこ抜きながら…
最後にお約束の
鉄板の構図。
こうして見ると、そこはかとなく棚橋隧道のような「鍵穴感」があるなあ。大きさは全然違うけど。
いやはや…
ちょっと疲れちゃった(笑)。
ともあれ、
何事もなく生還。
【4】に続く。