「無意識の世界」、知れば知るほど深いですね~お願いラブラブ 

 

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無意識界を探究して11年☆

無意識シグナル開通師 二宮そらです 爆笑

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無意識シグナルを開通されているムイトモの皆様、こんにちは~!チュー飛び出すハート

(まだ開通されていない方は記事の下の方の囲み枠で開通方法を公開中です。)

 

 

ただ今、シリーズで、私自身のことをお話しています。にっこりラブラブ
 

 

 

私と同じように、無意識界探究の道を進まれている方は、

参考にしていただけるかもしれないです~。デレデレ音譜

 

 

 

  マイストーリー②:心理学を学び始めて、つまづく私…

 

さて、希望していた福祉の職場に異動となり、がぜん元気になった私ですが…。ウインク

 

市役所に勤めて9年目~13年目まで

 

市役所での新しい配属先。

私は事務職として採用されていたのですが、

偶然の巡り合わせで、元々は指導員さんのポストだった

精神障がい者支援の現場に携わる仕事に従事させてもらえました。

 

そして、つい熱くなってしまう言葉…に出会います。

 

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日本において、精神障がい者を対象とした最初の法律は、

1900年(明治33年)の「精神病者監護法」。

 

江戸時代から行なわれてきた、いわゆる「座敷牢(ざしきろう)」が、

「私宅監置(したくかんち)」として残されました。

 

座敷牢。

 

それがどれだけ悲惨か。

 

人によっては、90cm四方のスペースに一生閉じ込められる。

 

精神症状そのものよりも、長年閉じ込められたことで、

正座の形で膝が曲がったまま硬直したりするわけです。

 

 

例えば、です。

 

えっと、たった今からあなたは、

今立っている、もしくは座っているスペースから半畳の範囲内で

一生を生きてくださいね、

 

って言われたら、どうですか?

 

しかも、あなたに選択の余地なしで、です。

 

 

当時、東京帝国大学教授だった、呉秀三(くれ しゅうぞう)さん。

 

1910年(明治43年)から6年かけて私宅監置の実態調査を行い、

1918年(大正7年)に「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」を著し、

その悲惨な実態を世に問い、精神病院設立の必要性を訴えました。

 

そして、翌年1919年(大正8年)に「精神病院法」が制定されます。

 

この呉秀三さんの言葉に出会うと、私は、いつもグっとくるんです。

 

わが国十何万の精神病者は

 

この病を受けたるの不幸のほかに、

 

この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし

じぃ~ん。

 

普段、あまり考えないで生活している、人間の尊厳。

そして、日本という国。

 

どちらも、いかに美しく大切なものであるか。

 

それはあたり前にあるのではなく、

美しさを維持するという、人々の不断の努力が必要なのです。

 

精神病を発病しているかどうかを問わず、

自死される方が年間2万人から3万人と言われる日本の状況。

この時代に「この国に生まれたるの不幸」を重ねてはいないか…?

まだ、そんなことでいいのか…?と。

 

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そう。高校生の時に目に留まった、あの新聞記事。刑法39条の存在を知ったあの記事。

 

当時の私は「よし!法律を学ぼう」という方向に動いたのですが、

実は、私が知りたかったのは「精神疾患」の方だったのだ、とこの時に悟りました。

 

そういえば、大学の一般教養で学んだ「心理学」が実は一番面白かったし、

法学よりも成績がよかったなぁ、なんて思い出しました。

 

よし、心理学を学ぼう!

 

悩みがちな自分自身も救われるのではないか?そんな期待も抱きながら決意します。
 


そこからは、働きながら通信で精神保健福祉士の勉強をして資格を取得したり、

関西カウンセリングセンターの講座に4年通って心理学を一通り学んだり、

民間資格をいくつも取得していきました。

 

一流の先生方から学ぶ心の世界、たくさんある心理療法。

知識だけはどんどん増えていきましたし、仕事に活かせることも多くありました。


 

精神疾患をお持ちの方の世界を尊重しながら、

その方とご家族がより生きやすくなるために自分にできることは何だろうか?と。

 

直面するシビアな問題に向き合う日々が続きます。

 

新規のご相談を受け付けたり、

支援制度を紹介したり、

ヘルパーさんが入るための環境調整をしたり、

研修を企画したり、

家庭訪問や通院同行などなど。

 

統合失調症、うつ病、双極性障害、神経症、不安障害、依存症、パーソナリティ障害、

高次脳機能障害、発達障害、自閉症スペクトラム障害、認知症…
 

人間の多様性に、そして、自分ができることのあまりの少なさに圧倒されながら。。。

 


 

そして4年後、またまた人事異動です。

以前から希望していた、経済的に生活困窮されている方の支援の仕事へと異動になりました。

 

自転車に乗って、地域の家庭訪問をしていきます。
 

当時、初回の家庭訪問で4割くらいの方が涙されるのでそれが普通かと思っていたのですが、

同僚に言うと「え?何の話してるの?」と驚かれてしまいました。

ただ、その方を理解しようと努めていただけなのですが…。

 

上司には、夕方になる前に早く事務所に戻ってくるよう度々怒られていました。

(だって、目の前で泣いてる人の話を切り上げることなんてできない…と思っていましたっけ。)


毎日毎日、何かが起きる、という職場でしたが、やりがいも大きかったです。

 

支援させてもらった方が、20年来のひきこもりから脱する姿を見せていただいたりして。

この時は、過去の私自身のひきこもり経験も生かされているのかな、

人生で無駄なものは何一つないな、全部つながっている、と思いました。

 


 

ただ、この頃、市役所では福祉部門の人員不足が手に負えないほどひどくなり、

私自身も、そして周りの職員さんも相当なストレスにまみれていたのは間違いありません。

 

メンタルダウンする職員さんも続出で、

将棋倒しのように次々と人が倒れる事態になることもありました。

 

私自身は、ものすごい業務量に押しつぶされそうになりながらも、

自分のやりたいことをさせてもらっているという充実感がありました。
 

以前の職場でメンタルダウンしていたとは思えないほど元気で、

3人分くらいの仕事なら余裕でこなすぞ!とワーカホリックになっていました。

 

ただ、働きながらプライベートで4年間も心理学を学んできましたが、

どれだけ学んでも「人を癒す」という域に自分は到達できない、

自分は無力だ、と思うようになりました。

 

心理学を学んだだけでは、自分自身も、そして他の誰も救われていない感覚。

 

今まで学んだことは、無駄だったのか?

・・・ただの自己満足なのか?

 

目の前の人に何もできない。それが、つらい・・・。

 

休みの日には、いつも答えを求めて本屋さんをウロウロ。

生きるヒントとなりそうな本を手当たり次第に購入。

でも、また知識が増えるだけで、全然、「実践」にはつながらない。

 

あきらめかけていた、その時…。

 

駅前の本屋さんでふと手にした1冊の本が、私を動かします。

 

 

  (続く)

 

そら

 

 

 

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