(速報メモ)八丈島に待っていたものは ~琉球王の父 源為朝とキンマモン | かんながら

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旅の記録です

 

 

赤坂から向かう先~八丈島・青ヶ島へ

神が死んで人々が目覚めるとき 〜意志と責任を取り戻す

みやこを守るもの 〜神の戸のくすの町の湊川神社へあたりからの続き。

 

きっと速報メモで終わる気がするけど写真だけでも。

 

 

 

 

コナンに出てきた灯台はこれか?

ストーリーしか追ってないから聖地巡りはできない。

なぜこの灯台に注目したかっていうと、船の乗客がみな写真を撮っていたから。

 

 

この新しさからいって青ヶ島行の船。

帰りは乗客は4人だけだった。

 

ここが青ヶ島の三宝港(だと思う)。

とにかく船酔いと頭痛で大変だった。記録くらいはしないとと写真を撮った。

上陸しちゃダメってことだったけど、下船の列に入ってて港に着地。

 

 

八丈島の宿は、おもいがけず「もっとTokyo」なる旅行支援で、5000円引き。

ゲストハウス滞在のはずが個室で2000円ほど。

宿にレンタカーがあるってことでお願いしてチェックインと同時にドライブにゴー。

ようやく頭痛薬が効いたのか気持ち悪さも収まってきた。

この日はとても良い天気で、そのときには存在も名前も知らなかった八丈小島と八丈富士のツインピークスが拝めた。

 

登龍峠っていう。龍のようなヘアピンカーブが続く峠。

 

目指すは裏見ヶ滝。

 

うらみといえば、わたしには、

「うらみ葛の葉」(葛の葉は、楠の葉!? 〜三輪山と鹿と日田の女神)。

葛の葉は安倍晴明の母。大阪の信田の森にいた狐、ってことになっている。

わたし、狐にされたのよ。阪神淡路大震災のあと。

 

どっちかというと(そもそもかけらも狐的要素はない)たぬきだったはずなのに(謎)!!

 

ここの温泉がよさげだったから行きたかったけど、水着着用なんだよね。

なんで?風呂は裸で入るもんだと思っていたよ。

ドイツも浴場は裸だよ。混浴でも(少なくともわたしがいた30年前は)。

 

水着を買いにいったんだけど、サイズは大丈夫かっていうほしいと思えない水着が4000円以上して、悩んだすえやめた。

 

 

バイトアプリで仕事するようになって1000円の重みをひしひしとかんじる。

もちろん今までだって100円のパン買うのにコンビニ3周くらいする小心者だから、今までだってお金の重みは感じてたけど、「時間」っていうものをリアルに感じるようになったような気がする。

1000円の価値の時間。

 

あのほしくない水着一枚のために4時間半の自分の時間を引き換えるのは惜しいって思った。

 

別に水着が悪いんじゃなくて、わたしの好みでなかっただけ。

 

 

滝の遊歩道の途中になにやら不思議な石の道。

 

 

為朝神社!?

 

ここに待っていたよ。琉球が。

いちおうわたしはここには大東島開拓の祖の玉置半右衛門を探しに来たつもりだったんだけど。

 

わたしの暴走する妄想では、玉置山縁起に出てくる平資盛あらため玉置直虎がひらいたという熊野の天満宮 川合神社が、八丈島とつながっているのでは?って妄想しているわけだからね。

 

おかしいな。結局玉置半右衛門の話は一度も!!聞かなかった。資料館にもなかった。

出て行った人の話だから?

こっちでは宇喜田秀家公の話はあっても玉置半右衛門の話が聞こえてこないのが何とも不思議。

 

 

為朝神社に遭遇するのは2度目である。たしか前回は仙台(籠に入った龍・宮城へ〜琉球弧・島巫女ネットワーク)。

 

 

 

 

石宮なる祠。

 

 

その中に銅製らしき神像。

 

銅ってところが気になる。

たぶんこれ意味がある。

銅鏡とか、銅鐸とか、銅ってなんかあるよね。

十円玉も銅。図柄は平等院。

 

あとでfacebookに離島作家さんのコメントがきて、為朝の神像が八丈小島にあって、江戸時代に江戸まで(八丈小島から)わざわざ御開帳に出ていたって聞く。

そしてそのご神像が資料館にあるけど拝みましたか?

 

って。

 

後ほど資料館で聞いたことも含めてまとめると、徳川家康公が1603年に疱瘡封じのために源為朝公のご神像を八丈小島から御開帳に江戸に運ばせたってことみたい。

 

 

疱瘡封じですって?

それは天満宮のご利益だけど?

 

わたしの追っている天満宮といえば、玉置山縁起にあるという、平資盛あらため玉置直虎が杉の枝にうつして持ってきたっていう熊野の川合神社だから!!(ヨミガエリの旅 その4 〜 熊野・玉置 川合神社編 夢でみた、あの場所へ

ミト(310)が開いてトミ(蛇)がでる その3〜まとめ牡羊座新月 〜纏向は卯の宮 ヒミコとアマテル

 

 

 

 

 

 

 

ここに菅原道真が出てくる。なぜか舞台は東北の六角牛神社。

 

 

たしか、疱瘡封じのキーワードは「かさ」((私信)わたしのマブイ(魂)を探して! 〜わたしの姉妹のひめみこたちへ)。

かさぶたに効くみたいなことを書いてあるのをみたよ(牛頭天王と、馬頭観音 〜夏至直前・祇園祭に出るものは 鶴と亀?)。

疱瘡神社ってのが天満宮にあったりするのよね。

 

 

 

そういえば、会津の赤べこになぜかある疱瘡の印も。

 

 

この間も引用したけど、伊勢平氏おじさんがにこやかに夢にでてきたやつじゃんね。これも。

 

 

傘といえば、アフリ(雨降)。

 

 

 

きたよ、傘が開いたときあらわれるっていうキンマモン(君真物)。

首里城の。琉球ノロの聞得大君に憑依したっていうキンマモン。

 

 

沖縄本島北部のアシムイ御嶽はキンマムンと関係があると思うよ。

アシムイにあるアフリ川は琉球王府に若水を送るお水取りの場所なんだから。

 

 

裏見ヶ滝は美しかった。

マウントシャスタの滝のようだった。

 

 

 

ハート型の岩が落ちてきたって。

ご利益あるかな。

 

 

裏見ヶ滝温泉に振られたので、洞輪沢温泉(無料)。

地元の人たちが使うみたい。

結局わたしはこういうところが好き。

観光客なのに無料ですみません。

 

 

この島のユリは大神島や伊江島や久高島と同じユリ。

わたしの加計呂麻島のユリはウケユリで、カサブランカの原種っていわれる方。

 

 

為朝が亡くなったっていう八丈小島。

 

 

結局食事する暇がなく、ご飯を食べそびれていた。

通りかかったスーパーで割引になった刺身は買ったけど、さすがにこれでは旅の楽しみがなさすぎる。

通りがかりに賑わっているイタリア料理屋をみつけたが、ここにきてイタリアン、、、と思って一瞬ためらうも、もし集落にもどっても食事を断られたらスーパーも開いていない時間。

なんか食べておこうと入ってみる。

 

ここのピザはあたりだった。八丈ビューホテルの近くみたい。

 

結局宿のある方の集落に戻ったら目当ての店は満席で断られる以前に臨時休業で、食事難民になるところだった。

 

夜の8時前、生まれてはじめて飲酒検問。

交差点通るたびに3回。

そのあとわたしは居酒屋に行ってご飯を買って戻るんだけど、そのときにはもういなかった。

島の飲酒検問って早いのね。

 

 

部屋でテレビをつけたら広島サミットの話題。

岸田総理って広島選挙区だったんだね。

 

核兵器廃絶に向けての思いを語っていたけど、

ウクライナだけ訪問していたから、逆の行動としか思えなかったからびっくりした。

対立を深めたら収拾させるのは力の行使しかなくなる。

 

あと、核兵器禁止条約は核保有国は結んでないってほんと?

よく考えてみれば、使うつもりで持ってるんだろうから、そんな条約結ぶわけにはいかないかもね。


 

 

翌朝。いつも通り4時半に目覚めたらすでに明るかった。

今日はお昼には帰りの飛行機に乗るために戻ってこなければならないし、コメントがきた為朝のご神像を拝んでおかねばならない。

 

島を一周しただけで裏見ヶ滝以外何も見ていないが、そこで思いがけず為朝神社に遭遇して、もう「用は済んだ」って感じもする。

 

でも八丈富士に行っておくか。

いい天気だし。ということで登山口にゴー。

 

 

 

 

階段で登る富士。

 

 

途中鳥居。

多分頂上は浅間神社らしいから遥拝所か。

 

 

ご来光を見に来たらしい車とすれ違ったけど、駐車場には一台の車もなく、またもや貸し切り登山。

 

 

この様子、高千穂峯や奄美の大和村のあの岬に似てるんですけど。

高千穂峯はしろくまさんと結婚して最初に行った場所(新婚旅行)。

大和村のあの場所は、最後に行った場所(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その5 空と海が出会うところは)。

正確には最後の旅は籠神社の眞名井神社の鎮座1300年祭だけど(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その1・旅の準備編))。

 

 

 

 

なんなの、これは。

 

でこのあたりから突然の突風。

それも高千穂峯と同じ。

 

 

洞窟。

 

たまにこうして晴れるんだけど、とにかくすごい霧と風でお鉢巡りがお鉢がみえない。

みえたら怖いかもね。

目的が、観光じゃなくて歩くことだからいいんだけどさ。

 

でもカメラが間に合わない秒の時間に見せてくれた姿はとてつもなく美しかった。

 

何度も吹き飛ばされそうになりながらのお鉢巡り。

 

 

途中、こんなのがあったりとか。

 

下界の様子。

 

 

これか?ネットニュースでみた聖地。

結局わたし映画ではこの場面記憶にない。

 

八丈小島が見えて確かに眺めはとてもよい。

 

実はこれと同じモチーフを北大東島の宿でみた。

 

1のところは翁のお面で、ヤシの実と並んでた。

ヤシの実は女性のお尻だなって思ったわけ。

 

今回は、その流れで1はもしかして男根かなって思ったわけ。

たんなる美志摩妄想。

 

北大東島の玉置半右衛門の子孫の方がやっている宿でそれをみたとき、

高砂人形!って思ったんだよね。

 

だからその流れで今回も男と女ってみえてしまう。

 

でもどうして、北大東でみたあれが、男はお面で人の顔なのに、女性がヤシの実のお尻で顔じゃないのかが謎。

 

 

ふと思いつく理由としては、女はお尻だけでいいってことなのかな。

大人の話題。

 

波は高かったがちょっと海につかってみる。

ここも大東島の沖縄海を思い出す景色。

 

 

宇喜田秀家と妻豪姫。

豪姫は、前田利家の娘なんだって。

 

ってことは、利家の妻のまつの娘ってことでしょ。

 

まつの実家は石川県最古の神社石浦神社と関係があるって聞いたことがあるよ?

ってことは、石浦神社とつながるってこと?

たしか石浦神社は昔「三輪神社」って呼ばれていたらしいよ?

 

 

みーさんつながりの女が豪姫?

 

で、夫婦の神様といえば、道祖神じゃん。

海に向かって外来神から守る役割。

クナト?

 

 

玉石垣。

資料館で聞いたんだけど、

ひとつの石を6つの石で囲む盤石な石造りって解説だったよ。

 

東北でよくみる、7つの丸のあの紋は、6つの石が囲んでるって考えればいい訳ね。

とすれば、六角牛神社?

 

夏越の大祓はくくりの旅へ 〜盛岡 三ツ石神社と 遠野(メモ的に)

 

本当に6つの石で囲むと盤石なのかはしらないけど、六芒星と関係があるってことになるのかな。

実際にこの石組が盤石なのかはわからないけど、六芒星が守ってるって盤石だと思うよ。

三角が反転して重なっているわけだしね。

 

 

ここにもキリシタンのにおい。

否定してるけど、豪姫が利家の娘なんだったらキリシタンと関係あっても不思議じゃない。

だって、加賀藩の前田利家があの財を成したのは、宣教師から女性と引き換えに火薬の作り方を聞いたからって耳にしたことがある。

 

なんとここには「ウバイ姫」がいた。

事代主の娘だってさ。八十八重姫。

またここにもわたしの4分の1のルーツを感じる名前。

 

 

 

 

 

八丈島・青ヶ島総鎮守。

もともとは三島明神を祀っていた。

そして、ご神木はソテツ。

鉄が蘇る。

 

蘇鉄がきたら、ウバイの大神ってもはやウバイドとつながってしか聞こえないんですけど。

 

 

 

 

護神山神社。

マムシがいたから気を付けたほうがいいよ、っていわれたんだけど、

海ではここにはハブはいないってきいたんだよ?

マムシとハブは違うから?

わたしにとって毒蛇(蛇全般)、一緒なんですけど。

 

 

 

 
郷土資料館。
 
八丈島のはじまりは、たなば という女性が男の子を産んだってことからだということと、
本土にあったという、まいまいず井戸ってものがある、ってことと。
 
それはもしかして、宮古島の大和井?
大和井の写真をFacebookにのせたとき、「本土にもありますよ」ってきて「カタツムリの井戸」って教わった気がする。

 

 

これがお江戸まで徳川家康公に呼ばれて出向いていったという源為朝のご神像。

 

2メートルもあった巨体ってわりにはなんかお公家さんっぽいきれいな感じがするのは気のせい?

宇喜田秀家の方が近くない?雰囲気が。

 

で、海に向かって並んでるあの姿が、海なし県の長野安曇野にある道祖神と、お公家さんのいでたちから、「ものぐさ太郎」がつながってしまって妄想が暴走する。

 

 

 

為朝公のご神像。

こっちはたしかに鎮西為朝って感じがする。

 

やっぱり銅板のご神像の方はどうみてもお公家さんよねぇ。

でふと思い出すのは、御所の北の守りにある鎮宅さんは、天皇陛下がかぶる烏帽子に靴を履いてたなって。

 

 

すずは、八丈小島の為朝神社にあったらしい。

すずだよ、すず。

 

 

宇喜田秀家。お坊さんぽい。

 

 

 

ここにも戦争のあと。

 

帰りは会議に間に合うように飛行機。

会議のお弁当はうな重。

 

 

若い友人からのギフトはLINEギフトのハンドクリーム。

 

image

榊の花が咲いていた。

赤十字大会。雅子皇后が明治神宮にお出まし。

 

 

 

 

そして伊勢平氏おじさんの一瞥体験のときに八ヶ岳のあの谷に降り立った鷺。

2羽いるみたいだけど、わたしが2羽みたのは1度だけ。

 

 

アプリのバイトで大手町。

たまたま通りかかったビルに神輿が展示してあって、週末は神田祭だったことを思い出す。

伊勢平氏おじさんはずっと「将門」って言い続けていたもんな。

 

鷺もいたし、伊勢平氏おじさんか。

どおりで昨日島の小ニーニーと電話したらひどい拒絶をうけたけどね。

 

ま、川合神社は伊勢平氏おじさんとなにわの審神者と白山のサルタヒコとわたしの不思議なコラボレーションでそれぞれの神事をした場所だからね。

わたしは神事を意図していなかったけど。

 

 

 

仕事は急に決めたし、考えてなかったけど、大手町は将門塚があるところだった。

将門はこのところずっとついてきてる感じがする。

それこそ、伊勢平氏おじさんが突然話しかけてきたころくらいから。

 

まつりだったからか普段みないのぼりがたっていた。

赤か。

 

源氏は白だったね。

為朝は源氏だから白だ。

 

 

でも、このところ、沖縄にきたのは実は平家だったってユタのみなさんが言っているよ。

そろそろ紅白交代ってことかな。

 

そもそも為朝伝説も、江戸時代に出た話っていうのをみたことがあるしね。

 

皇居を見守る和気清麻呂。

宇佐神宮にいって神託を下したっていう。

 

宇佐の上様(かみさま)の意見を聞きに行ったってことなんじゃないのかな。

そういえば、宇佐神宮も、参道が昔と今とは違う。

たしか、宇佐神宮の元宮は、おもとやま。

 

あの山もしろくまさんとよく行った場所で、いつもキラキラとしてちょうちょがいっぱい飛んでくる場所だった。

 

 

 

皇居を見下ろしながらのランチ。

いいのか、こういうのって。

 

 

あしたば。久しぶりに野菜食べよう。