赤坂から向かう先~八丈島・青ヶ島へ | かんながら

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旅の記録です

 

赤坂はいろんな思い出がある。

 

最近赤坂に行くことが多い。

だから必然的にわたしは過去のことを振り返ることが多い。

 

 

まずは、スペイン語学校の代わりに行った写真塾のスタジオがあった。

そこで、2番目の夫になる人に出会う。

 

もう鬼籍に入ったもうひとりの維盛の子孫の大先生も拠点は赤坂だった。

伊勢平氏おじさんとも最初の頃ここの蕎麦屋に行ったし、馴染みはないけど思い起こせば縁はある。

 

いやもっと前。

新卒で入社するはずの会社は赤坂に本社があった。

 

内定者拘束なるものがあった時代、会社は学生を他社に取られないよう接待していた。

テニス合宿とか、カラオケ大会とかをシティホテルでやっていたのである。

今ならアルハラでアウトであるが、山手線ゲームなるものでつぶされることもあった。

 

羽振りのいい業界だったとはいえ、外資系で合理的なその会社でそうだったのだから、いわゆる日本企業がどんな感じだったかは推して知るべしである。

他社のようすは聞こえてきた。

あほらしいが、その豪華さで就職先を選ぶ人もいたのである。

 

 

で、内定解禁日を過ぎてからのホテルがこの辺のビジネスホテルでその落差に驚いたことがある。

赤坂のクラブとやらに連れて行ってもらったこともある。そんな古い記憶の断片が落ちている街でもある。

 

 

 

しろたえのチーズケーキは友だちのてみやげでもらったことがある。

たぶん20年以上前。懐かしさから行列にならんでみる。

 

 

とにかく自分自身が神様とかスピリチュアルに関係のなかった頃を思い出したい。

そんな昔の自分を知っている人と食事をしたりとか。

「八丈島に行って、とてもよかった」って話。

具体的な「なにか」があったわけではなさそう。

 

 

このところ目一杯の予定の中にいる。

躁状態でないと起きていることもできないわけだから、今しかない。

デートは断られたけど、ひとりで見に行ってみようかな、コナン。

 

バスに乗り遅れて上映時間過ぎて会場に入ったらいきなりドイツ語で、

シアターを間違えた!って焦った。

ドイツ語吹き替え版の部屋に入ったって。

 

でもよく考えてみれば吹き替えはヨーロッパにしかないよね。

 

イギリス行の飛行機がとれなくて、ドイツに行ってみようってドイツ語学校に留学した。

片言どころか数も数えられないドイツ語力でドイツなんか行ったものだから、えらい苦労した(受け入れ側も間違いなくそうで、一軒目のステイ先は追い出された)。

 

トム・クルーズがドイツ語しゃべってて驚いたことを思い出した。

89年。西と東が緊張関係をいてそれを実際にみていたわたしは、帰国した秋にベルリンの壁崩壊のニュースを聞かされたとき、ニュースの方を嘘だと思った。

 

コナンはいつも通り面白かった。

だからといって過去最高って感じでもない。

でも話題にはなっているらしい。

 

そういえば、しろくまさんとの最後の年に「聖地」って言葉がアニメの舞台のことなんだって!って話題になったことがある。

あのころはなんで?って思ったけど、今ならなるほどねって思う。

 

聖地が、「神のメッセージ」の場所だとしたら。

 

だとしたらすごいね。

それをキャッチしていたひとたちは。

わたしはテレビも映画も基本的にみないからわからなかったけど、アニメや映画に込められたメッセージっていうのはなるほどなって思う。

 

「神」って言葉もいつのまにか神聖なるものではなく「とてつもなくすごい力のあるもの」ってことみたいだしね。

 

最近何とか社会復帰の窓口にと思ってたアプリのバイトもなく、会議を明後日の夕方に控えて約45時間のフリータイム。

しかも本業の相談もこない。

 

今なら竹芝桟橋の出航時間に間に合う。

ってことで、出発。

今回は帰る予定が決まっているので持っていくものも決まっている。

 

 

前回ここから船に乗ったのは、セラピスト仲間を連れてのドルフィンスイムツアー。

知り合ったばかりのしろくまさんをガイドに。

わたしにとって最初のコーディネーター仕事。

 

そのために泳ぎは苦手だけど、素潜り練習に辰巳のプールに通ったりそれなりに案内人としての努力もした。

足引っ張るわけにはいかないのでね。

 

あのときのメンバーはUFOを呼んでくるって学校に消えて、実際にあれがUFOなのかはわからないが、それらしきものをわたしたちは目撃した。

そしてそのとき、わたしに島の教育をした与那原のヒロさんはあの世に旅立った。

 

年末に喪中のはがきが届いたとき、まさにその日が命日なのを知って、あのUFOにのってヒロさんは旅立ったんだってわたしは確信した。

 

今回はひとりで乗る。

 

そういえばそれ以前は何度か乗っている。

小笠原にも行ったし、式根島にも行った。

わりと気軽にふらっと行く先に島があった。

屋久島にも沖縄にもしょっちゅういっていたけど、そういえばしろくまさんといた時間にはあんまりいかなかった。

 

彼はもともと海の旅人だったから彼のホームだったはずなのに。

 

 

前の船は白かったけど、今回は黄色い。

 

橘丸というらしい。みかん、か。

 

なぜか善政ってキーワードが浮かぶみかん。

田道間守だからかな。

 

そこにみえるヒボコ。アカルヒメが「実家に帰らせていただきます」って置いてきたのにおいかけてきたわたしにとってはダメンズの双璧(もうひとりはもちろんニニギである)の一柱。

 

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中にあった橘丸物語って漫画がなかなか面白くて、先代は軍用船に使ってたこともあるらしい、橘丸。

やっぱりしろくまさんが連れてきたね。

どこにいっても戦時中の話がついてくる。

けっこう戦時中の日本はいろいろあったみたい。

 

橘丸事件 - Wikipedia

橘丸事件(たちばなまるじけん)は、1945年(昭和20年)に日本陸軍が国際法に違反して病院船橘丸」(東海汽船、1,772トン)で部隊武器を輸送した事件である。日本陸軍創設史上最も多い約1,500名の捕虜を出すこととなった。

ここでは本編に先立って事件に至るまでの背景などを「前史」として解説する。「橘丸」の船歴については当該項を参照とのこと。

 

やっぱりきれいな東京湾。

最後に操船練習してからももう1年以上経ってるかもしれないな。

船に乗りたい。

 

 

とにかく船は揺れた。

奄美を旅したときは大荒れだったけど船酔いすることはなかったのになんなんだろう。

この気持ち悪さ。

しかも頭痛いし、もう目を閉じてるしかない状態で、ひたすら横になっていた。

 

八丈島の写真を撮りたかったが起きたらもう八丈島に接近してて撮れず。

 

 

 

もともと青ヶ島に船が出るなら行ってみようと思っていた。

明日明後日は便がないから、日帰りで。

で、タイムスケジュールを誤解してて、しかも宿の予約がないと降りることはできないってことで、行って帰るだけを交渉。

この状態で八丈島についてもなにもできないから船で眠ることを選択。

 

結局ずっと頭痛にさいなまれて寝ていたのは地震の影響?

 

 

 

どこの島かわかんない。八丈島?

 

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こちらはまちがいなく八丈島。八丈富士も大神島=三輪山と同じ形。

 

 

で、初めての八丈島へ。