伊勢平氏おじさんと夜の道でばったり会った。
身構えることもなく、美志摩かなになる前の素の自分で、すっと近づいて手をとった。
「海へいこう」
おじさんは言った。
「え?どこの?」
そこからは記憶がない。
夢だったから。
この感じ、あのデパ地下の夢(こたえ)と一緒だ。
あのころ、将門と桔梗(五芒星)と、会津と千葉に言及してる。
会津といえば桑名(クナーファで那覇らしい)もくる。
わたしのブログ不思議なことに、記事によってFacebookにシェアされるてるんだけど、非公開シェアで誰が保管しているのかはわからないしくみ。
今回取りあげる関連記事はおもしろいほどシェアされてない。
ってことは、このことに関心のない人が多いってことかな。
今八丈島が揺れている、ようだ。
行こうと思っていたけどなかなか動機に乏しい。
たぶん伊勢平氏おじさんとつきあっていたとしたら、神戸の次は八丈島に行ってたと思う。
お膳立てはいろいろあったからね。
で、伊勢平氏おじさんが「海に行こう」って言ってきたから「どこの海かな」って思ったときに、
八丈島!って浮かんで、
そういえば、このあいだ若い男友達とデートに行けるチャンスがあったから「コナンを観よう」って提案したけど断られた(代わりに靖国神社と将門の首が祀られてたって築土神社にいくことに)ことを思い出して、そういえば今回のコナンは既に史上最高のヒットで八丈島に聖地巡りに観光客が押し寄せてるってニュースを目にして、
「八丈島!!」って思ったわけ。
八丈島といえば、玉置半右衛門である。
玉置半右衛門は大東島の開拓をおこなった大東島の始祖みたいな人で、
羽毛布団やリン鉱石で財を成した。
アホウドリを乱獲して絶滅させそうになったとか、行き過ぎって批判もあるけど、大東島をみればわかる。
あのイスラエルそっくりの機能的な大規模農地。
あんなところを人の手でつくったんだと思うと心底驚く。
連れてこられて実際に労働した人たちの労苦を考えると素直に喜べないところもあるけど、
こういう人がいて、日本の国力というものが備わっているとも思う。
それにあの島が有人であるからこそ広い日本の国土。彼らは現代の防人だとわたしは思う。
大東島の旅行記(とその頃の記録)。
諏訪之瀬島が噴火して、その軽石の影響があったころで、
軽石は鹿のフンだっていっている。
鹿の糞といえば、奈良の春日野。
奈良も沈黙を守ってきたけど、綻び始めたからあれこれあるかもしれないね。
そういえば、奈良の春日にあるのは秋篠の森。
八丈島は南海トラフとも関係しているとか?
玉置といえば、やっぱり熊野の玉置山。
玉置山縁起では、これまた夢でみた熊野の川合神社のある熊野。
平資盛あらため玉置直虎がひらいたとされる。
川合神社について書いた記事を探していてヒットしたこれに、見事すぎるサインがある。
この頃琉球王のひきで旅をしているけど、その中に英祖王もでてくる。
英祖(えいそ、1229年(紹定2年)? - 1299年8月31日(大徳3年8月5日)?)は、『中山世鑑』や『中山世譜』などの琉球王国の歴史書に登場する王である[1]。神号は英祖日子(ゑぞのてだこ)[2]。
えぞ?
蝦夷の太陽の子。
十島で地震で諏訪之瀬島が噴火してる。
ちょうど、十島も揺れていたよ。
十島が揺れたら、鹿がまずいってことだと思うよ。
鹿は海人族らしいから、海運王の玉置半右衛門のイメージぴったりでは?
しかもここにでてる、「あべ」の印も。
長野県知事はあべさんだったみたいで、安倍元総理の国葬に出席していない。
沖縄県は弔旗をあげなかったとなにわの審神者(さにわ)が言ってきたと書いている。
長野は安曇野を抱えている土地で海人族の土地。そして諏訪もある。
諏訪之瀬島の鹿の糞と、八丈島と、長野の諏訪が気になる今日この頃。
(関連記事)
降誕節は琉球へ その4 北大東島 〜諏訪之瀬島の軽石は奈良の春日の鹿の糞!?
降誕節は琉球へ その6 ガリラヤ湖のイエスとマグダラのマリア 〜北大東から南大東へ