(追記あり)神が死んで人々が目覚めるとき 〜意志と責任を取り戻す | かんながら

かんながら

旅の記録です

きたよ、早朝の緊急地震速報。

なんかこのところ夜中の二時ごろに目が覚めることが多くて、そのままブログ書きながら朝を待っていたりするから起きていた。

 

でも大して揺れなかった。

昨日の震度2方が揺れた。

 

 

昨日の揺れきた時、そろそろかなって思ったけどね。

この世の建て替えなおし。

わたしはもう覚悟はできている。

 

ずいぶん前に廃墟になったときになにをするか、っていうのは教えてもらっているし(するかどうかは別として)、

○○しとけばよかったってこともない。

いつも「明日死んでも悔いなし」の人生だからね。

 

image

 

でもさ、ノストラダムスの大預言を知っている私の世代はちゃんとはっきり言うべきだと思う。

 

たとえ、明日世界が終わろうとも、今日りんごの木を植える ことの大切さ。

 

いや、最近もあったね。

マヤ暦最後の日。

 

某流行り病やその予防薬を使って人口削減だとか、

この連休中も私のところには聞こえてきたよ。地震かなんかが起きて8000万人亡くなるとか。

 

 

そして世界は滅亡する。

って話。

 

仮に明日世界が滅亡するとしても、わたしたちは「今日」生きることに全力した方がいいと思う。

 

 

核戦争が起きるからシェルターに入って自分だけ生き延びるとか、もわたしは嫌。

そんなふうに他人を押し退けて自分だけ生きようと思う人たちとこの世に取り残されたらわたし、鞭打たれて彼らのために働かされるに違いないもの。役にたたないけどね、わたしは。

 

流行病の予防注射の件もそうだけど、わたし、自分だけ助かろうっていう伊勢平氏おじさんみたいな人たちだけで構成される社会で長生きするくらいだったら、素直にあの世に召されたい。

でも残念ながらそうならないよ。

わたし、自分がロクでもない伊勢平氏おじさんと同じ血持ってるからわかるもの。

 

 

お上の言うことに素直に従う方を長生きさせて支配する方きっと便利。

人数を減らさないといけないなら、言うこと聞かない方から選ぶと思う。

 

image

 

神の描く世界から、人が創る世界へ ~赤星は輝くか 

ウエサクの満月 投影の反対に挑む 〜諸行無常の世の中をしあわせに生きるにはからのつづき。

 

マリアさまの月、5月。

しょっぱなに起きたことは、伊勢平氏おじさんとの遭遇。

しかもおじさんの方から話しかけてきた。

 

「元気?」って。

 

あなたの起こしたでっち上げストーカー事件のおかげでわたし、えらい目に遭ったんですけど?

 

 

 

まあ、あの事件のおかげで沖縄に行き、いくつかの「わらしべ」を掴んで人生を転じることができた。

だから、おじさんには腹がたつを通り越してあきれると同時に、心からの感謝もしている。

 

彼が「わかってて(意図して)」したことなら、わたしにふさわしいすごい人だと思うし、いまだにわたし、そこまで愚かな人といくらなんでも縁しない、ってまだ心のどこかで思っている。

 

 

 

わたしは、少なくとも2009年からは黄泉の国の住人だった。

たぶん、阪神淡路大震災のあと自分が壊れてからは違ったと思うけど、2009年からは明らかにそうだと思う。

 

しろくまさんという現実界の門番がいてくれて、かろうじて現実界との接点をもってなんとか生きてこれた。

あと、あの世とこの世を天然に行き来している私でもできる、みえない世界を扱う仕事と。

 

しろくまさんとの10年はとても楽しかったけど、今思えば不思議な時間だった。

わたしは本名の人生を捨てて、「御用」のために生きた。

本当に「自分」ってなかった。

自分自身の贖罪のためにすべてを使命のために生きていた。

だから腹も立たないし疲れも知らなかった。

 

 

 

 

現実的な仕事も、家族もすてて。

それまでやっていた会社員の仕事は続けられなくなった。

家族のために会社は休職したが、結局絶妙なタイミングで「沖縄」に呼ばれて、「あんたもできる」と占い師になった。

 

占いの仕事自体は楽しかったしやりがいもあった。

 

こんなに楽に、喜びの中で仕事ができて、収入もある。

しかもわたし、なんの計らいかデビュー直後から売れっ子占い師になっちゃって毎週ランキング入りして会社員時代も特殊な仕事で薬剤師免許もあったから普通のOLよりずっと高い給料をもらっていたけど、トイレに立つ時間もないくらい電話が鳴りまくってすごい売上だった。

 

同業者には家やマンションを買う人もいたからね。

 

わたしはそういうの興味なくて、すべてお客様との時間とブログのネタのための聖地巡りに使った。

だから貯金はまったくない。いつもすべてを経験に変えている。

 

 

江戸っ子は宵越しの金はもたねぇ!

 

 

っていうけど、わたしの祖父は、戦後の新円切り替えで財産がゼロになったらしくて、

「財産は奪われないものに変えなさい」が家訓だったから。

 

わたしは今お江戸(穢土)に住んでるけど、江戸っ子じゃないんだよね。

どっちかというと「入鉄砲に出女」の人質っぽい気がしてる。

 

 

今ふと思ったけど、明治陛下もそうだったんじゃないかな。

だから明治陛下は墓所は伏見にって、言って伏見に御陵はつくってあるでしょ。

 

あるとき、不思議なことがあって(明治の森に誘われて 〜 ここに至る道)、図書館にある明治天皇に関するコーナーの本は、明治天皇記含めて全部読んだけど、その中でもみたよ。

 

本当は京都に帰りたいって。

でも江戸にいなきゃいけなかったから、いた。

 

だから伏見に御陵がある。

 

 

 

 

明治天皇は誤解されているってかんじる。

 

 

というか、なんでも神様とか国家とか、国の一大事全部、自分以外のせいにしてるような気がする。

 

戦争を起こしたのは国?

 

わたしは違うと思うよ。

 

 

ハンセン病の人たちを隔離して人権を奪い差別した過去がわたしたちにはある。

そして国は敗訴した。

 

 

国が裁判に負けたっていうけど、国って誰よ?

 

 

国という言葉で隠された、わたしたちの無関心や差別の意識は、

国が裁判に敗れても、当事者としての反省がないまま、そこにある。

 

 
会社も国も。
そこには確かに人の意志が介在するはずなのに、法人や国に責任が発生しても、そこにいるはずの個人は責任が問われないという不思議。
 
でもそれってどうなんだろ。
そろそろわたしたち、主権を取り戻した方がよくない?
 

 

わたしは郵政民営化は国民のためにはしない方がよかった、って思ってる。

けどね、ここ最近になって「郵政民営化してよかった」なる意見も耳に入ってきた。

 

 

その話は、

 

 

「郵政民営化してから、歩道を郵便局のバイクがエンジンをかけて走らなくなった」

 

 

どういうことか聞いたら、その人がいうには

民営化前は、警察が見逃してたことがあったらしい。

 

 

「郵便局は国の機関」って特別扱いだったんだってさ。

それが民営化してからは、バイク便とか宅配業者を取り締まるのに、郵便局だけ取り締まらないわけにいかないから、取り締まるようになって、歩道にバイクが走らなくなったそうである。

 

 

 

その話を聞いて、思い当たることがあったわけ。

 

 

わたしの周りの郵政民営化反対派の人たちは、はっきりいってものすごくきっちりしてる。

トップに立つような人たちっていうのは、ものすごく自分を律していて特権振りかざすとか一切ない。

 

けれど、世の公務員をみていると、揉み手して政治家にすり寄ったり、庶民には偉そうな態度で接したり、困った人が一定数いる。

「虎の威を借るキツネ」っていうのかしら。

やなかんじなのよ。

 

 

公務を行う人っていうのは、帝王学を身につけた、「公人」としての自覚がある人だったらよかったけど、生まれ育ち関係なく学力テストの成績で役人も選抜されるようになって、ふさわしくない人が増えた。

 

だって、自分(私)が大事の人が公に生きれるわけないんだもの。

 

 

役人が保身を考えて「忖度」するようになっておかしくなったって思う。

政治家もそう、今「国」を動かしている人たちの多くは、「国民のこと」ではなく「自分のこと」を考えているような気がする。

 

 

人間って自分の事を考えるようになっているみたいだからね。

でも、いいの?それで。

 

だったら公務員も、政治家もいらなくない?

 

 

そもそもネット投票で全て決められる時代なんだから、私たちの民意の代表として国会議員いらないじゃん。

 

公務員はすでに私の街の役所は、かなりの業務が企業に丸投げになっている。

 

 

未亡人になって住宅に困って公営住宅の申し込み窓口に行ったら、不動産管理会社の社員が座っていて、「65歳までの独身者の入れる公営住宅はないので、民間賃貸住宅に」って言われたときには、ショックでめまいがしたけど、だったら窓口自体いらない。

 

ネットか不動産会社に直接申し込んだ方が話が早くて「仕事として」の競争もあるからきっと丁寧であろう。

 

 

 

わたしたち、ずっと

 

国のせい

政治家のせい

天皇陛下のせい

 

 

っていつも自分以外のせいにして、自分の責任から目を背けていたんじゃないんかな。

 

 

いよいよこの全てが末期症状の社会の責任をとるときがきたってかんじる。

 

 

神が死ぬってそういうこと。

 

わたしたちは、私たちの人生に責任を負う。

今まで引き受けてくれていた神様は、その役目を降りる。

 

月が沈んで、太陽が昇るってそういうことなんじゃないかな。

 

 

ひとりひとりが自分の責任で生きる。

 

国という

会社という

そして、神という名のブラックボックスがなくなる。

 

 

わたしたちは国家や神から自由になって、その責任を負うことができるのだろうか。

 

 

 

 

日本の国旗は赤と白。

紅白歌合戦は言うに及ばず、日本の対戦って紅白戦だった。

 

赤は平家、白は源氏。

 

赤と白って、どっちが勝っても打ち負かすってことがない平和な戦いって感じがするのはわたしだけ?

屋島の戦いとかも、扇を射てみよなんてのんきな戦いだしね。

 

 

 

白黒はっきりつけるは、どちらかが「消される」って感じがするけど、紅白戦って戦うことに意義があるっていうか。つぶさないってところがあるような気がする。

 

 

母船みたいな雲が出たって結構話題になったりとか、この5月はいろいろある。

もう宇宙人に助けてもらえるだけの人たちは母船に乗り込んだんだろうかね。

私の宇宙人仲間のひとりは所在ごと音信不通になってしまったよ。

 

あと、島とのつながりは密になってて、このあいだも犬のゆりと、人の子のゆりを天然にまちがって連絡がきたしね。

すでに大神のゆりとは、犬ではなく私、ミシマになっている模様。

 

 

犬のゆりは、よく吠えて迷惑だって大神島に連れてこられた。

で、ゆりは世話になってても嚙むのよ。人を。

 

でも噛まれる人は「嘘つき」なんだよね。

悪い人っていう意味ではなくて正直でない人。

 

ちなみに大ニーニーも噛まれているし、神人のおばあも噛まれたらしい。

 

 

わたしの友だちたちは誰も噛まれていない。

中ニーニーも噛まれてない。

共通点は、「自分に正直」。

 

でもそろそろ小ニーニーは噛まれるんじゃないか?

本人もそういっていたからね。

いい加減、太陽を上らせてくれないと世の中がおかしくなるでしょ。

 

 

犬のゆりは、吠えるだけで何を言ってたかわからなかったけど、

人の子のゆりはこうして言葉にするからたちが悪い。

だから追い出されたと思われる。

 

 

 

読もうと思って読めていなかったこの本。

 

 

 

2年前の秋、山で伊勢平氏おじさんとテレビをみていたときちょうど匠の時代の内橋克人さんの追悼番組をやっていて、

 

「聖域なき構造改革」について話した。

 

わたしはそもそも「構造改革」はきれいごとで、目的は「コスト削減」だったと思うから、結果が違うことになって不況に陥ったのは、当然だと思っている。

 

おじさんは、「あれは正しかった」っていう。

郵政民営化も、「素晴らしい決断だった」っていう。

わたしは思わない。

なにもかも、真逆。気持ち悪いくらい。

 

 

 

そう書いてるけど、「聖域なき構造改革」や「郵政民営化」が潰したものが、国の利益だけではなくて、

まったく別の、とてつもなく大きなものだったとしたら、話は違ってくる。

 

 

 

内橋克人さん自身の自伝的小説でもあるこの作品は、阪神淡路大震災からはじまった。
彼は神戸新聞の記者だった。
そして、第二次世界大戦の終戦の年にあった空襲で大切な人を亡くす体験をしていた。
 
阪神淡路大震災は、まさに戦後50年の節目に起きたのだった。

 

 

若者とデート。
で、上野にいくはずが神楽坂。
 
なんとなく神楽坂に行ってみたかった。
アフリカから帰って最初に見つけた仕事は神楽坂だった。
 
わたしはそこで行政の対応や許可をとるための交渉術を学んだ。
たった3ヶ月間で普通の会社にいたら、定年になるまで勤めても得られなさそうな職務経験を積ませてもらったと思う。
 
私は全てを捨ててアフリカに行ってまともな職務経歴のない20代を過ごしていたので、仕事がなかなか決まらなかった。
そんな中、前任者も既に退職していた小さな会社のそのポジションで得た経験をわらしべに、会社の規模も年収も大きなものになっていった。
そのスタート地点の神楽坂。
 
電柱の広告は、しろくまさんの葬儀でお世話になった葬儀屋さん。
カトリックの葬儀を一手に引き受けているこの会社はそういえば神楽坂にあると聞いていた。
しろくまさんの命日のある5月だからかな。
 
マリアさまの月。
あらゆることでしろくまさんを思い出す今日この頃。

 

 

 

ランチは神楽坂をぶらぶらしていて良さげな和風のレストラン。

入ったら遊郭というか置き屋っぽいつくり。

 

成人のお祝いでランチワイン。

もちろん彼は舐めたくらいで、飲んだのはほぼわたし。

 

 

 

私の特技の貝の標本作りを自慢したり。

 

 

 

歩くといつもこれにぶち当たるのはなぜ?

 

 

どこに行っていいのかわからないので、ふらっと立ち寄ってしまった東京大神宮。

目的をもってないと、「歩かされる」。

 

 

 

ここも明治天皇ゆかりの場所。

前にも書いたけど、「明治天皇の勅裁により収拾」

 

 

 
 
Wikiによるとなかなか興味深いことが書いてある。
ようは政祭一致と大教宣布なるものの一環としてつくられたんだって。
 
大教宣布というのは、
「治教を明らかにして惟神の道を宣揚すべし」
だって。
(中略)

明治天皇の生家である中山忠能家には、出雲大社より大国主の分霊が祀られていた

か。

 

「神道は、宗教ではない」ってことも、このあたりの大人の事情に関係すると思われる。

 

日本の政治は、宗教の出先機関だって思ってたけど、
祭政一致を目指して神社はつくられた。
名前は変えても神社は神社じゃん。
 
 

で、戦後、表向きは政教分離になったけど、実態はそうじゃなかった、というのは、

つい先頃の記事(穴守稲荷は豊受さん 〜飛龍大神と航空の礎)で指摘したけど、元総理の暗殺事件によって明らかになったばかり。

 

だって、宗教は、人を救えないんだもの。

 

今は人がやさしくなくなったから、人に宿ることでしか働けない神様は食べものを与えてくれない。

経済から自立できない人たちがお金にすがりつくのは当たりまえのことなおのかもしれない。

 

 

 

東京大神宮のことは何度か記事にしてきたけど、だんだんなるほどねってことが私にもようやくふえてきた。

書いてる本人がこうなんだから、読者の人がわからないのはあたりまえかもね。

 

 

 

で、どこに行ったらわからないと引きの強いところに引き寄せられていく。

きてしまった築土神社。

 

 

将門の首を祀ってたって言われてるらしい。

 

 

現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。

江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。

戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶[注釈 1]、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。

 

今まで気づかなかったけど、将門の本当の首塚みたいなものでは?

そして東京大神宮はここの氏子地域だっていうんだし、なんだか奇妙。

しかも、日本武道館もここの氏子だって。

 

もしかして、私を武道館に連れて行った鹿児島県ゆかりのあの人も将門関係者ではあるまいね?

 

そういえば若い頃赤旗振って暴れてたっていうけど?

赤旗持ってた人って楠木正成的なにおいがするのは気のせい?

 

 

 

前にもきていて、今なにげにわたし、将門さんの御用させられてる?

平家。紅組の慰霊。

かつもしかして南朝?

楠木正成からの流れ。

 

 

 

もうここまできたら行くしかない靖国神社。

 

 

 

日本近代軍制の創始者・大村益次郎。

 

靖国神社で上野の西郷さんと向き合っているとかいう噂のあのお方(靖国神社から青山へ 〜陸軍と青山)。

 

しかも靖国神社の大村益次郎の銅像は、日本最初の西洋式銅像で、東京3大銅像のひとつだって。

残り二つは、上野の西郷隆盛像と、皇居の楠木正成像。

なんか、すごいね。

 

 

大村益次郎は、花咲か爺さんなの?

陸軍は「桜」らしいけどさ。

でも令和に咲くのはきっと、「梅」だよ、「梅」。

 

なんてことを書いている。

しかも、この文の前に書いてあるのが、

 

籠目(六芒星)から龍が出て、梅が咲く。

 

神様が決めたこと。

っていうか、「花咲爺」のストーリーまんまじゃん。

 

 

犬を連れた軍服を着ていない西郷隆盛像がみている大村益次郎。

そして、皇居を見つめる楠木正成像。

 

わたしたちの無関心が生み出したこのロクでもない社会の人柱に若者たちをさせてはならないって強く思う。

正式参拝して御神酒をいただいく。わたしからの20歳の誕生日プレゼント。

 

 

これはまちがいなく、しろくまさんが連れてきた。

彼とは1度しかきたことがなく、正式参拝したことは一度もない。

 

 

東京招魂社があった場所。

ここには明らかになにかがあった、とかんじる。

 

将門に関わるなにか?

成田山や荒祭宮に通じる何かを感じる場所。

 

 

 

鯉に餌やり。

 

 

一口食べるともっと欲しくなるんだよね。

 

 

空には何かが泳いでいるようだった。

 

 

このところ、妙に秋葉原に来ることが増えた。

秋葉ってことは火の神だ。

つまりお金。

火の車。

 

秋葉街道は中津川にあるけど、あそこにいったときには火球が伊勢神宮に飛んでったかなんかだったな。

秋葉山本宮秋葉神社のお祭りの日だった。

赤と青の龍が出会う場所 〜ようやく天竜へ

 

 

これも大事そうだから貼っておこう。

続・安曇野の道祖神の秘密 〜 諏訪に生まれた現人神 

 

 

火車か。

お金に魂売るって、火の車に乗って地獄へ行くのと同じってことなのかもね。

 

ここにも将門が待っていた。

 

image

 

5月11日早朝に地震。

 

神が死んだら、私たちは私たちの人生に責任を負う。

多くの人は耐えられないだろうなって思う。

 

 

わたしは神がいなくなっても大して困らないけど、多くの人は神ってブラックボックスほしいだろうな。

 

でもそろそろ地球は限界みたいよ。

早朝の地震のあと、午後は雷で、地元の人たちは、

 

「地震・雷・火事・親父」だから、次は火事が来るっていってたもん。

 

 

美志摩かなが最近やたら、秋葉原に呼ばれているから大事にはならないんだろうけどね。

 

わたしはとっとと地球が滅びた方が地球のため、って思っているけど、わたしを動かす人たちはわたしを使ってなんとか「神様」をもたせようとしているから、「そこそこ」で済むんじゃないかな。

 

 

地球は怒ってるってご近所さんも言ってたよ。

わたしも、地球も火山でもどーーーーんと噴火して人間が反省した方がいいって思うけどね。