明治5年(1872年)に開設された神宮司庁東京出張所(伊勢神宮の事務機関である神宮司庁と、東京の教部省との連絡のための出張所)には[5]、明治天皇の勅裁を仰ぎ伊勢神宮の分霊が祀られていた[1]。翌年、その構内に東京神宮教会(伊勢神宮の教導機関である神宮教院の東京支部)が開設された[2]。 両所にあった神殿を継承して[5]、明治13年(1880年)4月17日、有楽町の大隈重信邸跡に落成した皇大神宮遙拝殿が当社の起源である[2][8]。 これは、当時の明治政府が目指していた祭政一致・大教宣布の一環として作られたものであった[2]。 本神社落成時、通りを隔てて中山忠能邸があり、前年12月7日より明宮(はるのみや)嘉仁(よしひと)親王(明治天皇第三皇子、後の大正天皇)が生活していた[9]。 4月25日、明宮親王(当時2歳)は中山忠能・中山慶子(明治天皇生母)・正親町実徳・柳原愛子(明宮親王生母)等と共に日比谷皇大神宮を私的に参拝した[10]。 なお中山忠能邸には、病弱だった明宮親王の健康を祈り、出雲大社より大国主の分霊も祀られていた[11]。
明治15年(1882年)1月、明治政府の方針転換により神社と宗教活動は分離することとなり、伊勢神宮でも神宮司庁と神宮教院を分離することとなった[5][12]。皇大神宮遙拝殿は神宮教院に属することになった[2]。同年5月、神宮教院が神道神宮派に改称する際に[13]、当社も大神宮祠と改称した[2]。 一般には、所在地名から日比谷大神宮や[4]、日比谷皇大神宮と呼ばれていた[14]。 明治18年(1885年)3月23日、明宮親王(7歳)は有楽町の中山忠能邸から赤坂御用地青山御用邸内に新造された明宮御殿(花御殿)[15]に移転した[16]。その後も幾度か中山忠能邸を訪問したが、そのたびに日比谷皇大神宮に参拝している[17][18]。
明治32年(1899年)9月、神道神宮派が解散して新たに神宮奉斎会が作られ[13]、当社は神宮奉斎会本院と改称し、神宮奉斎会の本部機関となった[2][5]。尚、三重県宇治山田市(現・伊勢市)には神宮教院大本部が置かれていた。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿を焼失する[2]。昭和3年(1928年)、現在地に再建・遷座して、以降は飯田橋大神宮と呼ばれるようになった[5]。上述のように、第二次大戦以前は神社という形ではなかったので、社格の指定はない。ゆえに氏子地域も存在しない(当社所在地は築土神社の氏子地域にあたる。)。
明治天皇の生家である中山忠能家には、出雲大社より大国主の分霊が祀られていた
か。
「神道は、宗教ではない」ってことも、このあたりの大人の事情に関係すると思われる。
日本の政治は、宗教の出先機関だって思ってたけど、
で、戦後、表向きは政教分離になったけど、実態はそうじゃなかった、というのは、
つい先頃の記事(穴守稲荷は豊受さん 〜飛龍大神と航空の礎)で指摘したけど、元総理の暗殺事件によって明らかになったばかり。
だって、宗教は、人を救えないんだもの。
今は人がやさしくなくなったから、人に宿ることでしか働けない神様は食べものを与えてくれない。
経済から自立できない人たちがお金にすがりつくのは当たりまえのことなおのかもしれない。
こんなのもある。
時を同じくして、神道事務局(当時の神道の公的中央機関)神殿の祭神をめぐって神道界に激しい教理論争が勃発。
「伊勢神宮」の伊勢派と「出雲大社」の出雲派の対立。
最終的には明治天皇の勅裁により収拾。
7月29日の午前中、家族で福井市の鷹巣海水浴場を訪れていた羽島市の読者男性が撮影した。最初は、海岸付近を泳ぐイルカを見に、大勢の海水浴客が集まっている様子。背びれを水面から出して、イルカが円を描くように泳いでいるのが分かる。
続いて、先ほどの映像から少し時間が経った、午前10時過ぎの様子。海に入った男性客の周りをイルカが泳いでいる姿が映っている。その後、イルカが執拗に追いかけ回し、男性は必死に逃げている。男性が押し飛ばされたり、上に乗っかられたりした。
福井県に野生のイルカ?
普通、いないでしょ。
ふと、思い出したのは、しろくまさんが口にしたことがある軍用イルカ(神に抱かれる 〜軍用イルカと波動測定器、そしてユダヤ?)。
純粋なイルカを、兵器のように使う。
「純粋な人ほど利用される」って伊勢平氏おじさんには何度も言われたけど、まさかおじさんといるときにこのニュースに遭遇するとは。
イルカも龍と同様、純粋で何でも受け入れて善悪の判断を持たないだろうから、関わる人の影響をモロにうけるだろうな。
原理主義のテロリストとか、一向一揆の一向宗とか、先の対戦の時の日本軍とか。
彼らはトップに立つ人たちのようにずる賢くなく、単に純粋でやさしい心の持ち主だったはずだから。
本当は、コロナのときにざんざん吠えた、「美志摩かな」も、
実はみんな「神様」より「お金」を頼りにしてた、ってわかって、世の平和のために、「三猿」でいようと思ってたけど、
このニュースみて黙ってたらダメだって思った。
自分自身がかつて歩んだことだから懺悔もこめて正直にいうけど、今のスピリチュアルや、神様ブーム、本当に恐ろしい。
あなた方が拝んでいるものが、なになのか、あなた方に語りかけてきているものが、なんなのか、本当にわかってる?って。
拝ませてる方は、「神様=お金様」って知ってたよ!!
ヨギの治療師から預かっていた波動測定器の縁で、それがどのような研究の成果によってできたものなのかを知った。
大日本帝国陸軍731部隊が人体実験をしていて、その研究結果は、戦後GHQに引き継がれ、その代わり戦犯を免れたとか、
ナチスのユダヤ人収容所でも同様の人体実験が行われてたとか言われてるが、
どうも人間の身体が「最も健康な状態」というのは、そういう「極限状態」にあるときらしい。
最近わたしの前に差し出された
ロシア製の波動測定器も、
ドイツ製の波動治療器も、
「戦争という特殊な状況下における研究成果」によるものであった。
利己的遺伝子とかいうらしいけど、
残酷なものほど強い個体だろうなって思う。
冷たい川のせせらぎに身を置いていたら、いきものたちが集まってきた。
パシャって音がするから魚かなって思ったら鹿だった!!
木が抱いた緑の石が転がる場所。
真名井と一緒。
そして今まで忘れてたけど、「お札」が飛んできたっていう白山の檜倉も(石を抱いていきる 〜白山の巨木と磐座)。
伊勢平氏おじさんは、いつか丹後の籠神社の真名井原にいくと言っている。
おじさんのパートナーは、とあるグループで真名井を訪れたらしいが、そのあと(どれくらい経ってからかは知らないが)、病に倒れて亡くなった。
わたしも丹後関係では思いがけない事故を身近で目撃したから、あえて行きたいって思わない。
だって、昔と違ってご神域には目に見える柵もあって近づけないし。
おじさんに問い詰められているあいだに、自分自身も気づいたけど、しろくまさんとわたしが「御用」に組み込まれたのは、まちがいなく丹後の神人に会って、真名井の水を外宮に届ける御用をいただいてからだ。
そして、その縁は、阿波の剣山から来た。
阿波といえば、わたしにとって「緑の石」。
だから、この景色は必然。
わたしのいけす間違いなし。
美志摩かなは、それなりに風を起こしたと思うよ。
もういいでしょ。
あとはよろしく。
おじさんは、山では多少「お別れ」にふさわしい状態でいたが、結局渋滞で心ここに在らず、に。
事故らず帰郷できてよかったけど、
やっぱりあんな不機嫌まきちらすダメンズには、彼のためにも世の中のためにも「ノー」を言ってあげなきゃいけないと思う。
とかいって、だいたい代わりが世話をしに現れるだけだけどね。
だから、全国の瀬織津姫たちにいっている。
「ダメンズを受け入れるのは、もうやめましょ!!!」
だって誰のためにもならないんだから。
金龍が生け簀から出たし、きっとなにかが動くだろうって思ったら、きたよ。
「中川町」で震度5強。
しかも複数回。
ナーガの中川の金龍が生け簀にお別れに行ったんだから来るでしょ(謎)。
どうも、わたしに御用を言いつけてきた存在たちは、「カーリー神」や「馬頭観音」を出したかったみたいだけど、
わたしはやっぱりあんな伊勢平氏おじさんでも嫌いになれないというか、怒れない。
だって、純粋な清らかなところも見えちゃうんだもん。
だけど、豊受さん(オオゲツヒメ)は、スサノオやツクヨミに殺される。
母心で「噛み砕いて出してあげた」食べ物を、「穢い!!!」って怒って切り捨てる。
ええ、かなり伊勢平氏おじさんまんまなんですけど。
もちろん、親切心をアダにするということを喩えただけで、実際に噛み砕いて出したりはしてませんが。
馬頭観音やカーリー神は怒れば怒るほど、苦しめば苦しむほど救済の力が強いんだってさ。
だから以前の記事(便所の便所 〜瀬織津姫のしあわせは? その後のその後)に書いたように、
瀬織津姫には悲しんでもらっていた方が世の中はしあわせなのだ。
「瀬織津姫は、苦しむように運命づけられてるみたいよ!!」
だって、なんでも受け入れちゃうってことを利用してじゃんじゃん自分達は好き放題して、
最後に、瀬織津姫が怒って馬頭観音だとかカーリー神になると、「救済してくれる仕組み」。
瀬織津姫が、ノーを言わない限り、このひどい世の中は、終わらない仕組みになってるらしい。
神の名を語る、人によって。
ふざけるな!!!!
で、阿波の話では、「オオゲツヒメ」は、「オオギツネ(ケツネ)」で、
四国から追い出したっていう「本土を騙した狐」のことらしいよ(くくり姫から摩耶さんへ)。
四国には狐はいない(たぬきはいる)、ってことになってるみたい。
嫌いにはなれないけど、もうやめよう、って思った。
ようやく。
「運をもらいにくる」すごい人たちをたくさん知っているという薩長土肥のおじさんも「地に足ついた生活をしたいので仕事を紹介してくださいませんか」というメールをスルーしてさらにデートに誘ってきたが、「仕事以外で出かける余裕がない」って断った。
で、結びに「お仕事のお話があったらぜひお願いします」と書いておいた。
今までだったら「御用」と思って時間を作っていたんだけどね。
普通なら知り得ない話を知れて、ブログのネタにもできたからそれはそれで楽しかったけど、わたしに彼らの話が必要あるか、って言ったらない。
伊勢平氏おじさんもそうだけど、実際手をつけてない未来のビジョンって「今」じゃないから、結局わたしに祈願しているだけじゃん。あれが、「千社札」だったんだと思う。
わたしは、「いつか」を「今」にする女だから。
いいように使われてたな。
わたしはみんなが幸せでいてほしいけど、彼らのビジョンはちっとも世の中のためにならない。
しょせん今の世でいい目をしてきた人たちは、この最悪な隔たった世界をつくってきた張本人である。
やっぱり奴らには手を貸してはいけないのだ。
「彼氏ができるように祈ってください」って伊勢平氏おじさんにいったら、
「できるでしょ」って平然というから、
「あなたがいなくなれば」って答えた。
あいつは、他のパートナーができても、夏だけまた会おうとか言った最低男である。
でもわたしから見限ったから次がくるかもね。
で、また新たな人に話しかけられた。
見張りすごいね。
江戸時代から地元に住んでいるとかで、この町のことをとてもよく知っていた。
でももう御用するつもりはないよ。
伊勢平氏おじさんに「山の滞在費は」って聞いたら「50万円」って言われた。
「じゃあ払います」って渡そうとしたら「お金はいらない」って返されたが、
知らないうちに別のものをうっかりもらってしまったような気がする。
あいつはいつもこうしてわたしに「エサ」をまいてきたのに迂闊だった。
「じゃあ招待ですか」っていったら
「違う」って言ってたのに。
まあ、ヨギの治療師からしたら給料をもらうべき「女中」だっていうんだけどさ。
だいたい、出雲VS伊勢とか、大教宣布とかって、前に山本七平(神風はもう吹かない 〜神の国から人の国へ 旧暦9月満月の前に。)で重なったあれじゃん。
神風はもう吹かないよ。
この国の、神は、もう死んだんだから。
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