白い繭(まゆ)からでたものは 〜ついに本丸へ!?大阪への旅(その1) | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
7月11日。
今年はじめてセミの姿をみた。
姿だけかと思った瞬間、一斉に鳴き出した。
わたしの2021年蝉記念日は7月11日。
 
高野山の仁王門でもみたセミ(七夕だから 〜比売神さまと空海とE.T.と)。
 
蝉はうるさいから菅原道真のこと、らしい。
女のようにうるさいことを言うから、太宰府に流された、って聞いた。
 
菅原道真は、会津にもいた。
普通に。
 
ヨギの治療師に用事があって近所の駅まで出かけていったら、帰りに伊勢平氏おじさんにもバッタリ会った。
この世は狭い。っていうかこの人たち近すぎる。
このエリアに集められたとしか思えない。
伊勢平氏おじさんの陸軍関係はまだ具体的にわかっていないが、熊野も鹿も、白頭山の神(琉球から雨降山へ 〜雨降山・大山寺 その2)も。
この二人には同じルーツを感じる。もちろんわたしの中にも。
 
 
熊と、鹿?!
 
そういえば、門司港駅で、みたあの気になるポスター。
 
image
 
熊と鹿。
熊は球磨。
 
クマは妙見。そして、スワヒリ語(マサイ族の言葉)でホト(女陰)。
シカはもちろん志賀(滋賀)で、安曇族。
 
わたしにとっては。
意味は?
 
わからない。まだ。
 
菊理媛神(くくりひめ)が働くと、一件落着になるんだろうか。
伊勢平氏おじさんはくくりひめをククルカンだという。
 
ククルカン=ケツァルコアトルだとしたらアステカの神じゃん。
メキシコの蛇神で、わたしにはヒヌカンで三島の神様のお仲間なんだけど。
 
平和の神様らしいし。
 
 
そういえば、わたしがケツァルコアトルを知ったのは、ポケモンGOで、代々木公園にあったからだよ、ケツァルコアトル。
 
Wikiにも
代々木公園にはケツァルコアトルの像が存在する。これはメキシコの当時の大統領夫人来日記念として、1990年11月[1]メキシコ政府より送られたものである。
 
って書いてある。
 
もうなんていうか、わたしたち、この辺に集められたとしか思えない。
元ダンナ含めて全員。元ダンナさんたちは、わたしが住んでたからだけど。
いや、そもそも代々木八幡宮にわたしを連れていったのは、亀好きの元ダンナだし。
 
しかも、代々木公園は陸軍練兵場。
いろいろ偶然が重なりすぎる。
 

 
夕方、すごい雷雨が来た。
サマリーさんとLINEしてたら、雷落ちて、その後雹(ひょう)が降ってきた。
2センチはあった。
久しぶりに「神様がお怒りじゃ!!」クラス(死にたくないなら、生きればいいじゃない)のそれ。
 
 
神は怒らないと思う。わたしは。
怒る神なんか、お母さんと一緒じゃん。
 
 
感情のある神は魅力的だとは思うけど、わたしは崇拝しない。
 
気分でやることが変わる存在をアテにすると自分が苦しくなる。
人間関係ですでに十分に学習済み。
 
ましてや実現力があったら恐ろしくてしょうがないと思うけどな。
 
 
このスコールで、東京の空気はずいぶんきれいになった。
だから迷いもとれていくか、って思った
わたしにとっては占星術チャートでみても、最も相性の悪い大阪。
夜行バス2500円でレッツゴーオーサカ。
 
 
阿加流比売神(あかるひめのかみ)。
丹後の先生に「アカルヒメ様もみえる」って言われたけど、それは当たり前だって思った。
だってうちの産土様だもん。
今は別の地区に移されたけど、もともとはウチのエリアにいらした神様。
 
wikiによると

昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、天之日矛と出会った。天之日矛は、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしても天之日矛は許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。天之日矛がその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。

天之日矛は娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶった天之日矛が妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津に逃げてきた。その娘は、難波の比売碁曾の社に鎮まる阿加流比売神であるという。

 

とある。
 
出石の天之日矛(あめのひぼこ)の妻らしい。
外国人?と思ったら実家は日本だった、とか不思議なお方。
しかも、太陽とまぐわって赤い玉が生まれて、それが姫になったとか、そういうの。
 
 
そういえば、出石にもいった。一旦は流れたけど、丹後の神人の御神前にあがったら、「出石神社」の話をきいて、しかも先生のエピソードが夜だったから、
「ここから小一時間」って促されていった。月の綺麗な夜だった(丹後からの、W出石神社そして播州への旅(その2:丹後から但馬國一宮・出石神社))。
そして、淡路の出石神社にいって、そのあと、赤穂にいっている(丹後からの、W出石神社そして播州への旅(その3:播州・赤穂の旅〜震災から25年))。
 
ちょうど阪神淡路大震災から25年だった。
わたしにとっては、時がとまった25年前。
そういえば、壇ノ浦で門司港に行って、地震の前の神戸を思い出し、止まってた25年前に繋がったんだった(そして、壇ノ浦(つづき)〜 過去から未来へ)。
 
行けるかも。
記憶喪失してしまったあのときの、あの場所に。
 
 
わたしの生まれた街は、政治の中心だった、と祖父からは教えられてきた。
本当かどうかはしらない。
昔は政所(まんどころ)って地名だった。
 
 
こんな街並み。
もうすっかり全国でおなじみ。
こんな場所ばっかり呼ばれた。
しろくまさんが亡くなってからの2年間。
近くに遊郭があって、街道があって、ってそんな場所。
 
 
 
 
 
島の香りのする蘇鉄(そてつ)の木と「逆さ藤」の紋の入った鬼瓦。
 
 
阿加流比売(あかひるめ)神社は、梅ヶ枝町(旧地名)の先にあった。
 
梅の小枝だ!
菅原道真を慕って飛んで行ったっていう梅の小枝。
そして、伊勢平氏おじさんが祈りのときに何度も「梅の小枝」。
 
まだ伊勢平氏おじさんのことを書いてなかったときに書いた記事にある。
諏訪で地震が起きたときの大騒ぎ(みしまの先祖をたどる旅 続き)。
 
伊勢平氏おじさんは毎朝、シナツヒコ、シナツヒメ、ヤエコトシロヌシの神を呼び、「梅の小枝」でシメる。
 
梅の小枝はどうも、菅原道真と関係あるみたい。
この街は元遊郭の匂いのするところであった。
 
 
当社の祭神、阿加流比売命(あかるひめのみこと)は、新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。
当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳(つまびら)かではないが、平安時代に作られた延喜式神名帳に当社が記載されている。
俗に三十歩神社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の寛永年間に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったのによると伝える。
またかつて住吉大社の末社であった由縁で、7月31日に行われる同社の例大祭「荒和大祓(あらにこのおおはらい)」に、当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣例となっている。
明治30年に背戸口町より映された境内末社、天満宮、琴平神社とともに大正年、杭全(くまた)神社境内外末社となり、今日に至っている。
社殿背後の土塁と松山池は、環濠集落の名残が見られる数少ない場所のひとつである。
 
 
 
アカルヒメは、新羅からきた女神で天之日矛(あめのひぼこ)の妻と伝える。
とある。
 
かつては住吉大社の末社であった由縁で7月31日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」に当地七名家より桔梗の造花を捧げる慣例となっている、
 
とある。
 
桔梗?
また出てきたよ。
わたしの中では五芒星。
 
伊勢平氏おじさんがいうには、将門が騙されたという桔梗。
明智光秀は桔梗紋。
そして子どものころよくみた「一休さん」に出てくるいじわるな商人は「桔梗屋」。
 
きれいな花なのに、あんまりいいイメージないのね。かわいそうに。
しかも造花ってどういうことなんだろ。
 
 
 
 
ひかりが差してきた。
 
阿加流比売(あかるひめ)さまのお成り。
 
 
そういえば、大阪行き、躊躇ってた中の理由のひとつには、100%雨予報があったんだよね。
せっかく関西入りするなら、登りたい山があったから。
 
しかし土砂降り間違いないからやめた。
雨に降られることよりも、ケガが怖い。
姫神を訪ねる旅(姫神を訪ねる旅)で骨折した実績もある。
 
 
 
でも神事が成ったかどうか確認するのにはちょうどいいかと思ってあえてきたのである。
 
 
そして、ある「ぜんこうじ」。
 
今日初めて気づいた。
「牛にひかれて善光寺詣り」の長野の善光寺と、ここ、全興寺って読み方一緒。
 
 
 
大阪って肉といえば「牛」。
東京来て一番驚いたのが、カレーの肉が鳥か豚だったことだもん。
 
カレーうどんの肉でさえ牛肉のお土地柄。
 
今は牛肉が入ってる方に違和感持つくらい、すっかり「トーキョーの人」に。
 
 
 
水かけ不動。
なんで水かけるのか、わからない。
火消しちゃうって思うんだけど。
 
子どものころはわからないまま、自動的にお不動さんには、水かけるものだって思ってた。
 
 
 
マニ車。
 
「このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに」
菅家(菅原道真)。
 
 
この辺は堺と同じように環濠都市だった、らしい。
平野郷。
 
 
天神橋とかあるみたい。
 
子どものころに使ってたチンチン電車は、地下鉄ができた日になくなった。
思い出深い駅。
ここに伊勢平氏おじさんから電話。
 
「明日、10時半にね」
「明日はまだ天気悪いって天気予報で言ってましたよ?」
 
通行人がみな振り返る。
あたりまえだ、ここは大阪。
東京弁まずい。
 
しかし、わたしがここで大阪弁に切り替えたら、伊勢平氏おじさんに旅していることがバレてしまう。
 
おじさんは、人口22人の大神島に行ったくらいで、10日から2週間は会わない、って宣言して、デート?の予定をドタキャンしたんだから(大神からの 〜内藤新宿を踏みかためる)。
しかも夜行バスに乗ったなんていったら、非常識だとなじられるに決まってる。
 
「はーい」とだけ返事して短く終える。
 
そのあと、ヨギの治療師からもかかってきたが、「大阪弁で喋るけどいい?」って大阪弁。
 
 
子どもの頃、学童保育に入れられた。
当時はどこにでもあるものじゃなかったから、家から1キロ以上離れている遠い学童保育に通わないといけなかった。
当時は延長保育とかなかったから、学校は逆方向で、同じくらい離れており、着いたら帰る、くらいの感じで拷問だった。
 
 
 
毎日境内で遊んでたんだけど、いつも来てたところがここ。
 
「縛魯拏天八大龍王」(ばろだてんはちだいりゅうおう)。
修験道本山派に属してて、全ての龍神様の頂点に君臨している龍神の王って書いてある。
 

 


わたしの小さいころはこんなのぼりはなくて、ただお百度石が置いてあっただけだったけど。

裏の楠は昔からなんだかうっそうとしててすごかったけど、さらに大きく迫力満点に。

 

学童きてたのなんか小学校1年生の時だもん。もう45年とか前だよ。

あの頃から龍神さんとご縁があったとは。

ナーガの家に生まれて、みしまの血が入ってるんだから、生粋の龍神家系ですけども。

 

 
やっぱりというか、環水平アーク?
太陽にかかる虹。
 
 
 
鳥羽上皇の霊牌をまつるために建てられた。
徳川家康が青銅五百勘文を弁済とか、書いてある。
徳川様は大阪の人には好かれてないから、まさかその縁の場所があったなんて知らなかった。
でも徳川様もみんな大好き太閤さんもルーツは同じって伊勢平氏おじさんはいうんだけど。
 
そんなこと言ったらうちの母なんか卒倒しちゃいそう。
 
杭全(くまた)神社のふとん太鼓。
 
 
天皇のお引っ越し荷物、という話も聞いたことがある。
本当のことはわからない。
朝早く、まだみんなが寝ているころ、ふとん太鼓は街をわたる。
 
 
黒いのは三本足のカラスで、金色の方は?
 
 
 
 
神輿が出されてた。
熊野の神様。牛頭天王。
 
 
(つづく)
(関連記事)