白い繭(まゆ)からでたものは 〜ついに本丸へ!?大阪への旅(その2) | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
境内には、たくさん合祀されてる神社があったけど、
あった、中居神社。
 
って、ことは白山中居神社?
白山中居神社は、好きな場所である。
岐阜県郡上市白鳥 石徹白(いとしろ)。
読めないよな、石徹白(いとしろ)って。
中居神社にはわたしが一番好きな木がある。
白山のサルタヒコとの出会いは、この木だったと言っていいくらい。
彼がFacebookにこの木の写真をあげていた。
この木がどこにあるのか聞いた。
 
そしてわたしたちは、この木を見に行った。
 
 
 
 
何度もしろくまさんと行ったけど、美志摩かなの「かんながら」旅の最初のころにそういえばサルタヒコとその変な仲間たちとも行っている(くくりの旅へ〜白山山麓三馬場巡り 〜 その3 石徹白の大杉)。
 
石徹白は、不思議な場所なのである。
久高島関係者がなぜか呼ばれて集まる場所。
サルタヒコと最初に出会ったのは久高島。
 
大好きな島巫女仲間が教えてくれた。
「中居神社は、もともと福井県でした」って。
白山も。
 
白山は、今は石川県(加賀)の山だけど、もともとは福井県(越前)の山だったらしい。
 
なんかいろいろあるよな。
福井県。
 
やっぱり気になる東大寺の修二会に使われる、鵜ノ瀬のお水送り(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 若狭への旅)。
 
若狭(わかさ)って、地名は、沖縄にもあるんだよな。
たしか波上宮に近い場所に。
波上宮は熊野信仰。だって熊野の補陀洛渡海で日秀上人が沖縄の金武にたどり着いたのがきっかけで熊野信仰が沖縄にもたらされたことになっている。
それが琉球八社のはじまりらしい。
なんで寺が神社になったのかは、今のところよくわからない。
 
 
正一位 田村大明神。
大阪市平野区は、坂上田村麻呂の次男、広野麿の荘園だったってところから「ひらの」の地名がついたっていう。
 

 


なんか、長寳寺っていう町の真ん中にあるお寺は、後醍醐天皇が吉野にうつられるときの仮皇居だったとか書いてある。

 

きたな、後醍醐天皇(謎)。

楠公(なんこう)さん。

南高(なんこう)梅は、熊野の梅。

そして、なぜか熊野の奥地(上北山村)にある、楠木正成の足跡(都をつなぐ旅 2(その2) 〜いにしえの都に帰る旅(平家の里にあったもの編))。

 

伊勢平氏おじさんは、前世が北畠親房だかなんかで後醍醐天皇と縁があるっていっている。

しろくまさんもお母さんのおうちが後醍醐天皇に仕えてたっていう。

言ってないってお母さんがいったり、いろいろ辻褄合わないけど、みえない世界のはたらきってそんなもん。

 

 

前世もなにも、縁があるでしょ、あなたの先祖の平維盛(たいらのこれもり)が熊野の奥地を転々としてたっていう舞台だもん。

「今世に関係のない前世はない」っていってるのに。

 

でもおじさんは、わたしの言うことすべてスルー。

 

 
 
だんじり祭の様子。
大阪のだんじりといえば、岸和田が有名だけど、7月に杭全(くまた)神社のだんじり祭があって、9月に岸和田の祭りがあるみたい。
なんか住吉大社の「荒和大祓(あらにごのおおはらえ)」っていう神事が関係ありそう。
前回の記事(白い繭(まゆ)からでたものは 〜ついに本丸へ!?大阪への旅(その1))で書いたけど、阿加流比売(あかるひめ)神社で「桔梗の造花」を捧げるっていう行事。
 
どういうことなのか、わからないけど、とりあえずリンクを貼っておこう。
 
 
「荒和大祓(あらにごのおおはらえ)」は、その神事が行われる飯匙堀(いいかぼり)のある、宿院頓宮という、住吉大社、大鳥神社の御旅所のHPの記載によると、
 
 
古くより夏越の祓に住吉大社より神輿を迎えて、境内西側にある飯匙堀で『荒和大祓神事』が行われてきました。

 

 

とある。大鳥神社の御旅所となったのは、明治からみたい。
潮満珠(しおみつたま)』『潮干珠(しおひるたま)』を埋めた場所、って書いてある。
 
なんか、最近みたような?
あ、こないだ行った、壇ノ浦の和布刈(めかり)神社だ!(そして、壇ノ浦。
 
 
和布刈神社のHPhttps://www.mekarijinja.com/)には御祭神は天照大御神の荒御魂の「むかつひめ」で別名「瀬織津姫」で、

しかも、全国に皇后ゆかりの寺がある中、満珠・干珠の印が継承されているのは、ここだけってある。

 

なんかよくわからないけど、繋がってるみたい。壇ノ浦と。

 

しかも、平家滅亡の地の壇ノ浦にある、潮を操れる玉なんだったら、平家滅亡とむっちゃ関係あるじゃない。

 

しかも熊野の湛増とかぶるんですけど。

杭全(くまた)神社は、熊野権現を祀る神社だし。

 

 

 

熊 ・ 鹿?

 

門司港で見たポスターやっぱり気になる。

なにげに熊の方に牛が描かれてるんですけど。

 

 

でもまだよくわからない。

赤と青でかかれてるのも気になる。

JALとANA?

伊勢と出雲?

赤鬼と青鬼?

 

いろいろ意味深。

 

 
移動して高津宮。
ここはわたしのもうひとりの祖母ゆかりの街。
空襲で焼けて移動するまでこの街の商人だったって聞いた。
 
将棋の駒屋。
将棋の駒っていろいろ不思議。
天童の名産だっていうのは、金華山に奉納されてて知った(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その7) 〜 東北 金華山編)。
あと、ヨギの治療師のお父さんになぜか碁盤や将棋の駒とその材料の木の話のレクチャーをうけたりして、理解したところによるとどうも「ただのゲーム」ってわけでもないみたい。
花札とかもいろいろ深読みできちゃうし。
 
どういう家柄だったとかはよくわからないけど、お姫様みたいな人だった。
明るくて、働きもの。大正時代って女性も活躍して豊かだった時代だけど、うちの祖母も英語できたり活動てきだったんだろうなって感じる。
父はわたしの母や祖父のことは「薄情」って好きじゃないみたいだけど、祖母のことは嫌ってないみたいだし。
 
 
 
 
 
梅の橋。
 
梅か。
白山(加賀)の印、
熊野の名産
そして、菅原道真。
 
 
そして、桐。
 
陰陽石。
まんまな感じ。
 
なんか、「あすか」を思い出すのはわたしだけ?
あったもの、あそこにも。
飛鳥坐神社。御皇産霊神(たかみむすび)神の祠に御神体としてあったんだっけ(飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その3 卑弥呼が神殿でみてたもの)。
 
なんかこの旅で繰り返しでてくるのは、
飛鳥とか纏向(まきむく)とか?
 
 
お城っぽい石垣。
 
 
♫高津の宮の昔より
よよの栄を重ね来て
民のかまどに立つ煙♫
 
仁徳天皇がここから民のかまどに立つ煙をみて良かったと思われた、っていう。
昭和陛下は、なぜ、その前は、かまどに煙が立たなかったのか、について「三韓征伐があったから」って答えられたときいた。
 
戦争は民の暮らしを追い込む。
東北のアテルイだって、民のために戦いをやめて恭順した。
戦争、って働き手を失うってことだ。
 
戦争に勝者なし。
 
正義より、生活をとる。
それが生きるってことだ。
 
 
 
壇ノ浦から帰るとき会い損ねた友人と会った。
引っ越し直前の突然の来訪に駆けつけてくれた上、ご馳走になる。
 
わたしたち、人が普通しない体験をしてきたからこその自由を持っている者同士。
 
他人に理解されなくても、これでいこう!!と笑顔で確認。
 
いいの、別に世間に理解されなくても。
わたしたちは、たったひとりしかいない自分を裏切っていない。
 
 
そして、鶴橋。
外国のような不思議な街。
 
生野の吉兆、って浮き輪の投げるのが得意な兄さんに御馳走になる。
彼も昔からのネット仲間。かれこれ20年以上。
 
 
阿加流比売(あかるひめ)さまをおもてなし。
 
 
 
「ええな、おまえは自由で」
兄さんも、不自由にみえないけどな。
 
 
 
煮魚ににんにく入れるっていうのが、この辺風。
そして青唐辛子で少々ピリ辛。
 
 
で、やっぱり牛食べないとね、大阪だから。
 
ごちそうさまでした。
 
 
そして、東京。
大阪が、日曜のビジネス街みたいに閑散としてるのに、緊急事態宣言の東京は、ほぼ変わらぬ日常。
もちろん酒場は自粛してるんだけど。
 
だってオリンピックやるんだし。
 
でもなんか、選手に罪はないのに。
それこそ生まれてずっとこの日のために生きてきたアスリートのことを考えたらなんとなく気分が重い。
 
 
コロナになるのもうつすのも嫌だけど、日々の暮らしも大事だと思う。
どうやったら、コロナと共存していけるか、考えたい。
 
 
そのためには意見の違う人たちとの対立は無意味だって思う。
どうすれば、お互いを尊重し合ってしあわせにやっていけるのか。
 
 
 
(関連記事)