オリンピック停戦 〜オリンピックに思う | かんながら

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旅の記録です

 
 
「なんとしても、オリンピックはやらなければいけないんですよ」
 
 
ある人がわたしに言った。
 
ちょうどその2日ほど前、俵藤太の血筋というおじさんに同じことを聞いていた。
 
「8年もまえから、その日のための準備してるんですよ」
 
決定の瞬間から、開催の準備をしてる、ってことなんだけど、
誘致の準備までしたら、たしかにもっとたくさんの時間とたくさんの人たちが関わっている。
 
 
 
 
この日わたしに伝えてきたのは、とある陸軍筋。
 
「オリンピックが中止になったときのことを考えるとね。」
 
 
もちろん知っている。
 
 
 
1945年開催されるはずだった東京オリンピック。
 
第二次世界大戦。
 
 
 
「他にもあるんですか?」
 
「キューバ危機」
1962年。オリンピックは1964年東京で開催された。
 
 
 
「開催できたことで、キューバ危機は回避できたんですよ」
 
「へー。そうなんですか」
 
 
 
そんなこともあるんだ、くらいに聞いていた。
 
 
が、このニュース。
 
やっぱりいろいろあった。
その中のひとつ。
 
 

わたしはテレビは大阪を出てから持っていないから、普段はみない。

けど、山にいるときには、おじさんがみるのでテレビがついている。

 

 

 

わたしは興味のないことはあたまに入ってこないので、だいたいスルーしてるのだが、このニュースが飛び込んできた。

 

 

 

 

国連総会は、東京オリンピックとパラリンピックの期間中、世界の紛争について休戦するようすべての加盟国に呼びかけました。

国連総会では、オリンピックとパラリンピックの大会の期間中、世界の紛争について休戦を求める決議が、大会に先立ち採択されてきました。
東京大会についても、1年延期が決まる前の2019年12月、日本を含む186か国が共同で休戦を求める決議を提案し、全会一致で採択されました。
東京大会の開幕を前に8日、国連総会では、この決議の順守を求める議長の声明が発表され、大会が平和や相互理解を促進する重要な機会になると強調したうえで、オリンピック開幕の7日前からパラリンピック閉幕の7日後まで、あらゆる紛争について休戦するよう、すべての加盟国に呼びかけました。

 

 

「!!!」

 

このあいだ、陸軍筋と俵藤太が言っていた

 

 

「オリンピックはやらなきゃいけないんですよ」

 

は、本当だったんだ!!!

 

 

 

「オリンピック停戦」なるものがあるのか。

 

知らなかった!!

 

 

 

 

東京2020のオリンピック停戦もすでに決まってた!!

 

 

 

本当に「平和の祭典」なんだ。

だって、「停戦」に関わるんだから。

 

 

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ちょっと前、「けしからん」と騒ぎになってたオリンピック選手村の避妊具問題も、

昨年だったか、「世界中のトップアスリートがまぐわうことに意味がある」みたいなことも聞いた。

 

昔(ロサンゼルス五輪以前)は避妊具を置かなかっただけ、という。

感染予防の観点から必要だってことになった、ってことみたい。

性的接触が原因で伝染するって言われたウィルス性の病気が明るみに出た時期と記憶の中では近い気がする。


 

 

なんか、一般的な価値観では理解できない、もう「かみごと」ってレベルの仕組みがこの世には張り巡らされているのようである。

 

 

 

 

 

 

わたしは、自分の感情として、
アスリートにとって祝福されないって、辛いだろうなって、それだけ。
 
 
 
わたしは、家を出たとき、人の評価を望むことも捨てたから、それを期待しないし、そのためにがんばらないけど、
彼らは、そうなんじゃないのかな。
 
 
人に喜ばれたり、褒められたりを目標にオリンピックを目指した人たちが、
大会そのものを否定されるって尊厳を踏みにじられるような気がする。
 
 
たしかに、今のあり方、なんか変。
もっとやりようあったんじゃない?って思う。
 
 
 
だって、1年延期して、時間稼いだんだから、
 
IT技術を駆使して、日本独自のオリンピックを提案して盛り上げることもできただろうし、
コロナ騒動を抑えて、前向きに開催できたかもしれないのに、
 
ただ、いたずらに時間が過ぎていった感じにしかみえない。
 
 
 
選手にとっては1年ピークを先に延ばすのだって大変だったはずなのに。
 
 
このボランティアを楽しみにしていた人たちとか、
なんか、貧乏くじを引いたのは、オリンピックの開催決定権をもつ人たちじゃないんだもの。
 
 
 
わたしは、
オリンピックに出てくれる選手のみなさんや、
そのために準備してきたボランティアの人たちみたいな、
開催の決定権を持つことのない一般の人たちが、
少しでも、「やってよかった」と思えるような東京2020になったらいいなって思う。
 
 
それが、「日本のこころ」だと思うから。
 
 

 

オリンピックを強行することによって、

学生をボランティアで無料で動員して、自分たちは高い報酬を得たり、
オリンピックで巨額の利益を懐に入れようとしているって言われている人たちを喜ばせることになるって思うと、
どうしても、前向きに賛成できないけど、
 
 
これと、それとは関係ない。
 
 
 
自分の利益のことを考えて、それを得ても、
最終的には、自分の利益にはならない。
 
それが、「因果応報」という宇宙の理(ことわり)。
 
 
エネルギーは、そういうものなのだ。
 
そのための仕組みだってあった。
京都でみた、櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ/いちいだにむなかたじんじゃ)(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その3 西の猛霊 松尾大社 )であったもの。
 
870年、葛野の鋳銭所で新銭を鋳造し、奉納された。(『日本三代実録』)。平安時代には、新しい鋳銭を造る度に、必ず当社に奉納する慣わしがあり、福徳財宝の神として信仰を集めた。
 
平安時代は、なぜかわからないけど、お金を作ったら神社に奉納してたという慣しが。
 
 
 
わたしは、神様は罰を与えたりしない、って思っているけど、
 
「因果応報」と「自業自得」をわたしは信じる。
 
それは宇宙の理(ことわり)だから。
 
 
 
他人からみて、どうなのかは関係ない。
 
 
彼らの因果にとらわれて、自分の因果を忘れないようにしないと、って思う。
 
わたしはわたしの信じるあり方を選びたい。
 
スポーツ興味ないけど、海外の人たちがきてくれることは歓迎したい。
 
 
 
自分が出来る限りの対策をして旅に出て、
「コロナなのに来ないで!!」って言われたらやっぱり悲しい。
 
 
この2年、多くの人たちがわたしの旅を受け入れてくれた。
だから、わたしも東京に来られる人たちを、前向きに、笑顔で迎えたいって思う。
 
 
 
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