丹後からの、W出石神社そして播州への旅(その3:播州・赤穂の旅〜震災から25年) | かんながら

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旅の記録です




 
とりあえず、JR神戸駅にタイムズカーシェアさん(以下、タイムズさん)を返却。
昨日はステーションへの行き方が地下通路からの行き方しか書いてなくて、地下通路のシャッターが降りてて迷ったんだよね。
でも地下通路が開いてる時だと直結で簡単だった。
 
JR神戸駅は大学時代毎日通った駅である。
でも、当時のおもかげはない。
 
明石海峡大橋を通り、それこそ毎日のように通ったはずの大学付近の道路を通って、神戸駅まで戻ってきたが、初めて訪れる場所のようにしか感じなかった。
震災でほとんど新しくなったのだが、中には20年以上はゆうに経ったと思われる古いビルや歩道橋などもあるのに、当時の記憶がまったく重ならない。知ってるはずなのに、思い出せない、知らない世界を生きているような感覚。
 
わたしは震災後、1度だけ神戸を訪れたことがあるが、身体が痛くなり、そしてなんだか現実的な感覚が消えるようで楽しめなかった。
それから神戸にはいかなかった。地震の日にわたしの過去の記憶は景色とともに消えたのだった。
 
唯一過去の記憶と重なったのは、駅からみえたホテルオークラ神戸の建物だった。
文字の色は違うような気がするが。
今回衝動的に出石神社に行ったせいで、ようやく過去の記憶の断片を思い出すことができ、現在と過去の記憶に接点ができたような気がする。あの日から25年になろうとしている。
 

 

そしてまさにあの日と同じ成人式明けの連休に地震で目覚めるという気持ちの悪いデジャヴも体験して、わたしにとって大きな転機のしるしであることは間違いない。




 

 

 

 

気になっているところは3つ。

三輪山に行ったときにから気になっていた「大避(おおさけ)神社」(赤穂市)。

丹後で話にでてきた、粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社と井関三(いせきさん)神社。


粒坐天照神社と井関三神社は、先生に、今年大嘗祭の前日石上神宮の鎮魂祭で奈良を旅したとき、龍田神社からの斑鳩の法隆寺で、普段は開くことのない門が開いて偉いお坊さんらしき行列が入って行って、ガイドさんが今まで一度も開いたのをみたことがないと言ってたことを話したら、


それは勅使門やったんとちがうかなぁ


とおっしゃったのと、そのときにこの2つの神社を挙げられたのだった。



 

世の中は三連休に突入していて道路は多少混んでいた。

最初に神戸から遠い赤穂へ向かう。

 

年末に必ず放送されていた「忠臣蔵」の赤穂浪士ゆかりの場所。

何度もみせられたはずだが、何度観てもストーリーが頭に入らなかった。

 

多少わかったのは、昨年ダンナが亡くなる前に、気になってみてみたくなってネット配信されているのを彼に逐一「これは誰」「これはどういうこと」と尋ねながら一気にみた。

わたしはそういうことがとても多い。「千と千尋の神隠し」などもストーリーが素通りする作品だった。

それも彼の解説付きでみて多少理解した。

何故なのかはわからない。でも、物語が理解できるものとできないものがあるのはたしかである。

 

 


 

大避神社は赤穂の坂越にある。

美しい海辺の古い街。


 

 

 山の上には妙見さん。八代神社(八代妙見)と同じ感じである。

八代では妙見さんは海からきて、最初に山に上がったという。


 

 

 

 


ツノのある狛犬さん。

 

 

 大避神社は海からまっすぐ上がったところにある。


 

 


 

 

帰りには虹🌈

 

 

 

 


坂越の街並みは、私が生まれた場所のそれにとても似ていた。



井関三神社に向けてクルマを走らせる。





みかん。




山のほうから灯籠がのびていた理由はわからず。
(奥宮が亀山にあると言うのがそれらしい)



御祭神は


天照國照彦火明櫛玉饒速日大神
(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト:丹後の籠神社の神様)
瀨織津姫
(セオリツヒメ)
諏訪大明神 - 建御名方大神
(タケミナカタノミコト)

境内末社には素盞嗚尊、宇気持神、菅原道真。

そして
 奥宮に 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)


なんだかこの夏の八ヶ岳から気になっている神様ばかりだ。


瀬織津姫は三島大明神だし。

いずれ、わかるときが来るのだろう。

ここも、物部の里って感じがする。
豊かな里山。







そして、 粒坐天照神社。
御祭神は、天照國照彦火明櫛玉饒速日大神。




ここでも虹の見送り🌈










この地名の太子は聖徳太子の太子なんだろうな。
今はすべての寺が改宗したため、檀家ゼロになった法隆寺。地名だけはまだ太子は残っている。

そして、竜野はニギハヤヒが祀られていて、物部の里だった。


なぜ呼ばれたのか、よくわからない。
でも来るべき場所であったということは間違いなさそうである。

(おわり)