あの日の記憶 〜阪神淡路大震災 | かんながら

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旅の記録です


今朝は地震の揺れから始まった。

阪神淡路大震災、あの頃の記憶はほとんどない。
だから正確には思い出せないが、あの日も成人式明けの朝だったように思う。

まだ夢の中だった私は、家にトラックがぶつかったと思い飛び起きた。
でもそこは家ではなくて、建ったばかりの大病院の病室だった。


その日までギリギリで保っていた「自分と信じていたもの」はその日を境に粉々に崩れて消えてしまった。

ちょうどこの連休、淡路島を訪れた。
走り慣れたはずの神戸の街をクルマで走りながら過去の記憶と今の風景が重なり合わないことに気づき、まだわたしの阪神淡路大震災は終わっていないのだと気づいたばかりだ。

もう25年も経つというのに。


あの頃はバブルで浮かれて、それがはじけたばかりで、でもその頃、高額なマンションを親子二世代ローンなるものを組んで購入した同級生なんかもいて、

それが廃墟になって住宅ローンが残り、しかも、新たに住む家のローンを組まなくてはならないなどという歪んだ状況を目の当たりにした。

抵当に入っているはずのマンションのローンがそのまま残るということは、そのときに知った。
小さな文字で書かれた特約事項があったのだ。


良識的だと思っていた自分を失ってしまったわたしは、その後もいろいろ社会に適応できなくなり、日本を飛び出してアフリカを放浪した。


東京で一人暮らしをしていると、空気を吸って生きているだけでも月に10万円はかかる。だったらそのお金で、どこか物価の安い場所で過ごそう、そう思ったのだ。


あれから25年。

パートナーをうしない、みえない世界に突き動かされているような毎日は、震災後の状況になんだかとても似ている。